空海の風景、というタイトルである。中身は人物伝のような小説でもあり、書き物や歴史書が限られた時代の人物が対象であるので、筆者の作り出した部分も多いのだろう。空海がみたかもしれない風景を、生まれた場所である讃岐から、修行で歩いた室戸岬、高野山、京都の高雄山寺などを筆者も巡り歩いて見た。空海には空白の時代が多く、その空白の時にはどこにいて何を考えていたのか、それを筆者は想像して書いている。遣唐使から帰国して、筑紫野に1年以上とどまり、すぐには京都に戻らなかった、それはなぜか。空海は先に帰っていた最澄の天台密教が時の天皇に高く評価されるのを伝え聞いて、それは本物ではないと思ったのだろうという。しかし、今すぐに京都に行くことをしていない。時間をかけて、自分が持ち帰った真言密教こそが本物でることが、最澄にはわかるはず、と持ち帰った経文の目録を朝廷には送って反応を見ていたのだという。実際、後に空海が京都高雄山寺入った際には、最澄は空海に経文を借りて写経をしている。最澄こそが空海が持ち帰った真言密教の価値を知っていたのだ。数年のあいだ、最澄は空海と手紙のやりとりをし、空海からの教えを請うたという。空海はしかし、数年後最澄に縁切りを意味する手紙を書く。写経、経文を読んでも密教を学ぶことはできない、という理由からである。
空海は、東大寺別当に若くして任ぜられ、東寺の建立、綜芸種智院の設立をしている。最後は高野山で死ぬのだが、帰国後に残した建築物、曼陀羅、著作物、そして仏教を日本の統治の仕組みに取り込んだことは偉大な事業であったという。空海の見た風景を、その後の日本人で見たものはいなかった、という気がする。
空海の風景〈下〉 (中公文庫)
空海の風景〈上〉 (中公文庫)
『空海の風景』を旅する (中公文庫)
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