心の中、襞にしみこむような印象を持つ小説、脳内細胞と胸にじんじんじん響く、というのが読後感である。時代は743年、聖武天皇が紫香楽から奈良に遷都、東大寺を建立して大仏を作るため日本国中から原材料を調達、何千人という人足も徴用されるという状況。
主人公の国人(クニト)は17歳、兄の広国と共に周防長門の国の奈良登という銅鉱山で人足として課役にある。まだひ弱な体つきの国人は何かにつけて兄の広国にカバーしてもらいながらなんとか切口という銅炭坑の鉱石採掘を担当している。どうして自分はこのような課役をしなければならないのか、もっと楽な仕事はないのかと疑問を持つ国人だが、兄の事故死の後、広国が慕っていた修行僧景信を知り、墓標の漢字の読み方を習うことで、一気に世界が広がる。景信は素直で好奇心のある国人に漢字を教え、千字文を教えていく。景信は山の側面に大仏と同じ大きさの仏を彫っている。何年かかるかわからない一人作業であるが、自分に課したミッションであるかのように彫像に打ち込む。兄の事故のあと、国人は耳と口が不自由な黒虫とペアを組んで仕事をする中で、黒虫が些細な日常の出来事を楽しみ、苦しみの中にも楽しみ、幸福を感じる様を知る。漢字を学ぶこと、黒虫の心の持ち方を知ることで自分の未熟さを知る。
何事にも一生懸命な国人は頭や同僚から信頼され、素直に境遇を受け入れることができるため、景信からも次々と知識を吸収する。17歳からの5年間、奈良登の鉱山で、切口から鉱石を焼く釜屋へ、そして精錬する吹き床を経験させられ、国人は若くして真吹銅ができるまでの全プロセスを経験する。景信からは薬草の知識も授けられ、同僚や頭の病気も治してやることができるようになる。頭の娘で絹女(キヌメ)と知り合い、思いを寄せる。絹女も国人におもいを寄せている。22歳になったとき、他の14人と共に奈良の都に廬紗那仏建立のために上洛することになる、一番の若手である。このころには漢字も読める、立派な体つきの若者に成長している。
奈良登から川沿いに船で瀬戸内海に出て、そこから漕ぎ手と一緒に船を進めて苦労を重ねて奈良までたどり着く。途中、一人が死に、海賊にも出くわす。一ヶ月半程度の道程だがこの程度の旅は当時命がけの旅行だったことが描かれる。それでも徴用にあって都に向かうときには役人が同行し、費用は国が持つ、帰りは自分の裁量と費用負担で、危険な目にも遭うという。
都ではいつまでの課役なのかはわからないまま大仏の建設を担当する。土の大仏を作った上に外側から型をつけていって隙間に銅を流し込むという方法。奈良登の銅が最も良質のものであることを国人たちは知る。都でも国人は多くの人たちと知り合う。時が読み書きできること、薬草の知識があることは国人を助け、交流を広める。また、素直に境遇を受け入れ、与えられた使役を黙々とこなす国人は頭達から信頼を受ける。景信が師と仰ぐ行基の兄弟弟子であったという基豊にも会いに行くが、菅原寺の高僧となっていた基豊の高慢な態度に国人は落胆する。行基が開いたという悲田院では捨て子や行き倒れの老人を引き取って面倒を見ているが、そこでの無名の僧は、黙々と世話を焼いている。一生ここでこうした人たちの面倒を見たいとその無名の僧は言う。国人は高僧となった基豊と無名の僧、そして奈良登でひとり山に大仏を彫る景信を思う、いったいどちらが民のためになるか。大仏は銅を流し込んで銅像になるまでは若草山の上からでも見えたのが、その後大屋根で囲われ、民衆からは見えなくなる。ここでも、見えなくなって大切に保管される東大寺の大仏と、景信の山の斜面にあり誰からでも見られる大仏、どちらが民のためになるかを考える。
5年の課役の後、奈良登の仲間3人と若狭に帰る1人と一緒に若狭から日本海周りで長門に帰ることになる。途中、仲間の2人は死んでしまう。帰りも苦労を重ね、思いを寄せていた絹女と景信との再会を期待する。しかし二人ともすでにこの世の人ではなくなっている。物語は出会いと別れ、老病死であふれている。所々に挿入される漢詩、仏の教えが効果的に国人の気持ちを代弁する。銅採掘から精錬を担当し、大仏建立の使役を経験した国人は、長門から難波津まで船で運んでくれた船子や、途中で出会う百姓、大仏殿の大柱を切り出し、そして運搬する人足などそれぞれの苦労と苦しみ、そして専門性があることを痛感する。どんな仕事にも苦労と喜びがあること、それが世の中の成り立ちであることを若い健康な体でそして素直な心で学ぶ。また、百済や唐という大陸や半島からの知識と技術がなければ日本の近代化はなかったことを知る。大仏、仏教、精錬、学問これらはすべて大陸・半島渡来者によって日本にもたらされたこと、これが8世紀の日本の近代化であったことを知る。
8世紀の日本が病気や怪我で命を落とす人であふれていたこと、薬草は重要であったこと、人々の貧しい食生活と、頭や役人との生活格差、律令国家としての日本が九州や東北まで勢力を広げ、長門の銅、武蔵の金を奈良に集め、人足や衛視を日本中から徴用していたことを描く。日本の国としての出発の時代である。作者は当時の病とその治療、そしてその甲斐もなく死んでいく人たちを描くことで、当時の衛生事情や人々の一生の短さを描く。骨折で命を落とした広国、聾唖だった黒虫、痔疾で苦しんだ奈良登の頭、血の道の病で苦しんだ貴人、足が麻痺して歩けなくなった都での国人の恋人などが描かれ、それにヨモギやコウホネ、スイカヅラなどが利くことが描かれる。読者は自分が国人になったかのような気持ちで読んでしまうため、自分も少しは仏の教え、人生の悲しみ、人との出会いと別れなどを学んだ気がするのが不思議だ。
読み終わってもしばらくは「じんじんじん」という頭の中の感触を楽しみたい本、もう一度すぐにでも読み返してみたくなる本、こういう小説は17歳から22歳の高校生、大学生が読むと、大きな影響を受けると思う。本書は名作である。