姑の入所している施設。
我が家からは自転車で10分足らずの距離にある。
住宅街のなかにある、街中に建った特別養護老人ホーム。
総勢20名ほどが収容されており、そこにいるのはひどい痴呆ではない多少の身体低下が見られる高齢者たち。
ここでも、圧倒的に多いのは女性。
4分の3ほどが女性が占め、おじいちゃんたちは小さくなって座っている。
女性はこういう場所でも、コミュニュケーション能力を発揮し、姑などは入所したその日から、輪のなかに入り、身の上話などをしたようである。
男性陣は、それぞれ単体で行動しており、お互いが話すことも、何かを一緒にすることもないようだ。
3ヶ月近く経ち、一見施設になじんできたように見える姑であるが、そこは女。
入所者のなかでも、いろいろと軋轢があるようで。
10年以上、そこで暮らす牢名主のようなおばあさんが、みんなを取り仕切っており、新参者に口を挟ませはしない。
食堂に集まって、食事のあと、歌を歌ったり、しりとりをしたりするらしいが、日々同じメニューで単調すぎるとこぼす姑。
自分の通っていたデイサービスでやっていた、かるたやトランプでもしてみては?
と、提案するも目の不自由なひとがいるから、かわいそうでしょ、とばっさりきられる。
ほかの施設よりも、お年寄り同士が交流していそうだからと、この施設に決めた私たち夫婦だが、いざ内情がわかり始めると、そう簡単なものではないようだ。
まず、施設が一番おそれているのは、院内感染。
誰か一人が何か病気になると、一気に広がってしまうため、入所者同士が部屋を行き来するのも禁止。
トイレも、必ず自分の部屋に戻って用を足すように言われる。
だが、みんな足下がおぼつかない人ばかりなので、必ず介護士が付き添うこととなる。
そうなるとただでも人手がないのに、ますますてんてこ舞い。
それがわかるので姑も、トイレが言いにくいらしい。し、ほかの入居者の部屋に行かせてもらえない。
何か行事をするにも、必ず誰かつきそう人間が必要となる、となれば自ずと行事自体も減っていく。
なにより、生活環境、知的レベル、趣味、好奇心、身体機能などなどすべてがばらばらな人間が同じように横並びで何かをしようとすること自体が難しいのである。
うちの姑のようにカラオケが好きな人もいれば、私のように嫌いな人間もいる。
姑のように、嵐が大好き、というひともいれば、
「嵐?からし?なんじゃそりゃ・・」という夫のようなひともいる。
姑がいつだったか、泣いて訴えたように
「デイサービスで隣に座ったから、といって急に友達になんかなれるわけがない。
何年もつきあって、それぞれの性格もわかって初めておともだちになれる」
確かに、その通りだ。
冷暖房完備、食事は三食とも栄養満点、定期検診もあり、あんまも理学療法士による機能訓練もある。
お風呂も二日に一度は入れてもらえて、歯磨き指導もきっちりしている。
口臭や加齢臭など、ほとんど感じさせないほど清潔に保たれた生活。
24時間、誰かの目があり、異常があればすぐにかけつけ対応してくれる。
身体的には、パーフェクトに近い状態で保護されている。
だが。
精神的に満たされているか?
といえばNOだと思う。
家族は、安心と自分たちの時間を享受できた分、高齢者本人の生きる喜びは取り上げてしまっているような気がしてならない。
現代の楢山節考は、過去のものよりある意味もっと罪深いのかも知れない。
我が家からは自転車で10分足らずの距離にある。
住宅街のなかにある、街中に建った特別養護老人ホーム。
総勢20名ほどが収容されており、そこにいるのはひどい痴呆ではない多少の身体低下が見られる高齢者たち。
ここでも、圧倒的に多いのは女性。
4分の3ほどが女性が占め、おじいちゃんたちは小さくなって座っている。
女性はこういう場所でも、コミュニュケーション能力を発揮し、姑などは入所したその日から、輪のなかに入り、身の上話などをしたようである。
男性陣は、それぞれ単体で行動しており、お互いが話すことも、何かを一緒にすることもないようだ。
3ヶ月近く経ち、一見施設になじんできたように見える姑であるが、そこは女。
入所者のなかでも、いろいろと軋轢があるようで。
10年以上、そこで暮らす牢名主のようなおばあさんが、みんなを取り仕切っており、新参者に口を挟ませはしない。
食堂に集まって、食事のあと、歌を歌ったり、しりとりをしたりするらしいが、日々同じメニューで単調すぎるとこぼす姑。
自分の通っていたデイサービスでやっていた、かるたやトランプでもしてみては?
