意思による楽観のための読書日記

シマノ 世界を制した自転車パーツ 山口和幸 ****

シマノの「デュラエース」、自転車乗りならまあ誰でも知っている自転車パーツの最高級品、実はジュラルミン+エースの造語だったことが紹介されています。1999年、シマノは自転車レース「ツール・ド・フランス」を制しました。「デュラエース」搭載車が初優勝を遂げたのです。その後ツール・ド・フランスを4連覇しました。ランスアームストロング用のペダル、ツール・ド・フランスでの勝利、冷間鍛造、つまり熱を加えず金属を室温で、金型を用いて圧縮成型する技術、ギアチェンジをするときにスムーズにギアが変わる発見、緻密で積極的な海外戦略などシマノが日本メーカから世界のシマノに飛躍する歴史が紹介されています。このシマノもはじまりは、堺の小さな町工場でした。シマノがヨーロッパでの自転車ロードレースを意識して、デュラエースを発売したのは72年。自転車業界で初めて、変速機、ブレーキ、クランクなどを一つのコンポーネントセットとして設計、発売しました。僕の大学の同じクラスのH.K君がシマノに就職した、ということも思い出します。そういえばうちの学科は金属材料を専攻する人が多く、H.K君はひょっとしたらジュラルミンを研究していたのか。僕も卒論のテーマはチタン銅合金の疲労特性、先読みできていればシマノに入れていただき、チタン製のコンポーネントを開発するチームに、と妄想が広がります、これが77年。僕がロードレーサーを初めて買ったのは78年、当時デュラエースは買えなかったので、Shimano600というコンポーネントにしてもらい、とにかくDura-Aceというシールを自転車に貼ってもらいたかったので、クランクだけはDura-Aceにしたのを思い出します。そのシマノ、1979年には空気抵抗が少ないことをうたい文句にした「デュラエースAX」を発売するのですが、ペダルが壊れたりして返品が殺到、経営が傾く危機に見舞われました。1981年には開発が独善的だったとの反省から営業企画部を立ち上げ、お客様の声を聞き市場のニーズを探ることで巻き返しを図ります。

ブレーキとシフトレバーが一つになったSTI、ライバルサンツアーとの競り合い、シマノレーシングチームの存在、アトランタオリンピックを目指した戦い、などなど、技術者魂とでもいう逸話がいっぱい紹介されています。

シマノの技術者は、。イタリアのコンポーネントメーカーでヨーロッパではシェア占状態の名門、カンパニヨーロが実は大好きな技術者たちがそれに負けないものを日本で作ろうと考えているのです。自分が考えた技術に自信があるなら堂々と主張する文化、がシマノを発展させてきたのでしょう。本当にエンドユーザが求めているものが売れるもの、営業が「これは売れそうだ」という話を鵜呑みにしてはいけないんだ、という技術者魂がある。好きなことを仕事にするのが技術者にとっては最高の生き甲斐になる、シマノというのはそういう会社なんですね。
シマノ 世界を制した自転車パーツ

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