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意思による楽観のための読書日記

万葉の旅 上 犬養孝 *****

お正月期間は図書館がお休み。そこで取り出したのは我が永久保存書棚にある数冊の本。1974年だったか、犬養孝先生の退官記念講義が大学であった時に、聴講に行って、そのあと慌てて購入したのが本書。その時に同時に開催されたという「山の辺の道を歩く」という名の合同ハイキングには参加しなかったのが悔やまれる。本書に掲載されているのはもちろん万葉集の歌と、昭和30年代に先生が自ら撮影された当時の各歌にまつわる風景。家が少なくて、万葉時代までは行かずとも、歌の風情は感じることが可能な景色がそこにはあった。

2014年に名古屋出張から大阪に移動する途中、立ち寄った近鉄八木駅。降り立ち、歩いたのは大和三山の畝傍山、香久山、そして耳成山で半日コース。全部の山に登ろうかと歩き始めたのが、登ったのは結局香久山だけだった。それでも、山に至る道すがらの景色、山道から時々見える耳成山神社の森、二上山や甘樫の丘を眺めて楽しんだ。上巻ではその大和三山にまつわる歌が紹介される。

当地を歩いてみてわかる明日香、藤原京の地域のこぢんまりとした風景。大化の改新から大宝律令へと、国家の形を成していくプロセス以前は、本当に小さな地域に勢力を張っていた弱体な政権だったことを実感できる。本書には、甘樫の丘から見た大和三山の風景写真が掲載されていて、そこは聖徳太子から天武、持統へいたる7世紀から8世紀が全部見えるとも言えるほどの狭い地域。持統天皇の歌「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣干したる 天の香久山」は当時の藤原京から香久山を見たのではないかという、犬養孝先生の写真であるが、昭和36年撮影という写真から、それははっきりと感じられる。同時に、律令制度を大陸から取り入れて、ようやく形になってきた国の基盤を、天武帝を助けて国を支えてきた持統天皇は、「春から夏」と感じたのかも知れない。

上巻では八木から宇陀、そして青丹よしの奈良へと舞台が移る。そこに色濃いのは渡来人たちの息吹き。大陸の文明が半島を通して奈良の盆地に取り入れられてきたこと、飛鳥から奈良の時代までは、隋から唐の文明を必死で吸収していった先人たちの時代だった。

二上山の雄山山頂に祀られているとされるのが大津皇子。天武帝の皇子なのに、天武帝崩御と同時に新羅の学者に唆されて謀反を企むが、親友の川島皇子に密告されて自害したと書紀には記述。犬養孝先生は、それよりも我が子である草壁皇子を支持したい持統に誅されたと推理している。大津皇子と石川郎女との相聞歌。「吾を待つと君が濡れけむあしひきの 山のしづくにならましものを」先生は吾と君が入れ替わっているのでは、と考えているようだ。大津皇子が亡くなり二上山に移葬されたとき、姉の大来皇女が作った歌「うつそみの人なる我や明日よりは 二上山を弟と我が見む」 次に行くときには二上山に登ってみようと思う。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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