意思による楽観のための読書日記

オリガ・モリソヴナの反語法 米原万里 *****

米原さんの小説ですが、実体験に基づいたお話なのだと思います。物語は1960年のプラハで始まります。父親の仕事の都合で現地のソビエト学校に通う志摩が主人公。物語の舞台はプラハのソビエト大使館付属普通学校。「私」がこの学校の舞踊教師の人生を追っていきます。全体の状況は「嘘つきアーニャ」と同じです。
嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)
「シーマチカ」と友人たちが呼んでいる日本人女性「ヒロセ志摩」の視点から語られます。語られる対象はこの学校の舞踊教師、自称年齢50歳、結婚歴5回、優雅で、ファッショナブルで、クラシックバレーから各国の民謡、タタール女の踊り、ベトナム舞踊、ツイスト、チャールストンも踊ってしまうチェコ国籍のオリガ・モリソヴナです。オリガ・モリソヴナとはソビエト学校の舞踊の先生の名前で、相当なお年なはずなのに引き締まった体で、何よりも彼女の特徴は褒めたらその裏返しであり、それは痛烈な罵倒だということ。この先生のダンスの授業、先生の「罵倒」から始まります。子供たちはみな、先生が「すばらしい、天才的」と言うのは「うすのろで全くだめ」の意味だと知っています。学校では「反対の内容を述べることによって逆に自分の考えを相手に強く認識させる表現法」即ち「反語法」を駆使し恐れられているのですが、モリソヴナ先生は生徒には畏敬の念をもたれた強い印象を与えた先生でもありました。大きな口に真っ赤な口紅、染めた金髪はライオンのたてがみ、マニキュアをつけた長い爪からは血が滴り落ちてきそうな、派手なモリソヴナ先生の指導した学芸会の踊りは大好評、その反語法とともにこの学校にとっては欠かせない存在でした。

舞台は1992年2月のモスクワに飛びます。東京でバレリーナになる夢を捨ててロシア語通訳をしながら息子の竜馬を育てた志摩は、30数年ぶりでソ連邦が崩壊した翌年モスクワに出かけ、エストラーダ劇場のロビーで、この劇場の前身で、1936年まで続いていたモスクワ・ミュージック・ホールの展示写真のなかにモリソヴナ先生を見つけます。先生はディアナという芸名でした。ここから志摩の調査が始まります。彼女はプラハ時代の学友カーチャを探しだして、二人でモリソヴナの秘められた過去の謎を解くためにモスクワ市内を訪ね歩きます。現在のモスクワ・エストラーダ劇場のプリマであるナターシャもこの調査に加わります。残された時間は、志摩のビザが切れるまでの4日間という設定。

モリソヴナ先生の友人でありソビエト学校のフランス語教師エリオノーラ・ミハイロノヴナがソ連スターリン体制の時代に辛酸なめにあい、如何に生き延びてきたか、物語ですのでフィクションですが、チェコに実際に暮らしていた米原さんが体験したスターリン体制下の現実は、家族の一人にでも疑がかかるとその他の家族や係累まで逮捕されラーゲリに入れられ拷問されるという苛酷な歴史と重ね合わせ、モリゾブナ等がそうしたその時代の体制の被害者であったことが語られています。

プラハ時代の志摩は転入してきたレオニードに夢中になったのですが、彼を目の前から奪ったのは、転入してきたジーナでした。ジーナは東洋人の顔をしているがすばらしいバレーを踊ります。不思議なことに、モリソヴナ先生も、古風で美しいフランス語とロシア語を話すエレオノーラ・ミハイロブナ先生の二人とも、このジーナを「私の娘」と呼んでおり、ジーナはこの二人に「ママ」とよびかけている。そして3人は一緒に住んでいるのです。

オリガ・モリソヴナには謎がたくさんありました。彼女はソビエトから派遣された教師ですが、強烈な個性を持ったオリガ・モリソヴナが、どうして党機関の審査をパスできたのか。そして、時々見つけてしまったフランス語教師のエレオノーラ・ミハイロヴナとの密談。「アルジェリア」という言葉への過敏な反応、「バイコヌール」という言葉を聞いたときに弱々しい悲鳴とともに失神したエレオノーラ・ミハイロヴナ。それをそばで見たときのオリガ・モリソヴナの表情。この二人の先生の過去が少しずつわかってきます。二人は刑を終え逃げ延びたのがチェコのプラハ。そこで二人はソビエト学校の教師となり、志摩やカーチャと出会うことになったのです。

謎を解くカギはエストラーダ劇場にあったのです。ナターシャがこの劇場の当時の衣装係マリヤ・イワノヴナを見つけ出した。劇場で踊っていたダンサー ディアナの本名はバルカニヤ・ソロモヴナ・グットマン、通称バラであった、と彼女は言います。名前が違うとは予期していませんでした。調査は最初から大きな壁にぶつかります。志摩の語学者としてのカンが救いなり、話は意外な発展をします。「バラの母親はフランス人で『本国で喰いっぱぐれてロシアに流れてきた』というマリヤの一言から、志摩はモリーソヴナ、すなわちバラのロシア語がフランス訛りであったことを確認したのです。ロシア語では限りなく豊富な罵倒語があって、移民の子供であるためにこの手の言葉を使いこなせなかった先生が、それを補うために、彼女特有の反語法を使用していた、という事実まで分かってきます。

