意思による楽観のための読書日記

古文書返却の旅 網野善彦 ***

網野善彦が若い時代に携わった民俗学研究では、多くの民間文書が収集、借用され返却されないまま研究施設や大学、個人宅に死蔵されたままになっていることに、網野善彦は個人的な苦悩があった。30年以上経過したものもあるが、それらを丹念に調べ、1つずつ持ち主かその子孫に返却する、という途方も無いことを筆者が10年以上かけて実践したその記録であり、贖罪、とも言える活動の紹介である。貸した側からすれば、返したもらえることを期待しているだろうし、期待していなくても、返却の打診があれば喜んで寄付するという人もいるであろう。逆に黙っていればもう二度と協力しないという人もいる可能性もある。今後の歴史研究家は網野善彦のこうした活動に感謝する時が来るかもしれない。

1950年頃に、宇野脩平が国からの委託事業として行なった文書収集、宮本常一が借用した文書も含まれていて、返却したところ、「これは美挙です」と褒められたという。霞ヶ浦と北浦の津の民の文書、瀬戸内海の島に浮かぶ島二神島の二神家の文書、奥能登の有名な平時忠の子孫とも言われる時国家文書、そこで学んだ農民、そして水呑は貧農であるというのは誤解であること、奥能登の豪農が農業だけではなくて蝦夷地やサハリンとの交易を行い、大阪との商業中継地となっていたとの話は後の網野善彦の研究に大きな影響を及ぼした。

返却に行って新たな文書が見つかる場合も多く、中世の貴重な文書をこうして入手できた経緯なども紹介される。総じて、網野善彦の良心の物語であり、自慢話はなく好ましく読める。民俗学者に限らず、研究のために民間文書等を借りて返さない学者がいるなら見習って欲しい姿勢だ。


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