意思による楽観のための読書日記

草原の椅子(上・下) 宮本輝 ****

宮本輝の小説にハズレはない。このお話もストーリーがいい、そして主人公たちの語る言葉に作者の強い意志が感じられる。

50歳になる遠間憲太郎はカメラメーカーの技師だったが、大阪転勤と同時に営業畑に異動、サラリーマンとしてはそこそこの地位にいる。娘と息子がいるが2年前に離婚、今は息子は母と、自分は娘と同居している。富樫重蔵も50歳、自力でカメラ店を開いて業容を拡大し、今では富樫カメラチェーンのオーナー社長である。憲太郎と重蔵はひょんなことから知り合い、今では他にはいない親友の間柄である。重蔵も結婚しているが、飲み屋の女性との浮気をして、ある日灯油を頭からかけられる。家に帰れない重蔵は夜中に憲太郎に電話、車で迎えに来てもらう。憲太郎の娘の弥生は灯油まみれの重蔵をみて驚くが、深く事情を聞くことはしなかった。重蔵は妻に浮気がバレることを恐れ、そして何よりその女性が家に押しかけてくることを恐れた。憲太郎は弁護士を間に入れての示談を勧め、重蔵はアドバイスに従う。この事件で重蔵の憲太郎への信頼は深まる。しかし、重蔵のカメラチェーンは業績が不振になっていて売上の伸びない店を閉店、従業員を解雇するなどビジネスに悩みを抱えている。そして憲太郎も、自分の仕事と別れた妻への思いに、人生への不足感を感じている。離婚してたまたま一人で訪れたパキスタンのフンザで出会った老人に、「あなたには3つの星がある、潔癖、淫蕩、そして使命だ」と言われ、潔癖と淫蕩は相反するようだが自分にはあると思う。しかし使命とはなんだろうか。

ある時、憲太郎は街の骨董品の店で40歳前後と見える美しい女性の店主に出会い、ひと目で恋してしまう。そして8万円のお皿を買ってしまう。女性の名前は篠原貴志子、その後、貴志子のことが気になって仕方がない憲太郎だった。弥生は店の同僚の男性が、愛人の連子を抱えて愛人に逃げられ、母親である愛人の虐待を受け続けた子供は発達障害になっていた。男性一人では育てられないと弥生はその子供、圭輔を預かってきてしまう。圭輔は大人に虐められることに怯えきっており、なかなか他人には馴染めない。憲太郎と重蔵は圭輔をなんとか普通の子供にしたいと、自宅や親戚、友人のところに連れて行って、子供らしい暮らしをさせてやりたいと努力する。圭輔が憲太郎と重蔵に慣れ、なついていくプロセスはなかなか良い。

憲太郎はある時、街で貴志子を見かける。手に荷物を大量に持ってタクシーから降りるところであったので、荷物運びを手伝ってやる。絵に描いたような再会であるが、貴志子も憲太郎が嫌いではないらしい。お礼に、と食事に誘う。憲太郎は夢ではないかと驚く。憲太郎と重蔵は、自分たちの心に中に開いてしまったアナを埋めるため、タクラマカン砂漠とフンザへの旅行を計画、憲太郎は貴志子にも一緒に行かないかと誘った。そして、あずかっている5歳の圭輔も一緒に4人で旅行することになる。

圭輔は憲太郎と重蔵に支えられ、貴志子と一緒に知らない外国、それもタクラマカン砂漠や5000メートルにも達する峠をこえてフンザに旅行することで、やっと普通の子供らしくなることができそうだ。憲太郎は、圭輔を引き取って立派に育てることが老人がいっていた「使命」ではないかと考える。

宮本輝は今の日本がだめになった、と言う。明治維新で西洋から「理」を持ち込んで「情」を忘れたのではないかと。「人情がないのではどんな理屈も正義ではない」。しかし一方でこうも言う。「人生の大事に対して、感情で対処した人間は所詮それだけの人間でしかない」。憲太郎と重蔵は悩みながら、人間力のある大人を演じようとしている。人の悪口は言わず楽天的、経験豊かで世知に長けている。圭輔が虐められた時にも、「世の中にはいろんな奴がいる」と諭す。現在も問題になっているイジメへの対処は、長期戦である。子供の問題ではなく大人の品性の問題、日本が大人の国になっていないことの証なのかもしれない。



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