大阪ミナミでの無差別殺人、
自分が死刑になるための殺人ということで、
本当に自分勝手な殺人動機だと思うし、
犠牲になられたお二人は気の毒だし、
ご家族、まわりの方々は、持って行き場のない悔しさを感じておられると思う。
一方で、身勝手な殺人を犯してしまった人間は、
日本の社会の中で生まれ育ってきたわけで、
今の日本の何が、そういう状況や人を生み出しているのか、
考える必要があるとも感じています。
大阪府知事が、「人を巻き込まずに自己完結しろ」みたいな発言をされてましたが、
これを聞いて、あれ?何か似たようなことがあったような・・・?
と思ったのが原発のことです。
「原発をつくるなら、電気を使う都会につくればいい」と。
これまでは「安全である」ことが前提になっていた原発だけれど、
東京電力の原発事故が起きて、
「事故は起こり得る」という前提で対策がされることになりました。
事故が起きなくても、ウランの採掘・精錬から発電後の廃棄物処理に至るまで
たくさんの問題があるのに加えて、
事故の可能性を認めるということは、
立地地域やそこで働く人にそのリスクを負ってもらうことになります。
これは、とっても身勝手なことなのではないでしょうか。
そして、今まさに、停電による経済的リスクよりも原発事故のリスクのほうが軽んじられ、
大飯原発再稼働に向けて大きな力が働いているところ。
国家のために個人が犠牲になってしまっていた戦中から、
経済発展のために個人や地域の暮らしが犠牲になってきた現代日本。
地域ごとダムの底に沈んでしまったり、
工場や空港etc.のために、海や砂浜が埋め立てられたり、
地域での反対があろうと、
経済発展、「豊かな暮らし」のために仕方ないとされてきたことが、
原発事故によって、
やっとその理不尽さにたくさんの人が気付いたのだと感じているのですが、
それでも依然として変わらない日本政府。
つながろう日本 よりも、
変わろう!日本! じゃないかしら(^^)
野田総理は「国民生活」という表現をされたけれど、
私も1月に、澤さんのお話を伺った時点では、
放射能によって脅かされる命と、
電力に支えられる生活基盤、労働・給与による生活基盤という意味での命と、
両方を守るためにどうしたらいいんだろう?と逡巡する感じでした。
大阪での無差別殺人でハッとしたのは、
「環境より経済」「命より経済」という価値観のもと、
犠牲を強いながら、この60年走ってきた結果が、
この殺人であり、原発事故であり、
お金がないと生きられない社会構造をもたらした・・・ということ。
とすると、
現時点では経済によって支えられている命=生活を、
少しずつ、そこから離脱していく必要がある。
そして、経済よりも自然を守り命をつないでいくことを
もっと真剣に考えていく必要があるのだと思います。
「命を大切にする」とは、どういうことなのか、
これは学校で教えるとか、家庭の問題とかいうことじゃなくて、
社会全体で、
国や地方行政の施策においても、
企業活動においても、
あらゆる場面で、何を優先するか、
その価値観によって形作られていくもの。
これまで、
「電気をもっと増やすために発電所建設を!」
「CO2削減対策として原発の推進を!」
と目の前の状況に対応してきたのを、
日本社会の根底をしっかりと支える価値観、理念として何を置くのか見つめ直し、
そこが絶対ぶれないような行政の施策、企業活動をしてほしいなぁと思います。
ちょうど今月は環境月間。
1972年にスウェーデンで国連人間環境会議が開かれてから40年。
10年に1度の地球サミットが来週6月20日から開かれます。
現状で、地球があと何年もつか・・我々に残された時間はどれだけあるか・・
という意識で環境対策を考えている国もあれば、
自国の利益優先という国(日本はこっち(-_-;))もある中で、
厳しい議論になりそうですが、
会議でどんな選択になろうとも、
私としては、命を大切にする生き方をしていきたいと思います。
でも、やっぱり、変わろう!日本! だなぁ(*^^)
この状態から
この状態へ(^^)
内田樹さんの、
野田総理の「原発再稼働の理解を求める」記者会見についての読み解きも、
なるほどー!と思ったので、リンクさせていただきます<(_ _)>
http://blog.tatsuru.com/2012/06/14_1241.php
自分が死刑になるための殺人ということで、
本当に自分勝手な殺人動機だと思うし、
犠牲になられたお二人は気の毒だし、
ご家族、まわりの方々は、持って行き場のない悔しさを感じておられると思う。
一方で、身勝手な殺人を犯してしまった人間は、
日本の社会の中で生まれ育ってきたわけで、
今の日本の何が、そういう状況や人を生み出しているのか、
考える必要があるとも感じています。
大阪府知事が、「人を巻き込まずに自己完結しろ」みたいな発言をされてましたが、
これを聞いて、あれ?何か似たようなことがあったような・・・?
