
将来への夢。
いつごろから、将来への夢を私は見たろうか。
多少、自意識が目覚めて来るのは何歳頃だろう。
幼稚園の頃までは遊ぶことが頭の中は一杯であったろう。
だた、幼稚園には行ってないので、その時代の重要性が理解できない。
もし、幼稚園へ行っていたらどんな夢を見たろうか。
人間の脳は2,3才で出来上がると言う。
でも、我々の時代、一般の人達は脳がどうのこうのとか、
夢がどうのとかよりはあす何を食べられるかが問題であった。
そんな私でも、小学時代になると、かすかな夢みたいなものが、
頭に、心の中に浮いては消えて行った。
小学高学年の頃になると父の仕事に興味を持ち出し、
父は造船会社に勤めていたので私もその会社へ入って設計しようとの
思いが、夢が大きくなっていった。
ただ時に小学6年の頃、建築設計にも興味をもち、自分なりに
建築図面を書くのが楽しくなっていた。
中学では、もう将来は造船の設計をやると、決めていた。
高校でもそれに向かっていった。
大学では機械工学を学んで懸命に勉強はした。
生活の苦しい中から、大学生きを許してくれた、両親に感謝し頑張った。
実は高校受験の時、公立高校と造船技術学校を受けて、両方に合格。
この時造船技術学校に行っていれば、夢は叶っていた。
私の両親は、お前の好きな道を選んでいいと言ってくれた。
大学出て就職試験は造船の会社を3社ほど受験したが、全て不合格。
就職は誰にも相談なく、ある建築会社に決定していた。
ところが、後卒業を待つばかりであったが、大学から電話があって
多少有名な会社であったが、そこへ是非就職してくれとの依頼ががあり
その会社の試験を受け、その会社へ行くことになった。
その会社が私の人生を決めていった、喜びも悲しみも恋も。
今はその会社には居ない、ただ私の将来の全ての柱となった。
今までの人生、皆々全て私にとって満足できるものであったと、思っている。
もう、夢を思う、新しい夢を、夢見る歳は
過ぎ去った。
今は難病との戦いです。
もう長くはない、残された人生は、絵を描く、いい写真を撮る、いい器を作陶することを
楽しみながら、生きていく。