意思による楽観のための読書日記

東と西の語る日本の歴史 網野善彦 ***

日本の歴史は東西の戦いの歴史だという。そもそも日本民族はアイヌや琉球をのぞけば単一民族だ、ということに疑問を呈している。縄文時代から弥生時代にかけては北方、半島、南方からの人種が相当程度混雑していたはずであり、自然植生や環境が東と西では相当程度異なるではないか、という主張。

現代でも、フォッサマグナから西と東で言葉が異なることは皆が認識している。言葉に限らず、食べ物の習慣が違っている。「買った vs 買うた」「広く vs 広う」「だ vs じゃ」などが東西の違いである。現代の婚姻相手の出身地を東日本と西日本とで分けてみると、9割以上が同じ地域なのだそうである。現在のような交通条件でも東西交雑はそんなに進んではいないことから、歴史上はそうは進まなかったのではないかという推測である。

考古学からみた東西の違い、古墳時代の東西相違点などからみた違いをあげている。古代から中世にかけては、海賊的武者である西に比べて馬賊的武者は東なのである。そして東では平将門が、西では藤原純友が中央政府に対して反乱を起こしたのが10世紀。これらの武士の勃興を告げる反乱は鎮圧されるが、この後源氏と平氏という二大勢力が東西に起こる。源平はこの後交互に日本の勢力を二分しながら拮抗する。

その中で、西国は東北の勢力と結び、投獄は九州の勢力と結ぶことで東西対決に臨むケースが多いという。最初に勢力を集めたのは平氏、東北の藤原秀衡と結んで、東の源氏を追いつめようとする。西の平氏はここでも海洋的性格を帯び、東の源氏は狩猟的性格である。一時は平氏に滅ぼされた源氏の頼朝は伊豆に育っていたが、以仁王の勅命を受け平氏討伐に立ち上がる。木曽義仲も同時的に京都に討ち入るため、清盛が死んだ後の平氏は西へ逃げる。この後は有名な壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡する。

荘園や公領の違いについても述べている。大きくくくると西の荘園は米で年貢を納め、東の荘園は布や麻など米以外でも納めていたのだという。この後も東の武士と西の武士が戦い、北条氏から足利氏、そして尾張三河の信長、秀吉、家康が天下を取るが、その戦いの構図も東西対決であり、九州と東北の武士たちが西と東とに分かれてそれぞれが合従連衡する。

鎌倉から江戸のながい東支配を破ったのが明治維新であり戊辰戦争、薩長両藩は徹底的に関ヶ原の戦いの恨みを晴らすかのように幕府軍、会津や東北列藩同盟を追いつめて容赦しない。

大相撲でも東西、歌舞伎でも芝居でも「東西東西」、神社仏閣では狛犬が東西に据えられている。東西史観とでも言うようなユニークな見方である。
東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)

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