と思ったのが原発のことです。
「原発をつくるなら、電気を使う都会につくればいい」と。
これまでは「安全である」ことが前提になっていた原発だけれど、
東京電力の原発事故が起きて、
「事故は起こり得る」という前提で対策がされることになりました。
事故が起きなくても、ウランの採掘・精錬から発電後の廃棄物処理に至るまで
たくさんの問題があるのに加えて、
事故の可能性を認めるということは、
立地地域やそこで働く人にそのリスクを負ってもらうことになります。
これは、とっても身勝手なことなのではないでしょうか。
そして、今まさに、停電による経済的リスクよりも原発事故のリスクのほうが軽んじられ、
大飯原発再稼働に向けて大きな力が働いているところ。
国家のために個人が犠牲になってしまっていた戦中から、
経済発展のために個人や地域の暮らしが犠牲になってきた現代日本。
地域ごとダムの底に沈んでしまったり、
工場や空港etc.のために、海や砂浜が埋め立てられたり、
地域での反対があろうと、
経済発展、「豊かな暮らし」のために仕方ないとされてきたことが、
原発事故によって、
やっとその理不尽さにたくさんの人が気付いたのだと感じているのですが、
それでも依然として変わらない日本政府。
つながろう日本 よりも、
変わろう!日本! じゃないかしら(^^)
野田総理は「国民生活」という表現をされたけれど、
私も1月に、澤さんのお話を伺った時点では、
放射能によって脅かされる命と、
電力に支えられる生活基盤、労働・給与による生活基盤という意味での命と、
両方を守るためにどうしたらいいんだろう?と逡巡する感じでした。
大阪での無差別殺人でハッとしたのは、
「環境より経済」「命より経済」という価値観のもと、
犠牲を強いながら、この60年走ってきた結果が、
この殺人であり、原発事故であり、
お金がないと生きられない社会構造をもたらした・・・ということ。
とすると、
現時点では経済によって支えられている命=生活を、
少しずつ、そこから離脱していく必要がある。
そして、経済よりも自然を守り命をつないでいくことを
もっと真剣に考えていく必要があるのだと思います。
「命を大切にする」とは、どういうことなのか、
これは学校で教えるとか、家庭の問題とかいうことじゃなくて、
社会全体で、
国や地方行政の施策においても、
企業活動においても、
あらゆる場面で、何を優先するか、
その価値観によって形作られていくもの。
これまで、
「電気をもっと増やすために発電所建設を!」
「CO2削減対策として原発の推進を!」
と目の前の状況に対応してきたのを、
日本社会の根底をしっかりと支える価値観、理念として何を置くのか見つめ直し、
そこが絶対ぶれないような行政の施策、企業活動をしてほしいなぁと思います。
ちょうど今月は環境月間。
1972年にスウェーデンで国連人間環境会議が開かれてから40年。
10年に1度の地球サミットが来週6月20日から開かれます。
現状で、地球があと何年もつか・・我々に残された時間はどれだけあるか・・
という意識で環境対策を考えている国もあれば、
自国の利益優先という国(日本はこっち(-_-;))もある中で、
厳しい議論になりそうですが、
会議でどんな選択になろうとも、
私としては、命を大切にする生き方をしていきたいと思います。
でも、やっぱり、変わろう!日本! だなぁ(*^^)
この状態から
この状態へ(^^)
内田樹さんの、
野田総理の「原発再稼働の理解を求める」記者会見についての読み解きも、
なるほどー!と思ったので、リンクさせていただきます<(_ _)>
http://blog.tatsuru.com/2012/06/14_1241.php
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