


それは、娘が幼稚園を卒園する年の
運動会のことだった
私には多少、ショッキングな出来事。
父親たちが、自分の子供を肩車して
子供達は、頭にそれぞれ赤、白のはちまきをして
赤白の2軍に別れ、ハチマキを取り合う競争。
第1回戦、私は娘のハチマキを取られ無いように
逃げ回った。
一回戦が終わったあと、娘に言われた言葉が、私の胸に刺さった。
パパ何してんの、これは私の最後の運動会よ、
逃げてばかりでは、私面白くないし思い出もなくなる。
負けてもいいから、みんなと戦いたいと怒ってきた
長い、長い矢が、私の胸を刺す。
2回戦は、思いっきり暴れまわってやった、
娘は4本のはちまきを取り、自分も最後は取られて
娘の幼稚園最後の運動会は終わった。
その後、娘は自身で目標を作り、懸命に自分自身の人生を走り
続けた。
中学になると、新体操部に入り1年からキャップテンをやり
高校に、なっても新体操をやりずっとキャップテンをやり遂げた。
県大会では、団体1位、個人では2位をずっとキープ
高校1年の時、妻が病気で他界
すると、直ぐにアメリカに留学したいと、私に言ってきた
私は高校までは日本にいて欲しいと娘を説得した
大学は留学して良いからと。
中学、高校と娘は私とは話すことはなかった、反抗期
娘の高校最後の高体連時、観戦しに行った。
中高6年間のキャップテンを高校検体連を最後として部を辞めるとき、娘はそう心に決めていたらしい。
それを感知し応援に行った。
高体連が終わったとき会場にいた私ところに来て、パパ終わりました、と報告に来た、顔に一杯の涙して。
と同時に退部をした、娘の高校での記録は高校にはなく籍もなくなっている。
娘は大学はアメリカへ留学した。私は何も手伝いもしなかった。
高体連の終わった日、ありったけのバラを買って娘の部屋に飾ってやった。
娘はもう日本には帰ってこないだろうと、思いつつ。
