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意思による楽観のための読書日記

山東直砥 明治を駆けぬけた紀州人 中井けやき ***

1840年生、明治維新後に教育、出版、薔薇輸入などで活躍した民間人で、紀州生れ、同郷の陸奥宗光の懐刀ともいわれたという。参議院議員の山東昭子の曽祖父。若くしては尊王攘夷思想に感化され、蝦夷地情勢を背景に北方防衛の必要性を感じて箱館裁判所に勤務。京にあっては、坂本龍馬、後藤象二郎、松本奎堂、松本良順などとも交わった。

三河出身の松本奎堂は昌平黌の俊才として知られ私塾双松岡塾を開き山東と行動をともにしたが天誅組の変で自刃。土佐出身の坂本龍馬に山東は蝦夷地防衛の重要性を訴え共感を得たという。後藤象二郎には坂本龍馬とともに出会ったが、その後事業で困窮した後藤を山東が度々援助した。紀州出身の陸奥宗光と山東は、坂本龍馬とともに乗船した夕顔丸で出会う。下関条約締結時の外相を務めた陸奥と懇意だった山東は陸奥の懐刀と呼ばれた。江戸出身の幕府奥医師だった松本良順は維新後初代陸軍軍医となり、関係良好だったものの土地建物を巡り裁判沙汰になる。

豊前出身の福沢諭吉は教育、文化面でたびたび山東と交わる。木版出版で苦労していた福沢に山東は印刷機械を譲った。三菱財閥創始者の岩崎弥太郎とは後藤象二郎との関係で接点を持ち、岩崎に高島炭鉱を売却して事業継続してもらい、三菱は巨利を得た。江戸出身の鹿島岩蔵は鹿島建設の創始者、鉄道建設で山東が援助した。江戸出身の星亨は山東の裁判で辣腕を発揮し、のちに衆議院議員となり活躍。紀伊出身の児玉仲児は地元紀州で山東とともに猛山学校を設立、衆議院議員としても活躍、山東の三女は児玉の長男と結婚。山東の長男宗の長女初の娘が山東昭子。本書内容は以上。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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