近代歴史の流れの中で、転換点となる時期には経済的発展とともに科学技術の発見が集中してもたらされることがある。本書はイギリス、フランス、ドイツ、アメリカの各国で17世紀以降に起きてきた出来事を、科学と技術の視点から取りまとめてみたものである。
イギリスではピューリタン革命、国王処刑、王政復古、名誉革命と歴史が目まぐるしい動きをする中、科学愛好家のサークルとして王立協会が設立された。それまでは、科学的発見があった際には、知り合いに手紙で知らせることが発表に変わる手段であり、誰が最初に科学的発見をしたのかが分からない状況だった。王立協会では定期的に機関誌を発刊することで、会員発表の場を設けた。これが初めての学会誌となった。機関誌を通して、実験や数理的解析、科学的方法などが一般化していく。ニュートンやフックが活躍を始めた時代に近代科学の枠組みが生まれたのは、こうした情報共有の仕組みがもたらした僥倖だった。歴史家のバターフィールドは「ルネサンスや宗教改革以上に時代を画する出来事」とこれらを評価している。
18世紀末のフランスでは革命が起こりルイ16世、マリー・アントワネットなどが断頭台に送られた。フランスは一国ですべての欧州各国を敵に回した時代でもあった。しかしこの時代にフランスの科学は見事に花開く。ラヴォアジェの「化学原論」発表で、化学を近代科学へ導いたのが1789年のフランス革命の年。ラグランジュが解析力学を通してニュートン力学を洗練された数理体型にまとめ上げたのはその前年。ラプラスが「天体力学」を刊行したのは1790年代。今日、微分方程式などの解法で多くのこの時代のフランス人学者の名前を聞く。度量衡制定、「エコール・ポリテクニック」もこの時代にパリで開校した。カルノー、フレネル、コーシー、ポアソンなどがこの学校から輩出された。
ドイツは1871年の普仏戦争に勝利、アルザス・ロレーヌを手に入れ鉄鋼業に力を入れ始める。そこで必要とされたのが熱放射の技術による高温測定の技術。1900年にはプランクが量子力学の基礎となる仮説を提唱、20世紀の原子、電子、原子核というミクロな対象を記述する新たな理論体系が生まれた。
第一次大戦の終結とともに、核物理学は国際政治の潮流に飲み込まれ、その舞台を欧州からアメリカに移す。ドイツに産声を上げた量子力学は、核物理学から抜け出し、原子爆弾製造技術、原子炉開発などの応用技術に進化していく。最大の要因は、そこで得られる莫大なエネルギーの利用である。核にひそむ従来の化学エネルギーの100万倍にもなる巨大なエネルギーを制御し利用する方法の確立は、人類に大いなる可能性と悲劇をもたらした。
科学の進歩を促すのは、経済発展に伴う人間の欲求であり、歴史の大きなうねりでもある。科学的、技術進歩自身が逆に歴史を動かしてきたのも事実である。本書は科学的発見がいかに歴史の変転とともにあったかを検証する。