昭和19年に満州に移住していた綾子と要は終戦で乳飲み子の美耶子をつれて命からがら日本に帰国することができた。帰る先は要の実家三好家、高知県吾川郡仁淀川沿いの田舎農家。要の実家には要の母いち、その父親が小さい畑と水田を耕し、それでも都会の食糧不足とは別の貧しいながらも家族で何とか食べていけるだけの生活があった。
綾子の実家は空襲で焼けてしまい、父親の富田岩伍は山小屋のような小さな家に後妻の照とその子達とともに疎開していた。綾子の実の母は喜和、働き者の喜和は高知の町で小さな店を開きうどんやを営んで暮らしを立てなおそうとしていた。
田舎の百姓の暮らしは町育ちの綾子には辛い毎日、心労と過労で結核と診断される。働き者のいちは養蚕、甘藷づくり、水田、芋と暮らしのためにどんどん手を広げ、綾子や要を農作業にかり出す。いちの娘で嫁に行った佐代にも声をかけて病気の綾子にはできない養蚕や農作業の手伝いをさせる。実家に居づらい綾子は度々高知の町にある喜和の店に顔を出す。
いちは佐代が嫁いでから8年もたった時、戦争で箪笥ももたしてやれなかったと養蚕で得た金で箪笥を贈ってやったと綾子に告げる。綾子はそこまでして嫁いだ娘に箪笥を持たせてやるいちに驚くが、さらにビックリする言葉をいちから聞く。「綾子も箪笥も持たしてもらわなかったが、戦争が終わった今なら持たせてもらえるはずだ」。岩伍にはこんな相談はできない綾子は喜和を頼る。喜和は2万円を綾子に与え、それで箪笥を家に持って帰ることができる。いちは満足するが、こうした田舎の見栄に綾子は今ながら驚く。
綾子が嫁いだのは18の時、日本に帰ってきたときは22歳であったが、母の喜和がもらい湯に入って心臓発作で亡くなったのは24歳の時、ショックを受けた綾子であったが続いて岩伍も結核で死亡、綾子はひとりぼっちになった気がする。父が付けていた日記には父が生活の糧としていた紹介屋という芸者斡旋の生活が書かれていた。
高知の田舎農家の貧しい暮らし、そうした暮らしの中にもある見栄と近所付き合い、姑と嫁の厳しい関係、田舎と都会の違い、母と継母、父の職業に対する劣等感、戦後の混乱などが物語の横糸として織り交ぜられるが、主人公は綾子でその無邪気で早合点、一本気、義理堅く素直で人を信じやすい性格が織り成す縄のように禍福をもたらす。日記を付ける、英語の勉強をする、簡単に実家に帰る、などは田舎のお百姓である三好家の人達からすればとんでもないことと写ったはずだが、綾子は気にもとめない。結局20年も連れ添った要とは離縁して家を離れることになる綾子である。父岩伍の日記をもとに父の一生について書いてみよう、と続編を匂わせて小説「仁淀川」は終わる。
仁淀川 (新潮文庫)
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