バラは、ミュージックホールの閉鎖後、ボリショイ劇場のキャラクターダンサーになっていましたが、1937年ロシアの内務人民委員部に逮捕されました。彼女は、同棲していたピアニストのリョーシャに愛想をつかして、以前からバラに熱を上げていたマルティネクというチェコの外交官と1ヵ月後にチェコで結婚することとし、マルティネクは彼女を残して帰国します。バラは彼を停車場で見送った直後駅頭で逮捕されたのでした。嫉妬したリョーシャが密告したのです。

バラは、中央アジアのバイコヌールのラーゲルに送られ、8年の厳しい年月を生き抜いたことを、志摩たちはつきとめました。ラーゲル生き残りの女性たち、舞台のディアナを忘れていない人々、そして、スターリンの「粛清」を追及・糾弾し、被害者の救援をつづけているボランティア団体「メモリアル」など多くの人々の協力の結果でした。「メモリアル」には、「バルカニヤ・ソロノヴナ・グットマンは1938年1月21日に銃殺された」という記録がありました。不思議なことに、ラーゲルの囚人、そして同時に医師として生き抜いたとき、バラの名前はバルカニヤ・ソロノヴナとしてでなく、オリガ・モリソヴナに変わっていたのです。

バラより少し遅れて彼女の腹違いの妹も別件で逮捕されてこのブトゥイルカ監獄に一時収容されていたこともわかります。姉妹は監獄の中で再会、妹は、自分は夫に連座して逮捕されただけであるから流刑ですむのですが、スパイ罪の姉は死刑を宣告されることを予知していました。ここで二人は「変身」するのです。妹は消化器専門の医者でしたが、胃ガンに蝕まれており、職業柄自分の死期の近いのを知っていました。彼女は、どうせ死ぬなら、姉に成りすまして銃殺される運命を選ぶことを決意し、自分と名前を交換しよう、とバラに申し出ます。この妹の名前こそオリガ・モリソヴナだったのです。姉は躊躇しながらもこれに同意、妹はブートヴォ監獄に送られて銃殺され、バラは妹の名前で中央アジアに流刑となったのです。

バラはやオリガ・モリソヴナに変身したからには、中央アジアの収容所でも医師として行動しなければなりませんでした。彼女もまた、軍医だった父の遺言に従って一時医学校に入学して勉強したという経歴があったのです。その後ダンスへの情熱が、彼女に医学校の中退と舞台への道を選ばせていたのでした。バラは、医学校時代の知識を生かして医師オリガ・モリソヴナ・フェトとして、8年間の刑期中、収容所の中で罪無くして囚われた人々のために献身的に働いたのでした。

収容所の医師オリガ・モリソヴナが実はバラであることに気が付いた女性が収容所に2人いました。彼女たちはこの秘密を誰にも話しませんでした。しかし、うちの一人、ガリーナ・エヴゲニエヴナは、ソ連崩壊後、アルジェリアと囚人たちが名づけていたこのカザフスタンの収容所の経験を雑誌に発表したのです。しかし、彼女はこの記事の中でも、この「入れ替わり」のことだけについては書きませんでした。

最後に彼女らは、志摩の「恋敵」であったジーナを探し出します。ジーナは同じくスターリンの「粛清」の犠牲になった両親たちの子供を収容していた孤児院に入れられていたのですが、エレオノーラ・ミハイロブナ先生と、オリガ・モリソヴナ先生の二人によって助け出されたものであることが判明します。彼らがどのようにしてソ連からプラハに逃れ、国籍までチェコ国籍に変えられたのかという経過も明らかになりました。すべてはバラと結婚するはずであったチェコの外交官の助けによるものでした。そして最後にジーナは、志摩が片思いとしてあきらめていたレオニードが本当に好きだったのは、ほかならぬ志摩であったことも話してくれます。

「オリガ・モリソヴナの全てが反語法だったのだと思えてきます。喜劇を演じているかのような衣装や化粧や言動は、その裏のむごたらしい悲劇を訴えていたのでしょうか。『えっ、もう一度言ってごらん、そこの天才少年!ぼくの考えでは・・・だって!!フン、七面鳥もね、考えがあったらしいんだ。でもね結局はスープの出汁になっちまったんだ。分かった!?』 オリガ・モリソヴナの反語法は、悲劇を乗り越えるための手段であったのだ。」 米原さんは、スターリン時代の人権を踏みにじる苛酷な歴史を暴きながら、それにも耐えてその悲劇を乗り越えるために生きてきた女性の強さを描いてくれました。モリソヴナは言います。「ああ神様! これぞ神様が与えて下さった天分でなくてなんだろう。長生きはしてみるもんだ。こんな才能はじめてお目にかかるよ! あたしゃ嬉しくて嬉しくて嬉しくて狂い死にしそうだね!」

米原さんはすでに亡くなり、新しいエッセイや小説は期待できないのですが、この本のような語り口、米原さんに大いに影響を受けた人たちが、米原さんのような批判精神、反骨精神、直截な語り口のいい面を引き継いでくれることを期待してやみません。すばらしい小説、本当に心に残しておかなくてはならない歴史の話です。
オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

ユリイカ2009年1月号 特集=米原万里
不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)
打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)
魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)
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他諺の空似―ことわざ人類学 (光文社文庫)
ロシアは今日も荒れ模様 (講談社文庫)
ロシアは今日も荒れ模様 (講談社文庫)
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