大学生の就職活動に「エントリー」なるものが登場した。
30年前、私が大学を出た頃にはなかったものである。
そんな大昔の話を引き合いに出されても・・と言われるのは承知だが。
今、就活に奔走する息子から漏れ聞く就職活動の話は
「なんか、変」
と思わずにはおれない。
たとえば、先日のこと
ある会社の説明会に参加するためのエントリーを午前十時にしろ、という。
いす取りゲームのように、決まった席数に達した時点で、その会社へのエントリーは受け付けてもらえない。まるで、人気コンサートのチケット販売のようである。
普通に考えて、大学に在籍している学生ならば平日のその時間、授業を受けていてもおかしくはないんじゃないか?
授業中に携帯やPCでエントリーしろとでもいうのか。
それとも、一生をかける仕事に就こうと思うなら、大学の授業のひとこまくらい抜けて、エントリーするためにスタンバイするのはあたりまえだろう、ということなのか。
また、面接で答える模範解答みたいなものがあって、それに従ったカタチで答えられないものはふるい落とされるらしい。
判でついたようにみなが同じ反応を示して、どうやってふるいにかける、というのだろう。
心で思ってもない
「御社の社会への貢献する姿勢を見て、是非、私もその一員としてがんばりたいと思い試験を受けさせていただきました」
なんてことをぺろっと言えることが模範生と言うのだろうか。
先日、新聞に作家の高橋源一郎さんもそういう現代の就職活動のあり方に疑問を投げかけていた。
大学で教鞭をふる高橋さんは、この時期になるとゼミに参加する学生がいなくなり開店休業状態となるのだそうだ。
皆、就活で忙しいから、というのがその理由。
彼は言う
採用試験でメリットがありそうだからと、プチ整形したり留学したりボランティアをする。
そうまでして落とされると自分を全否定された気になり、そうなりたくはないからブラック企業へも正社員の座がほしくて入社する。
結果、心を病むところまで追い詰められて会社をやめていく。
みなが、会社の求めているとされる理想の社員像に全身憑依して、就職試験に臨む。
そんな世の中っておかしくはないか、と。
本来、大学で学んだことを活かし、それを力として仕事をするならわかるけれど、大学での授業そっちのけでエントリーシートや、会社説明会にふりまわされる学生って・・
面接で落とされるたび、自分に自信をなくしていく学生たち。
自分たちが振り回されていることにもどかしさを感じつつも、そうせざるを得ない渦の中でもがく学生たち。
そうまでして勝ち取った正社員の席を、1年もしないうちにあっさりと降りてしまう学生が多いのも、そうした首をひねりたくなる就職試験に原因があるのではないのか。
面接官が口をそろえて尋ねる「自己アピール」
そう尋ねるあなたに、自己アピールできるものはあるのですか?
30年前、私が大学を出た頃にはなかったものである。
そんな大昔の話を引き合いに出されても・・と言われるのは承知だが。
今、就活に奔走する息子から漏れ聞く就職活動の話は
「なんか、変」
と思わずにはおれない。
たとえば、先日のこと
ある会社の説明会に参加するためのエントリーを午前十時にしろ、という。
いす取りゲームのように、決まった席数に達した時点で、その会社へのエントリーは受け付けてもらえない。まるで、人気コンサートのチケット販売のようである。
普通に考えて、大学に在籍している学生ならば平日のその時間、授業を受けていてもおかしくはないんじゃないか?
授業中に携帯やPCでエントリーしろとでもいうのか。
それとも、一生をかける仕事に就こうと思うなら、大学の授業のひとこまくらい抜けて、エントリーするためにスタンバイするのはあたりまえだろう、ということなのか。
また、面接で答える模範解答みたいなものがあって、それに従ったカタチで答えられないものはふるい落とされるらしい。
判でついたようにみなが同じ反応を示して、どうやってふるいにかける、というのだろう。
心で思ってもない
「御社の社会への貢献する姿勢を見て、是非、私もその一員としてがんばりたいと思い試験を受けさせていただきました」
なんてことをぺろっと言えることが模範生と言うのだろうか。
先日、新聞に作家の高橋源一郎さんもそういう現代の就職活動のあり方に疑問を投げかけていた。
大学で教鞭をふる高橋さんは、この時期になるとゼミに参加する学生がいなくなり開店休業状態となるのだそうだ。
皆、就活で忙しいから、というのがその理由。
彼は言う
採用試験でメリットがありそうだからと、プチ整形したり留学したりボランティアをする。
そうまでして落とされると自分を全否定された気になり、そうなりたくはないからブラック企業へも正社員の座がほしくて入社する。
結果、心を病むところまで追い詰められて会社をやめていく。
みなが、会社の求めているとされる理想の社員像に全身憑依して、就職試験に臨む。
そんな世の中っておかしくはないか、と。
本来、大学で学んだことを活かし、それを力として仕事をするならわかるけれど、大学での授業そっちのけでエントリーシートや、会社説明会にふりまわされる学生って・・
面接で落とされるたび、自分に自信をなくしていく学生たち。
自分たちが振り回されていることにもどかしさを感じつつも、そうせざるを得ない渦の中でもがく学生たち。
そうまでして勝ち取った正社員の席を、1年もしないうちにあっさりと降りてしまう学生が多いのも、そうした首をひねりたくなる就職試験に原因があるのではないのか。
面接官が口をそろえて尋ねる「自己アピール」
そう尋ねるあなたに、自己アピールできるものはあるのですか?
この本が直木賞を受賞した直後、次男が「ingの就活生はなまなましすぎて読めない」と(自分は就活してなかったくせに^_^;)言ってました。
次々に本音の一皮が剝けていくあたりから、就活とは全く無縁の私でもゾゾゾッと背筋が寒くなりました。
就職活動→内定・・・の一連の苦行?!をお約束の儀式と割り切ってしまうしかないんでしょうか?
何者にもなれてないけど そう悪い人生でもないよって
小声でおばちゃんはつぶやくのでした。
自信を持って、
「そう悪い人生でもないよ」
と、言ってやれたらどんなにいいでしょう。
齢50を過ぎてもふらふらしている私は、息子にかける言葉は、なかなか見つかりません・・
高橋さんも、この寄稿に書いておられましたが、就活まっただ中の学生は、「何者」がリアルすぎて読めないんだとか。
私も、息子がおかれている状況のリアルを知りたくはないので、怖くて読めそうにありません。
ま、図書館の待ちもすごくて、なかなか回ってきそうにありませんけどね(笑)
目標もしっかり持って、それに向かってなんの迷いもなく突き進むだけの次男くん、うらやましいです~