学生時代、聖書の授業や試験がある学校に通っていた。
朝礼ならぬ朝の礼拝があり、聖書のことば達に何年か触れた。
本日のタイトルが、たまに暮らしの中で、思い出す一節。
欲しい物、なりたい自分、なりたい環境。
物欲ではない、目に見えない方の欲求。
それを、求め続けるのは大事。
昨日のブログタイトルの「女友達」もそう。
愉快で頼もしく可憐な、複雑なわたしと分かり合って
くれる子たち。学生時代に女子の嫌な面をたくさん見たけれど、
女友達はいてくれて有り難いと心底思う。
でも、こういう状況は、年を重ね、環境や住む土地が
変わると、今ある物や人がいなくなることもある。それの繰り返し。
けれど、それが欲しいのなら、求める気持ちは忘れてはいけない。
願い続けてももう無理なのではと思う日もある。それでも。
わたしの場合は、諦められない。
無理だ!と腹に落ちるまでは、傷付いても泣いてもどうなってでも、
求める。その模様は時に周囲にイタく写り、「もっとのんびりしなさい」とか
「ある程度で諦めろ」と言われることもあるが。
何となくで、自分のことは済ませられない性分。
努めて「まぁいっか」と言い聞かせて
いた頃もあったけれど、自分のことを、自分以外に誰が梶を取って
くれるのか。親か、恋人か。それは違う。
「まぁいっか」の部分と、諦めない部分の割合の塩梅が大事なの
だろうな。
わたしの周りには、自分が欲しい環境や自分などが、ちゃんと
見えていて、それに向かっていっている人が多い気がして、
嬉しい。そういう人たちがいると、自分も頑張れる。
朝礼ならぬ朝の礼拝があり、聖書のことば達に何年か触れた。
本日のタイトルが、たまに暮らしの中で、思い出す一節。
欲しい物、なりたい自分、なりたい環境。
物欲ではない、目に見えない方の欲求。
それを、求め続けるのは大事。
昨日のブログタイトルの「女友達」もそう。
愉快で頼もしく可憐な、複雑なわたしと分かり合って
くれる子たち。学生時代に女子の嫌な面をたくさん見たけれど、
女友達はいてくれて有り難いと心底思う。
でも、こういう状況は、年を重ね、環境や住む土地が
変わると、今ある物や人がいなくなることもある。それの繰り返し。
けれど、それが欲しいのなら、求める気持ちは忘れてはいけない。
願い続けてももう無理なのではと思う日もある。それでも。
わたしの場合は、諦められない。
無理だ!と腹に落ちるまでは、傷付いても泣いてもどうなってでも、
求める。その模様は時に周囲にイタく写り、「もっとのんびりしなさい」とか
「ある程度で諦めろ」と言われることもあるが。
何となくで、自分のことは済ませられない性分。
努めて「まぁいっか」と言い聞かせて
いた頃もあったけれど、自分のことを、自分以外に誰が梶を取って
くれるのか。親か、恋人か。それは違う。
「まぁいっか」の部分と、諦めない部分の割合の塩梅が大事なの
だろうな。
わたしの周りには、自分が欲しい環境や自分などが、ちゃんと
見えていて、それに向かっていっている人が多い気がして、
嬉しい。そういう人たちがいると、自分も頑張れる。