半世紀以上も生きていると、美容師さん(今はスタイリストとかっていうようだが)も大勢に付き合うことになる。
私が今まで出会った美容師さんのなかで、たった一人、ものすごい人がいた。
自分がしたい髪型を伝えると、ためらいなく鋏をいれ、たちどころに大まかな形を作ってしまう。
ほぼ形が出来上がったところで、細かく手直しして完成。
ものの20分もかからずに完璧なスタイルにしてしまうのである。
たぶん、彼には . . . 本文を読む
年末年始、見たい番組もなく、何気なく録画していたEテレ。
好きなキムラ緑子さんのナレーションで始まる「グレーテルのかまど」があった。
毎回、何かにまつわるお菓子を作っている。
私が今回録画していたのは「くまのパディントンのマーマレード」
何しろ、柑橘系が大好きなもんで。
ジャムの中でも、マーマレードが一番好き。
柚子のマーマレードとくれば、なおさらのこと。
真剣にみるつもりはなかったのだけれど、 . . . 本文を読む
大病を経た夫の体重は、10キロ近く減ったままずっと横ばい状態である。
それに比して、私の体重は、と言えば。
夫の入院から半年くらいで7キロほど落ちた。
食べ物が喉を通らず、夜も眠られない日々のなか
会う人ごとに
「どうしたの?大丈夫なの?」
と、心配された。
実際、パンツはことごとくゆるゆるで、スキニータイプのものでさえ、ゆるみが目立つくらいになっていた。
ところが。
7キロも落ちたはずに体重は . . . 本文を読む
先日、恒例のオールドガールズトークが開催された。
去年は、私がそれどころではなかったので忘年会は見送られたのだが、今年は元気に参加。
運転の怪しい私が、みんなを乗せてプチ旅行へ出発。
美術館巡りをしながら、わいのわいのしゃべるしゃべる・・
普段、会社でハヤシノリコさんとの会話が成立しない私は、おしゃべりの仕方じたいを忘れてしまっている。
周りの友人たちのテンポ良い会話についていくのがやっとであった . . . 本文を読む
ぞろ目だった55を超え、56になった。
友人たちのおめでとうメールをもらい・・
息子が贈ってくれたサダハルアオキのチョコレートケーキを食す。
自分が何かをしてもらうことにしか頭になかったあの子が、こうしてプレゼントを用意できるようになったのだと感慨にひたる。
世間的には、そんなことって当たり前のことなんだろうけれど・・
CMで、アイドルの顔が同じ見える分、政治家の見分けがつくようになったとか . . . 本文を読む
私にとっての鬼門である、サムライ月こと11月が去った。
やっほー!!
この時を待っていたのよ、私は・・・
なんせ振り返ってみれば、過去55年の間11月はろくでもないことの起きる月だった(と、おもふ・・)。
去年などはその最たるものだったし・・
そんなこともあるので、先月は細心の注意を払って生活したつもりだった。
とりあえず、大きな災難に見舞われることもなく無事通過し、12月を迎えることができた。 . . . 本文を読む
1ヶ月に及ぶおつとめを終えた夫を自宅に連れ帰った。
私の拙い運転で、助手席で見る娑婆の風景がこの日夫の目にはどのように映っていたのであろうか。
運び込まれたときには、血糖値も血圧もすべてが最高潮。
死なないほうがおかしい、と医師に酷評を受けるほどの夫が1ヶ月で退院できたのは奇跡に近いことなのかもしれない。
だからこそ、食事には細心の注意を払わねばならない、と覚悟を決めて連れ帰った。
とにかく、薄 . . . 本文を読む
私が眠れない夜を過ごしていたとき、とうの本人である夫が眠られなかったのは言うまでもない。
夜中に起きだして、リハビリ室でひとり黙々と痛みに耐えながらリハビリに励んでいたそうだ。
この病気になると、拘縮が始まり握り手になったら、なったままになるひとが多いらしい。
足も引きずったままになってしまうことが多いのも、最初のリハビリが肝心だからだそうだ。
相当な痛みを伴うリハビリに耐えなければ、機能回復は . . . 本文を読む
夫が倒れたことを、私は自分の両親にはすぐには伝えなかった。
生死にかかわる状態ではなかったことや、無駄な心配をかけたくもなかったし、こんな年齢になっても父に叱られたくなかったこともある。
「おまえがそばについていながら、なんでこんなことになったんだ」と。
また、自分の選んだ人生が、失敗だったと両親に思われるのも嫌だったから。
しかし、夫が倒れて3,4日経ったときのこと。
突然父から電話が入った。 . . . 本文を読む