同じ日に、
夫の父からの手紙と、
私の母校であるノートルダム清心女子短大同窓会のニュースレターが
郵便で届きました。
「渡辺総監の次女が貴女の大学の創設者であり、理事長と云うことは知りませんでした」
と添えられた封筒に、二・二六事件とシスター渡辺が紹介された新聞記事が入っていた
父からの手紙。
ニュースレターのほうは、
ちょうど今回、私も原稿を出させていただいたのですが、
1ページ目には
「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」
というメッセージが書かれていました。
言葉は違うけれど、
今回の記事のタイトルに使わせていただいた
「置かれた場所で咲きなさい」も、
同じ意味合いが込められているのだと思います。
「置かれた場所で咲きなさい」
シスター渡辺のご著書のタイトルです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/da/ed63882f3d7b07c02c8dab85fe495565.jpg)
あたたかいメッセージの詰まったこの本は、
東日本大震災の後、4月に発行され、
私が購入したのは、【50万部突破】という帯のついた、
同年8月の第17刷のものです。
きっと、たくさんの人の、心の支えになっていることでしょう。
この本の第4章に、
「九年間に一生分の愛を注いでくれた父」という題で、
二・二六事件で、目の前で殺害された渡辺錠太郎氏のことを
書いておられます。
シスターご自身の、
数々の試練や苦しさを乗り越えてこられたからこその
深いやさしさに包まれる本。
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉も、
シスターご自身が、修道院を出ようかとまで思いつめた苦しい時に、
ある宣教師の方が渡してくださった詩だそうです。
私は変わりました。そうだ。置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり、自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。
いただいた詩は、「置かれたところで咲きなさい」の後に続けて、こう書かれていました。「咲くということは、仕方がないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明することなのです」
~ 中略 ~
結婚しても、就職しても、子育てしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。
どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。
※緑字部分引用転載
そうは言っても、あまりにも理不尽な死が訪れることもあります。
シスターは、この本の最後のエピソードとして、
東日本大震災のことにも触れ、
どう生きていくべきか、綴っておられます。
政治が人を守らない・・・
そんな状況に黙っておれない気持ちになってしまうのですが、
それも、突き詰めると、
日々出逢う人とどう接し、どう生きていくか、
その積み重ねが社会をつくっていくのだなぁと、
毎日をていねいに生きること、
試練さえも、両手でいただく生き方ができるよう、
強くなりたいと思います。
人間不信が募った中学・高校時代の後の短大生活は、
私の人生の転機となった2年間です。
そこで出逢った " Only you can make you happy " という言葉を大切に生きてきて、
今、思うと、
「置かれた場所で咲きなさい」
「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」
と、やはり通じるものがあって、嬉しく感じます。
どんなところに置かれても
花を咲かせる心を
持ち続けよう。
境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。
「現在」というかけがえのない時間を精一杯生きよう。
※緑字部分は「置かれた場所で咲きなさい」より引用転載
※仏教、神道、アニミズムなど、様々な宗教から学ばせていただいていますが、
現在のところ、特定の宗教を信仰しているわけではありません。
特にタブーとなることはなく、お気遣いいただく必要はありませんので、
念のため記載しておきます。
夫の父からの手紙と、
私の母校であるノートルダム清心女子短大同窓会のニュースレターが
郵便で届きました。
「渡辺総監の次女が貴女の大学の創設者であり、理事長と云うことは知りませんでした」
と添えられた封筒に、二・二六事件とシスター渡辺が紹介された新聞記事が入っていた
父からの手紙。
ニュースレターのほうは、
ちょうど今回、私も原稿を出させていただいたのですが、
1ページ目には
「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」
というメッセージが書かれていました。
言葉は違うけれど、
今回の記事のタイトルに使わせていただいた
「置かれた場所で咲きなさい」も、
同じ意味合いが込められているのだと思います。
「置かれた場所で咲きなさい」
シスター渡辺のご著書のタイトルです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/da/ed63882f3d7b07c02c8dab85fe495565.jpg)
あたたかいメッセージの詰まったこの本は、
東日本大震災の後、4月に発行され、
私が購入したのは、【50万部突破】という帯のついた、
同年8月の第17刷のものです。
きっと、たくさんの人の、心の支えになっていることでしょう。
この本の第4章に、
「九年間に一生分の愛を注いでくれた父」という題で、
二・二六事件で、目の前で殺害された渡辺錠太郎氏のことを
書いておられます。
シスターご自身の、
数々の試練や苦しさを乗り越えてこられたからこその
深いやさしさに包まれる本。
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉も、
シスターご自身が、修道院を出ようかとまで思いつめた苦しい時に、
ある宣教師の方が渡してくださった詩だそうです。
私は変わりました。そうだ。置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり、自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。
いただいた詩は、「置かれたところで咲きなさい」の後に続けて、こう書かれていました。「咲くということは、仕方がないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明することなのです」
~ 中略 ~
結婚しても、就職しても、子育てしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。
どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。
※緑字部分引用転載
そうは言っても、あまりにも理不尽な死が訪れることもあります。
シスターは、この本の最後のエピソードとして、
東日本大震災のことにも触れ、
どう生きていくべきか、綴っておられます。
政治が人を守らない・・・
そんな状況に黙っておれない気持ちになってしまうのですが、
それも、突き詰めると、
日々出逢う人とどう接し、どう生きていくか、
その積み重ねが社会をつくっていくのだなぁと、
毎日をていねいに生きること、
試練さえも、両手でいただく生き方ができるよう、
強くなりたいと思います。
人間不信が募った中学・高校時代の後の短大生活は、
私の人生の転機となった2年間です。
そこで出逢った " Only you can make you happy " という言葉を大切に生きてきて、
今、思うと、
「置かれた場所で咲きなさい」
「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」
と、やはり通じるものがあって、嬉しく感じます。
どんなところに置かれても
花を咲かせる心を
持ち続けよう。
境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。
「現在」というかけがえのない時間を精一杯生きよう。
※緑字部分は「置かれた場所で咲きなさい」より引用転載
※仏教、神道、アニミズムなど、様々な宗教から学ばせていただいていますが、
現在のところ、特定の宗教を信仰しているわけではありません。
特にタブーとなることはなく、お気遣いいただく必要はありませんので、
念のため記載しておきます。
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