と、提案するも目の不自由なひとがいるから、かわいそうでしょ、とばっさりきられる。
ほかの施設よりも、お年寄り同士が交流していそうだからと、この施設に決めた私たち夫婦だが、いざ内情がわかり始めると、そう簡単なものではないようだ。
まず、施設が一番おそれているのは、院内感染。
誰か一人が何か病気になると、一気に広がってしまうため、入所者同士が部屋を行き来するのも禁止。
トイレも、必ず自分の部屋に戻って用を足すように言われる。
だが、みんな足下がおぼつかない人ばかりなので、必ず介護士が付き添うこととなる。
そうなるとただでも人手がないのに、ますますてんてこ舞い。
それがわかるので姑も、トイレが言いにくいらしい。し、ほかの入居者の部屋に行かせてもらえない。
何か行事をするにも、必ず誰かつきそう人間が必要となる、となれば自ずと行事自体も減っていく。
なにより、生活環境、知的レベル、趣味、好奇心、身体機能などなどすべてがばらばらな人間が同じように横並びで何かをしようとすること自体が難しいのである。
うちの姑のようにカラオケが好きな人もいれば、私のように嫌いな人間もいる。
姑のように、嵐が大好き、というひともいれば、
「嵐?からし?なんじゃそりゃ・・」という夫のようなひともいる。
姑がいつだったか、泣いて訴えたように
「デイサービスで隣に座ったから、といって急に友達になんかなれるわけがない。
何年もつきあって、それぞれの性格もわかって初めておともだちになれる」
確かに、その通りだ。
冷暖房完備、食事は三食とも栄養満点、定期検診もあり、あんまも理学療法士による機能訓練もある。
お風呂も二日に一度は入れてもらえて、歯磨き指導もきっちりしている。
口臭や加齢臭など、ほとんど感じさせないほど清潔に保たれた生活。
24時間、誰かの目があり、異常があればすぐにかけつけ対応してくれる。
身体的には、パーフェクトに近い状態で保護されている。
だが。
精神的に満たされているか?
といえばNOだと思う。
家族は、安心と自分たちの時間を享受できた分、高齢者本人の生きる喜びは取り上げてしまっているような気がしてならない。
現代の楢山節考は、過去のものよりある意味もっと罪深いのかも知れない。
自分が優しいのか、それとも優等生を演じているだけなのか、わかりませんが・・
それでも、まわりで見聞きするお姑さんに対して冷たいお嫁さんのことを思うと、
「感謝してよね!」と、言いたくなります(笑)
少なくとも、自分の親に対してよりは、ずっと親孝行をしていることは胸を張って言えますけども。
ハヤシノリコさんに関する記事は、去年の5月にアップしています。また、お暇なときに探してみてください。
せっちーは退職し、かわりに入ったのが海苔っぺ。
ある意味史上最強のタイプかも・・
ものすごーく、鈍感なのか、それともそういう立ち位置を決めて割り切っているのか、不思議な人種です。
今まで55年生きてきて、初めて出会うタイプのひとです。
おかげで、努力せずに8㎏も痩せられました、わたし。
書かれている通りだと思います。
女性は仕事以外のネットワークがあるので、デイなんかでもまだ溶け込みやすい。その点男性は仕事一辺倒できてる年代の人が多いから、なかなかデイも抵抗があるようです。ただ1度体験でも行けるとぐっと垣根はさがるようですが。
現代版姥捨て山というタイトルにどきっとはしましたが、
あまり自分を責めないで欲しいです。
精神的に満たされていない・・かも知れませんが、それはまだ現役で働いている年代でもあり得ることです。
そんな施設に入れてしまってという後ろめたさを持っているCITROENさんは優しいんですよね、そう思います。
それと節子さんに代わって、海苔っぺさんなんですか?
職場の方ですよね。節子さんは退職されたんですか?
過去ログを探しきれなくて(^^ゞ
時折ニュースになる、老老介護が生む悲惨な事件などをみると、姑がおかれている環境は一見平和で、幸せなようですが、人間の煩悩はなかなか振り払うことができませんね。
私だって、姑と同じ環境におかれたら、退屈すぎたり、人間関係のめんどくささに気が狂いそうになるやもしれません。
高度医療や、氾濫するアンチエイジング情報、長生き崇拝などなどが、ある意味別の不幸を生み出しているとも言えます。
痴呆が出ないことが幸せだと思っていましたが、いろいろな現実が見えてくると、そうとばかり言えないこともあることがわかってきました。
姑の気持ちに波があるように、私の気持ちも波があって、義理の関係故に腹の立つこともあり、知らん顔しておこう、と思ったり、かわいそうになって、愚痴しか聞けないとわかっていても仕事帰りに足を向ける日々です。
自分が同じ立場に立ったら、と考えるようにしています。
そして女性はいくつになっても集団の中での立ち位置に敏感なのでしょうね。
介護には時間とお金、体力が必要になり、それらを補うためには介護する人間の仕事、時間の確保とストレスの軽減が必要。
答えが出ないですが、お姑さんが少しでも日々を充実して過ごせますように。