日本書紀は天地開闢、神代の時代に始まり、持統天皇11年までの歴史を描く。第一巻二巻が神代、第三巻以降神武に始まり概ね天皇一人に一巻が割り当てられる。漢字自体の使用は5世紀以降と考えられるため、書紀においても5世紀以降の記述に信憑性の可能性が高まる。あとからの改変の履歴が散見され、大宝令以降の用語である「国司」「郡」などが推古天皇時代の記述に使われている例などがある。「天皇」という呼び名も本来は持統朝以降であり、その内容の信憑性には議論がある。実際、編纂時期から考えると、舒明天皇あたりからは当時の貴族たちの父や祖父の時代に当たり、古代氏族制から律令制に移行する中央集権の国家形成期。乙巳の変から大化の改新、壬申の乱への波乱に満ちた変動の時代であり、編纂担当者も祖父母、知人にも直接取材したであろう内容があるため、記述内容も迫真に満ちている。逆に乙巳の変以降では、現に生きている人たちにも直接関わる恐れがあり、意図的な隠蔽や削除がある可能性がある。中大兄皇子が蘇我氏打倒したあとの活動記述はほとんどなく、死に際しての厚遇は述べられるなど不自然な部分もある。
風土記については常陸、播磨、出雲、豊後、肥前の5カ国と逸文とされる各地風土記の部分が残される。和銅6年に発せられた詔に従い編纂された風土記だが、その詔自体に「風土記」の名称はない。914年の三善清行の「意見封事12か条」に初見されるが、通常風土記と呼ばれる。和銅6年の詔内容は次の通り。
1.畿内7道の国名、郡名、郷名に好字をつけよ。
2.郡内に産する鉱物、植物、動物などで有用なものを筆録せよ。
3.土地の肥沃状態。(税の評価)
4.山川原野の名の由来。
5.古老の代々伝えてきた旧聞異事。
常陸:「ひたち」の由来、「筑波山の説話」、歌垣での男女の出会いと歌の掛け合い。
播磨:日岡の景行天皇と別嬢の説話、伊和、埴岡、託賀の地名由来。
出雲:意宇郡の国引き物語、ワニの話、一つ目鬼の説話。
豊後:赤湯の泉の話、田野の餅が鳥になった話。
肥前:火の国国名由来、松浦の褶振の峰説話(佐用姫)。
逸文:天橋立説話、浦島説話、道後温泉由来。
本書内容は以上。