釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:『鮎宿で薩摩弁を問い返し』

2013-07-17 08:37:37 | その他の雑談
もう20年以上も前のことだがNECのPC-VANの或るSIG (此のサイトのコミュニティのようなものだが) で、郡上八幡が話題に上がった。

此のSIGには5,6名の常連がいた。私も其の一人だったが、その常連の一人に、確か「たねり」というHNだと記憶しているが、少しクセのある人物がいた。

皆が「白」と言えば、「黒」と云わないまでも、その「白」にイチャモンをつける一言居士であった。

彼の日頃の発言からして、およそ風流とは無縁な『乾いた』人物に見えたものだ。

郡上八幡の郡上節の『かわさき』を遠くで聞くともなく聞いているのは良いものだ、との私の発言がキッカケで郡上八幡の話題で盛り上がったものだった。

そのとき、例の人物が、ふと自作の句を披露した。
それが掲題の俳句であった。

それを見たとき私は良い句だなと思った。しかし、強いて其のことは発言しなかった。
他の常連たちも何の発言もなかった。 結局、彼の披露した俳句は無視される形で話題は続いた。

その無視は、彼の日頃の一言居士振りの結果だったのだろう。

俳句の素人である私は其の句の客観的な評価は出来ない。
しかし盆踊りの盛夏の季節になると郡上八幡の『かわさき』の哀調と共に彼の句を常に思い出す。

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