本の前半部分はそれぞれ異なる事情や理由で日本から移民してきた状況を解説、その時代背景や歴史の流れをたどる。この部分は他の本でもよく書かれている記述。しかし、本書のハイライトは後半部分、聞き取りから判明した引揚者それぞれの大変な苦労と数少ないラッキーな人、そしてほとんどのアンラッキーな人から聞き出した壮絶とも言える帰国の状況である。
聞き取りをした人たちの共通項は鎮海の小学校に通った同級生たち。しかし、その人の職業や卒業後どこに住んでいたかにより、大きな運命の違いを小さな子どもたちが背負い込んだのである。朝鮮半島南部にいた人たちは敗戦後の引き上げは苦労はあったものの、1ヶ月から2-3ヶ月で帰国した人がほとんどだった。しかしその中でも海軍にコネがあるなしでもって帰ることができた荷物の量が大きく違った。荷物の多寡は違ってもこの人達の多くは生きて帰れたことはラッキーだった。
朝鮮半島の38度線より北にいた人、満州にいた人たちの苦労は段違いに大きかった。敗戦後時間がたって米国軍が占領軍として日本に駐留、国境警備にも目配りができるようになると不法な帰国者を排除するため、日本近海には機雷が仕掛けられるようになり、九州上陸寸前で機雷に引っかかり沈没する帰国船も多かったという。ソ連軍の支配地域からの帰国では、多くの日本人帰国者達がソ連の兵隊たちの略奪や強姦にあった。極東に配備されてきたソ連軍兵士の多くは犯罪者やならず者が多かったためではないかと帰国者たちは口をそろえて言う。満州から朝鮮半島を通る鉄道を運営するのは中国人や朝鮮人、そして警備を担当するのがソ連軍であった。中国人たちはソ連軍兵たちが日本人帰国列車通るたびにチェックのための停車を命じるのに喜んで応じた。日本人たちからソ連軍兵たちが巻き上げる貴重品のおすそ分けに預かれるからである。日本人たちの中にも悲しい分裂が起きる。ソ連軍達が列車に停車命令を出し、チェックを始めると「誰かいないのか、進んで申し出てくれる人は、彼らは女を差し出せば満足するんだ、芸者や玄人筋の人はみんなのために犠牲になってくれないか」などと大きな声で叫ぶ声が聞こえたという。自分は無事で生き残りたい、人は犠牲になっても仕方がない、という考え方が全面に出てきてしまう日本人の帰国者たちの中で、切羽詰まった時の人間のさもしさを感じたという。
列車に乗ると略奪されたり殺されたりするという噂が立ち、健康な大人は歩いて満州から数百キロを南下し、38度線を越えようとした。それも食料も水も不十分、ソ連兵に見つかったりすると殺される、中国人や朝鮮人たちは日本人とわかれば大声で騒ぐ。体が弱った人や子どもたちは病気などで衰弱して多くが途中で死んでいった。正式な統計はないが650万人はいたという引揚者、1-2割は途中で死んでしまった人、置き去りにされた老人、子どもたちがいたのではないかという。
戦争は二度としてはならない、という言葉は多くの戦争経験者が口にする。戦後生まれの筆者もそのとおりだと思っているが、戦争はダメだ、という言葉の重みをあらためて感じる。人が人を殺すのが戦争、殺されるのが嫌だからということで、他人を犠牲にしてでも自分は助かろうとする人がいるのも戦争。国のため、という掛け声で、他国の土地に出て行ったり、そこに住む人達を殺すのが戦争。人の命よりも大切なことがたくさん出てくるのが戦争。「国のため」、「国家を守る」などという言葉が出始めたら政治に警戒を怠ってはならない、というのが教訓ではないか。
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