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意思による楽観のための読書日記

京都の寺社505を歩く(上)洛東・洛北・洛中編 山折哲雄監修、槇野修著 *****

京都に関する書物にはよく目を通す。生まれたのが上京区の京都御苑のそばだったこと、小学生以降、大学卒業までの時間を過ごしたのは宇治の地だったから、というのが大きな理由である。しかし、就職で東京に来てしばらくは東京の生活が珍しく、東京近辺ばかりを見て回った。関東、東北、そして連れ合いの故郷信州を巡った。東京近辺はカメラを担いであるき回り、車で家族で長野を拠点に旅行し、オートバイでは一人で温泉地などを走り回った。世紀末ころに家族でアメリカで過ごした数年間、当地で放映される日本の放送を見るうちに日本と特に京都への思いが強まった。2001年に帰国後は、京都に頻繁に行くようになった。

生まれた地の横には梨木神社があり蝉取りをした。今は立派な建物が立っている府立病院と住まいの間には空き地があって、そこで行われる子供の野球に加えてもらった。住まいの目の前には立命館大学があり、そこの散髪屋で髪を切ってもらった。建物からはいつもブラスバンドの練習音が聞こえてきて、中学時代に自分もブラスバンド部に入った時、その時の曲が「雷神」「ワシントン・ポスト」だということがわかった。御所の塀の脇に流れる水路は、今では赤外線監視されていて近づくこともできないが、1960年頃には子どもたちの遊び場で、タニシがいて捕まえようと奮闘するうちに、ヒルに血を吸われた。御所の横には寺町通りがあり、当時は葵祭の行列が通った。時代祭の行列は御所が出発点、どちらも見にいった。通っていた小学校は今はなき春日小学校、丸太町と河原町の交差点脇にあり、かわみちやの真ん前、通学は河原町通を歩いて通った。市電とバスが通るので、その番号を覚えて得意げに自慢した。洛北高校、玄琢、円町、熊野神社、銀閣寺、北野白梅町などの漢字の読み方を覚えた。蛸薬師(たこやくし)という停車場名が面白く、何度も真似をした。荒神橋からは大文字の送り火が見えた。橋の下には人が暮らしていたので驚いた。鴨川の色は、上流染色の色で毎日のように変わったので、楽しみで見に行った。当時の一人での行動半径は鴨川、御所、春日小学校、出町商店街という狭い範囲ではあったが、大人について行った、京都駅横での木下サーカス、四条河原町の大丸、高島屋や藤井大丸、植物園や百万遍、下鴨神社の古本市も、情景が目に浮かぶ。

本書の寺社案内範囲は行動半径ど真ん中であった洛中を含み、大人について行った洛北、洛東を含んでいて、寺社の案内なのに思い出すことはそのあたりに行った時の記憶なのである。悪い思い出はなく、「京都ぎらい」になるわけがない。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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