大切な仲間が旅立っていきました。
重度の障がいに向き合う彼から、強さを教えられ、
その障がいをしっかり自分に引き受ける彼から、やさしさを教えられ、
そんな彼だからこその視点から、多くのことを教えてもらいました。
私が、たくさん励まされ、支えられたように、
彼のメッセージが、誰かの力になるかもしれない、
そう思うので、こちらに転載させていただきます。
重力から解放されて、自由になった、にぽぽさんへ・・・
チーム『宇宙の約束』への想い(副代表の想い)
今日は、副代表として、そして、個人として、チーム『宇宙の約束』への想いを語らせてもらいます。
私がチーム『宇宙の約束』に出逢ったのは、2007年12月15日。
しま平くんが最初に開催した『1/4の奇跡』の上映会でした。
しま平くんとは、2006年頃から友人で、見せたい映画があるからと紹介してくれました。
この日、地元で別のイベントがあり、行く予定ではなかったのですが、何か思うことがあり、直感的にその地元のイベントをキャンセルし、しま平くんが開催した上映会の方に駆けつけました。
なぜ、そこまでして、上映会に駆けつけたのか。
映画を見てわかりました。
自分が、一番、必要としていること。
「障がい」という言葉を受け入れること。
この映画に出逢って、はじめて自分が「障がいを持って産まれた自分」を、素直に認められるようになったと感じます。
私は、10年以上、某NGOに関わり、地球環境や国際支援などの啓発活動にボランティアで関わり、イベントを開催したりキャンペーンを組んだりして、楽しく過ごしてきていました。
沢山の方々と色々と関わってきて、その中で自分という存在を肯定的に感じること、認めることも少しずつできるようになってきていました。
でも、1つだけどうしても乗り越えられない部分がありました。
それが「障がい者」という自分でした。
「障がい」という言葉でした。
どんなに頑張っても、どんなに自分を認めたとしても、「障がい」という部分に対してだけは、激しい嫌悪感があり、どうしても認められない、乗り越えられない自分がいました。
だから、障がいを持った友人は1人もいなくて、しま平くんが唯一、その障がいを持った友人でした。
私は、骨形成不全症という骨の折れやすい病気を持って産まれてきました。
小さい頃か、自分を否定し続けてきました。
そして、周りに負けてなるものかと、頑張って踏ん張って生きて来ました。
気を抜いたら負ける。
気を抜いたらダメなんだ。
そんな想いの中、がむしゃらに生きて来て、自分も周りも信じられない自分が出来上がってきました。
そのせいもあってか、「障がいなんてあってはならない」と思い込み、それを否定し続け、拒否し続け、自分が持つ障がいに対しても、見て見ないふりをして、逃げ回っていたのだと思います。
しま平くんに出会い、チーム『宇宙の約束』に出会い、唯一、心の中ででかい壁となっていた「障がい」も、壊すことができました。
自分の中で一番の重荷になっていたことで、それが降ろせたことは、自分にとって、喜びとなり、希望となりました。
本当に、ありがたいと感じています。
私は、ずっと、ずっと伝えたい想いがあります。
それは「誰ひとりとして、悲しくて泣くようなことのない世界にしたい」。
そして、「誰もが共に生きられる世界を創りたい」でした。
皆が許し合い、皆が励まし合い、皆で助け合い、皆で歩み、皆で生きていく。
誰ひとりとして例外なく、全ての人が輝きの中で生きていける世界。
そんな世界を創りたいと、ずっと、思って来ましたし、その想いを実現するために、
10年以上、様々な啓発活動などをしてきました。
チーム『宇宙の約束』のキャッチフレーズ「~すべての人が認めあえる世の中へ~」。
まさしく、この想いそのもので、その想いに共感して、本格的に関わらせてもらい、今、副代表をさせてもらっています。
すべてが安らぎと共に、笑顔でいられますように。
そんな想いが少しでも拡がりますように。
今までも、これからも、この想いを胸に歩み続けて行きたいと思っております。
チーム『宇宙の約束』共々、皆様、どうぞ、よろしくお願いいたします。
チーム『宇宙の約束』副代表 武市敬広(にぽぽ)
重度の障がいに向き合う彼から、強さを教えられ、
