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意思による楽観のための読書日記

水と礫 藤原無雨 ***

主人公が自分の孫に言い含めるように伝えるセリフ。「お前の中には、誰かの見た風景が詰まってる。誰かの中にも、お前の風景がある」つまり、人間は一人で生まれて死んでいくのではなく、育ててくれた人の思いを誰かに伝え、その誰かの教えを実現していくんだよということ。「人は死んだらどうなるの?」という素朴で普遍的な問への一つの答えでもある。

本作品は、読み始めてしばらくすると、読者は読み間違えてしまったかと、はじめに戻って読み返してしまうかも知れない。同じ話が何度もループして登場するからである。基本的なストーリーは、クザーノという主人公が、生まれた町から礫がころがる砂漠への旅に出て、たどり着いた町で恋をして結婚し、子孫を残す。その子孫は、親とは異なる価値観を持つが、その孫は祖父の夢を追いかけようとする、というお話。

クザーノは、働きにでかけた東京での仕事中に事故を起こしてしまい、職場にいられなくなって生まれ故郷へ戻る。一年ほどは故郷にとどまるが、弟分の甲一が砂漠への旅に出たことを思い出し、礫だらけの砂漠のむこうにあるという町へ、ラクダのカサンドルに引かれて旅立つ。自分の身に染み込んだ東京の水から自由になるためには、砂漠の灼熱で身を焼かれるしかないと思い込む。クザーノの父はラモン、祖父はホヨー、息子のコイーバ、孫のロメオ。この物語が何度も繰り返されて、クザーノの思い、息子のコイーバの価値観、この親子孫の経験と夢が、子孫の頭の中に繰り返し映しだされる。その思いは時代を超え砂漠に象徴される距離を超えて、別の町の異なる人達に伝わっていく。

旅人は、自分の中に溜まった水を排出したいと思う。それは、別の人から見れば、大切な家族や絆を断ち切り捨て去ることを意味する。とても簡単にはできることではない。旅の途中にある砂漠は礫で満たされている。砂漠は乗り越えるべき距離、礫は困難。それでも旅立つときは来る、というのが旅人の価値観。農民と狩人の価値観かも知れないし、西洋と東洋の価値観かも知れない。

繰り返される無限ループのストーリーが人類の発展と親子の絆を表現しているのか。2020年11月発刊の第57回文藝賞受賞作。 
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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