明治維新前後の歴史的イベントとそれらの連なりについては、多くの著作やテレビドラマなどを通して、自分としても随分知っている気になっているが、本当だろうか。安政の大獄以降、約20年間におきた次のような出来事である。開国に向けて尊皇攘夷運動がおきた、王政復古に向けて大号令が下った、廃藩置県から文明開化、殖産興業から西南内乱などであり、活躍した勤皇の志士の名前や顔を思い浮かべることができる。薩長勢力が主導した倒幕勢力が徳川幕府を倒した。会津や東北諸藩は抵抗したが戊辰戦争で武力制圧された、こいうイメージであるが、明治維新の本当の原動力は何だったのか。
維新への動きのきっかけは1858年の日米修好通商条約により、幕府の威光が崩壊し始めたこと、それに将軍家定の養嗣子選定問題が起きて、徳川幕府の正当性までが揺らぎ始めたこととされる。安政5年の政変の背景にあったこの2つの問題には、井伊直弼が大老として専制的に物事を決めてしまうやり方への反発があり、外様大名も含めた集団指導体制への諸藩からの支持があり、将軍養嗣子選定については、井伊直弼や家定も含めた幕閣勢力に対して、諸藩からは、一橋慶喜を推す越前藩松平慶永ら勢力への支持があった。養嗣子選定について慶永は「天下の公論」であると述べたという。「広く会議を興し万機公論に決すべし」という五箇条の御誓文の一文に有名になったこのポイントは公議輿論、世の多数意見、普遍的に妥当とすべき正論、という意味を持つ。つまり、政治的決定は、特定個人が権力を持っているからと言って専制的に行うのではなく、政府外からの意見も広く取り入れることで決すべし、ということである。現在のデモクラシーの原点であるこのポイントは、どうして生まれでてきたのか。さらに、集権化については、どのような文脈で課題となったのか。このように明治維新の政治課題は「公議・公論」と「王政」であり、幕末の政治動乱はこの2点を軸に展開した。
その後起きた明治維新の改革の大きなポイントは、集権化と脱身分化である。徳川幕府と天皇という2つの君主権力に、数百も存在した全国諸藩・中小勢力が従うという双頭・連邦の政治体制だったものを、天皇の元に単一の国家となったこと、これが一つ。もう一つは、政府の構成員は生まれを問わず採用し、皇族や大名・公家以外は被差別民も含めて平等な権利を持つ、と定めたこと。この大きな改革を成し遂げたのは、薩長や特定個人とその敵役ではない。この印象は、長編小説や大河ドラマの影響が大きいのかもしれないが、実際には、こうした改革を明治新政府が組織的に、廃藩置県と身分解放令により、維新後約3年半後には枠組みを作った。
ペリーの来航の背景には欧米社会のによる大西洋・太平洋横断航路実現の夢があった。SF作家ジュール・ヴェルヌの「80日間世界一周」は岩倉具視欧州視察団が滞在中に書かれ、そのルートは視察団が辿った航路と同じだったという。岩倉使節団が欧州にいる間に、長崎に電信ケーブルが上陸したというのも象徴的である。イギリスの会社による海底ケーブルは1866年には大西洋を結び、もう一方は香港から上海まで到達していた。長崎から東京までの電信が引かれることで、明治政府が岩倉使節団に送った「早めに帰国せよ」という電信は欧州まで届いたのである。その時、世界は繋がろうとしていたのである。
英国による中国に対するアプローチとアヘン戦争は当時の日本の知識階層に衝撃を与えた。それと同時に、国家同士は平等な立場で関係を構築するという主権国家という考え方が、東アジアでの日本の立ち位置に変化を与えた。鎖国で中国、朝鮮との距離を置いていた日本だったが、維新を契機に1871年には日清修好条規を結び朝鮮とも国交を更新しようとした。その際、従来の冊封関係、朝貢関係を持ち込まないことを第一原理と考えた。しかしこの原理は朝鮮との間では摩擦を生み、国交更新まで8年を要した。鎖国で孤立主義をとっていた江戸幕府に対し、明治政府はアジアにおける日本を意識し始めた。
列強各国と対等な関係を結ぶ条件とされた国民国家という考え方の確立には時間を要した。公議輿論と国家主権の一本化はその条件であった。西欧諸国の王政復古は世襲貴族の復権とも取られるが、日本では公武合体政策が人々の国民化や公論を促した。また、君主一本化は国家防衛のために市民を国民化しようとした明治政府の思惑でもあった。被差別民をも含めた平民化は徴兵制度の確立が根底にあった。西欧風の舞踏会を何回開催しようとも、西欧諸国は日本の国民主権、国家主権を認めず、列強各国と結んだ不平等条約の改正にはその後30年もの年月を要したのである。
19世紀当時の欧米列強がアフリカやアジア諸国に勢力を広げ、他民族を支配して利益を得ようとする帝国主義の魅力は、明治政府を虜にした。しかし帝国拡大の動きは20世紀前半の2回の世界大戦により後退した。大戦の代償があまりに大きかったためである。いまでも帝国主義にとらわれているのは中国とアメリカの2国となっているが、両国ともハードパワーではなく、表面上はソフトパワによる実現を模索しているように見える。本書内容はここまで。
明治維新の動きを、世界的な視野と背景の理解をとおして紐解くと、特定個人や藩の動きだけでは起こり得ないことが、当時の日本では醸成され、シャンパンの栓が抜けるように破裂したと言える。現代社会、現代政治、世界情勢の理解も、このような広めの視野で理解することが肝要だと感じる。