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意思による楽観のための読書日記

風姿花伝・謡曲名作選 日本の古典を読む17 ***

観阿弥と世阿弥親子により芸能の一大分野として確立された猿楽・能は、将軍義満により評価され保護育成された。1333年生の観阿弥は大和の多武峰付近で活動していた山田猿楽の美濃太夫の養子の三男。少年、女性、鬼、ありとあらゆる役を自在に演じ分ける芸域の広さを身に着けていた。1375年、今熊野での演能で演じられた猿楽が義満の目に止まった。観阿弥は御用役者として将軍家近辺での活動をするきっかけとなり、世阿弥は二条良基に引き合わされ、「藤若」(藤原氏の氏の長者から藤の一字を賜る栄誉)を得た。その後、観世大夫となった世阿弥は能のさらなる改革を試みる。1408年義満が死ぬと、義持は自分を冷遇した父への不満から父の政策をことごとく否定。増阿弥を贔屓とした。その後書かれたのが「風姿花伝」であり、世阿弥が競合する他の芸能者たちに伍していく術を弟子や子孫に書き残した。現代社会、芸能界、会社社会にも通じる。

風姿花伝は1400年に第一から第三、その後全体完成までに20年を要している。
序:猿楽の歴史について。
第一:年代別稽古条々 7歳ころの幼年期の猿楽稽古心得。素質を伸ばし基本芸を中心とすべし。12-13歳では元服前で愛らしく花(能における美しさ)があるのだから手の込んだ物真似などはさせず基本芸の確率を重視すべし。17-18歳は変声期を越えて反抗期にも当たるため稽古には不屈の精神を要する。ここが一生の浮沈の境と心得、人の評判などは気にさせず鍛錬させる。24-25青年期には「時分の花(年盛りの役者にふさわしい上手の芸能者に見える)」となり年上の芸にも勝って見えることもあるが慢心は禁物。実力以上に自惚れると一時的な花となり失せてしまうもの。34-35歳は壮年期でありまことの花を極められる時。天下の名声を得ることも可能だが、この時点で花を極められなければ40歳以降は退歩あるのみ。44-45歳は初老期であり、身の衰えを自覚した無理のない演じ方と後継者の育成を勧告する。50歳以降は老年期であり老骨に花の残る証拠として観阿弥の芸を挙げる。

第二:物真似条々 能役者の基本となる物真似の風体は女、老人、直面(ひためん)、物狂い(子や恋人を思い必死になっている様)、法師、修羅(死後に修羅道に落ちた武者)、神、鬼(怨霊、憑き物、冥途)、唐事(唐人)の9種類に分類し、どのように似せるべきかそれぞれの役作りの心構えを説く。

第三:問答条々 演能の場の雰囲気(陽と陰、昼と夜、騒がしいと静か)を知る。能の序破急。立会能(他の役者とのメリハリをつけるため演目の種類を多く持ち、相手の演目に合わせて自分の演目を変えていく)。若き為手(して)の花と古き為手の花では年功者が負ける場合もある。「上手は下手の手本」であり、「下手は上手の手本」である。謡曲と所作を一致させる極意と風情。しおれたる風体が美しさ、花と見える時がある。「花は心、種(たね)は態(わざ)」花を知ることで奥義を知り、種となる能芸の数々を身につけることで花を獲得することもできる。

第四:神儀 猿楽は神代の始まり(天照大神と天之鈿女命)。天竺での猿楽、日本の猿楽は秦河勝と上宮太子。平安朝は村上天皇と秦氏安。当代の猿楽は興福寺の維摩会を起源とし薪猿楽の由緒のも言及。猿楽の諸座は大和の宝生、観世、金剛、金春、近江の山階、下坂、比叡、伊勢の和や座、勝田、京の新座、矢田、法性寺にある。
第五:奥義 近江猿楽、田楽など十体にわたるべし。芸能の目的は「衆人愛敬と寿福増長」。
第六:能の作り方
第七:「花を知ること」珍しきを知る。芸能者として同じところ(術)に住まない。「似せぬ位と老木の花」。生涯花を保つ、年々去来の花。「秘すれば花」花は秘してこそ降嫁を発揮する。「因果の花」稽古が因で評価されることを果と心得よ。

謡曲名作:修羅物から忠度。鬘物から井筒。四番目物から隅田川。切能から船弁慶を紹介。
本書内容は以上。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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