その障がいをしっかり自分に引き受ける彼から、やさしさを教えられ、
そんな彼だからこその視点から、多くのことを教えてもらいました。
私が、たくさん励まされ、支えられたように、
彼のメッセージが、誰かの力になるかもしれない、
そう思うので、こちらに転載させていただきます。
重力から解放されて、自由になった、にぽぽさんへ・・・
チーム『宇宙の約束』への想い(副代表の想い)
今日は、副代表として、そして、個人として、チーム『宇宙の約束』への想いを語らせてもらいます。
私がチーム『宇宙の約束』に出逢ったのは、2007年12月15日。
しま平くんが最初に開催した『1/4の奇跡』の上映会でした。
しま平くんとは、2006年頃から友人で、見せたい映画があるからと紹介してくれました。
この日、地元で別のイベントがあり、行く予定ではなかったのですが、何か思うことがあり、直感的にその地元のイベントをキャンセルし、しま平くんが開催した上映会の方に駆けつけました。
なぜ、そこまでして、上映会に駆けつけたのか。
映画を見てわかりました。
自分が、一番、必要としていること。
「障がい」という言葉を受け入れること。
この映画に出逢って、はじめて自分が「障がいを持って産まれた自分」を、素直に認められるようになったと感じます。
私は、10年以上、某NGOに関わり、地球環境や国際支援などの啓発活動にボランティアで関わり、イベントを開催したりキャンペーンを組んだりして、楽しく過ごしてきていました。
沢山の方々と色々と関わってきて、その中で自分という存在を肯定的に感じること、認めることも少しずつできるようになってきていました。
でも、1つだけどうしても乗り越えられない部分がありました。
それが「障がい者」という自分でした。
「障がい」という言葉でした。
どんなに頑張っても、どんなに自分を認めたとしても、「障がい」という部分に対してだけは、激しい嫌悪感があり、どうしても認められない、乗り越えられない自分がいました。
だから、障がいを持った友人は1人もいなくて、しま平くんが唯一、その障がいを持った友人でした。
私は、骨形成不全症という骨の折れやすい病気を持って産まれてきました。
小さい頃か、自分を否定し続けてきました。
そして、周りに負けてなるものかと、頑張って踏ん張って生きて来ました。
気を抜いたら負ける。
気を抜いたらダメなんだ。
そんな想いの中、がむしゃらに生きて来て、自分も周りも信じられない自分が出来上がってきました。
そのせいもあってか、「障がいなんてあってはならない」と思い込み、それを否定し続け、拒否し続け、自分が持つ障がいに対しても、見て見ないふりをして、逃げ回っていたのだと思います。
しま平くんに出会い、チーム『宇宙の約束』に出会い、唯一、心の中ででかい壁となっていた「障がい」も、壊すことができました。
自分の中で一番の重荷になっていたことで、それが降ろせたことは、自分にとって、喜びとなり、希望となりました。
本当に、ありがたいと感じています。
私は、ずっと、ずっと伝えたい想いがあります。
それは「誰ひとりとして、悲しくて泣くようなことのない世界にしたい」。
そして、「誰もが共に生きられる世界を創りたい」でした。
皆が許し合い、皆が励まし合い、皆で助け合い、皆で歩み、皆で生きていく。
誰ひとりとして例外なく、全ての人が輝きの中で生きていける世界。
そんな世界を創りたいと、ずっと、思って来ましたし、その想いを実現するために、
10年以上、様々な啓発活動などをしてきました。
チーム『宇宙の約束』のキャッチフレーズ「~すべての人が認めあえる世の中へ~」。
まさしく、この想いそのもので、その想いに共感して、本格的に関わらせてもらい、今、副代表をさせてもらっています。
すべてが安らぎと共に、笑顔でいられますように。
そんな想いが少しでも拡がりますように。
今までも、これからも、この想いを胸に歩み続けて行きたいと思っております。
チーム『宇宙の約束』共々、皆様、どうぞ、よろしくお願いいたします。
チーム『宇宙の約束』副代表 武市敬広(にぽぽ)
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