意思による楽観のための読書日記

臓器農場 帚木蓬生 ****

サスペンス小説であり、人が2人殺されるストーリー、無脳症児の臓器を臓器移植希望者に販売する、という重いテーマにもかかわらず、読み終わったあとの印象は爽やかな小説。

海沿いの田舎町の山の中腹にある病院が舞台、看護師養成短大を卒業した規子は聖礼病院に看護婦として就職、自宅からケービルカーで通勤するようになる。同期の優子とともに看護婦としての仕事に就く規子は小児科、優子は産婦人科に配属される。臓器移植で全国的に有名な病院、優子によると特別産婦人科病棟があるという。不審に思った優子の誘いで規子も一緒に特別病棟に忍び込む。一般の看護婦や医師には秘密の病棟が確かに存在することを知る二人。このことを同じ病院の医師、的場に打ち明けると的場も同様の不信感を抱いている。的場も独自に調査、特別病棟で無脳症児の臓器培養が行われているのではないかという証拠の一端をつかむが、車の事故で死亡、規子はその死因に不審を抱く。

規子はケーブルカーの車掌で多少知能障害のある藤田茂と知り合う。茂もケーブルカーへの乗客を毎日見ていて、不審な乗客の目星をつけている。規子の同期優子はさらに調査を進め、無脳症児が沢山培養されている現場を見るが、自殺に見せかけられた形で死んでいるのが見つかる。危機感を抱く規子は、的場から預かった証拠品を茂に預ける。結局、病院の副院長や無脳症児の臓器移植研究に携わる医師などの行為が警察と的場や優子、規子の調査により明らかになり、病院が裏で組織的に臓器培養を行い、臓器移植をビジネスとして展開、研究費用を賄っていたことが発覚、聖礼病院は再起を期す、というお話。

いくつかのポイントがあると思う。一つは無脳症児の発生が妊娠中の女性の大量ビタミンAで発生する、という研究、1995年頃に明らかになったという話を一つの切り口として物語は進む。実際にあった話をベースとしているだけに現実感がある。看護婦としての仕事に対する責任感を規子が自分の科白として語るのも、医療経験がある筆者だからこその描写だと感じる。そして何よりは「無脳症児」に命はあるのかという重いテーマ。これは藤田茂に語らせている。「無脳症児も生きている」というのが茂の意見、脳死の赤ちゃんからの臓器移植に一つの問題点を提示している。赤ちゃんとは無生物が生物になった瞬間の存在、その赤ちゃんの生死の判定と臓器移植には医学的知識が不可欠であり、だからこそ移植判定会議で判断される。そこで妥当と判定されれば、それが後に問題になったとしても、警察や裁判での正否の判断は難しくなる。無脳症児の臓器による移植はこうした問題の隣接分野の問題である、これが本小説のメインテーマ。

このように重いテーマと殺人サスペンスを爽やかな印象に仕上げた筆者の筆の力に一読者として感謝である。
臓器農場 (新潮文庫)

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