【must do】があまりにも多く(want to doではなく)、
体調も悪かったりで、
ブログはおろか、FB&Twitter(連動投稿にしている)すら更新できていない。。
でも、ここのところ、ずっと気になっていることがある。
沖縄の基地問題を特集していたテレビ番組で、
「基地反対の声ばかり取り上げないでほしい。
基地があって助かっている人や、
基地のイベントを楽しみにしてる人もたくさんいる」
という視聴者からの投稿が紹介されていた。
それはそれで、よく分かる。
だけど、それは、
「どんな未来をつくっていくか」の思考があった上で、
選ばれた選択なのだろうか?
(「反対」の人が深い思考に基づいていると主張するものではありません)
もちろん、
「基地」の問題は国の政策であり、
沖縄の人たちだけで選択できることではなく、
むしろ沖縄の人たちにとっては選択の余地を与えられないまま、
現在に至っていると感じている。
基地の問題は、
あまりにも規模が大きく、
長い時間にわたって培われたものもあり、
また、関わる要素が多いので、
例としてふさわしくないかもしれないけれど、
ここのところ、ずっと気になっているのは、
目先の楽しいこと、
刹那的にラクな道を選ぶ傾向、
衝動的な行動をとる傾向が、
増えてしまっているのではないかということ。
個人の場合にしてもそうなのだけれど、
もう少し大きな問題、
例えば、現在日本全国で注目の「にぎわい」「活性化」にしても、
「楽しそうなことを作り出して、人を集めよう」
という短絡的な方向に思えてならないことが多くある。
より多くのサービス、
より手厚いサービスを生み出すことは、
経済の伸び代を生み出し、経済成長を支えてきたのだと思う。
だけど、
その「サービス」こそが、
刹那的にラクな道を選ぶ人を増やしてしまってはいないだろうか?
責任転嫁する人を増やしてしまってはいないだろうか?
家賃の安い市営住宅の入居条件に、
PTA役員を引き受けること、消防団に入ることなどの条件をつけている下條村が、
全国トップの出生率を誇っていることや、
長坂さんの過酷な人生と、そのたくましさ(←さっき投稿した記事)や、
昨日、訪問させていただいた陶芸家さん(年間3000人以上に指導)の
「指先が動かない子どもがものすごく増えている」というお話や、
若い人たちの農村回帰の流れや、
いろんな情報が頭の中をぐるぐると駆け巡りながら、
「適切な公共サービスとは、いかに?!」
と考える日々です。
禅問答のような、
哲学のような、
そんな日々です(^_^;)
ポポロ館長の作田さんから
「哲学カフェをやりましょう!」
というお誘いもいただいていますが、
温めている企画も盛りだくさん!!!
1つひとつ、生み出して、育てていかなくては(^^)!
私としては、
☆食べて元気になる!
☆学んで元気になる!
☆動いて元気になる!
をコンセプトに、
三原のまちの活性化に取り組んでいきたいと思います
あらら。
書き始めの趣旨・タイトルとずれてしまった気もしますが、
自ら思考し、ビジョンを描くことが、
より良い選択につながり、
望ましい未来につながるのではないかと思うのです。
体調も悪かったりで、
ブログはおろか、FB&Twitter(連動投稿にしている)すら更新できていない。。
でも、ここのところ、ずっと気になっていることがある。
沖縄の基地問題を特集していたテレビ番組で、
「基地反対の声ばかり取り上げないでほしい。
基地があって助かっている人や、
基地のイベントを楽しみにしてる人もたくさんいる」
という視聴者からの投稿が紹介されていた。
それはそれで、よく分かる。
だけど、それは、
「どんな未来をつくっていくか」の思考があった上で、
選ばれた選択なのだろうか?
(「反対」の人が深い思考に基づいていると主張するものではありません)
もちろん、
「基地」の問題は国の政策であり、
沖縄の人たちだけで選択できることではなく、
むしろ沖縄の人たちにとっては選択の余地を与えられないまま、
現在に至っていると感じている。
基地の問題は、
あまりにも規模が大きく、
長い時間にわたって培われたものもあり、
また、関わる要素が多いので、
例としてふさわしくないかもしれないけれど、
ここのところ、ずっと気になっているのは、
目先の楽しいこと、
刹那的にラクな道を選ぶ傾向、
衝動的な行動をとる傾向が、
増えてしまっているのではないかということ。
個人の場合にしてもそうなのだけれど、
もう少し大きな問題、
例えば、現在日本全国で注目の「にぎわい」「活性化」にしても、
「楽しそうなことを作り出して、人を集めよう」
という短絡的な方向に思えてならないことが多くある。
より多くのサービス、
より手厚いサービスを生み出すことは、
経済の伸び代を生み出し、経済成長を支えてきたのだと思う。
だけど、
その「サービス」こそが、
刹那的にラクな道を選ぶ人を増やしてしまってはいないだろうか?
責任転嫁する人を増やしてしまってはいないだろうか?
家賃の安い市営住宅の入居条件に、
PTA役員を引き受けること、消防団に入ることなどの条件をつけている下條村が、
全国トップの出生率を誇っていることや、
長坂さんの過酷な人生と、そのたくましさ(←さっき投稿した記事)や、
昨日、訪問させていただいた陶芸家さん(年間3000人以上に指導)の
「指先が動かない子どもがものすごく増えている」というお話や、
若い人たちの農村回帰の流れや、
いろんな情報が頭の中をぐるぐると駆け巡りながら、
「適切な公共サービスとは、いかに?!」
と考える日々です。
禅問答のような、
哲学のような、
そんな日々です(^_^;)
ポポロ館長の作田さんから
「哲学カフェをやりましょう!」
というお誘いもいただいていますが、
温めている企画も盛りだくさん!!!
1つひとつ、生み出して、育てていかなくては(^^)!
私としては、
☆食べて元気になる!
☆学んで元気になる!
☆動いて元気になる!
をコンセプトに、
三原のまちの活性化に取り組んでいきたいと思います
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あらら。
書き始めの趣旨・タイトルとずれてしまった気もしますが、
自ら思考し、ビジョンを描くことが、
より良い選択につながり、
望ましい未来につながるのではないかと思うのです。
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