キリンレモンの新しいCMを目にした。
星飛雄馬とその仲間達の新バージョンである。
笑える!
と、私はそこでぷぷぷ、と笑ってしまったのだが、一緒に見ていた同僚節子さんは、なにがおかしいのかわからない、という。
え?!そぉですか??
私は、その笑いのツボを解説するが、「笑い」というのは解説を聞いて理解するモノではなく、自分のなかの「感覚」である。
当然のことながら、私の解説を聞いても、いまひとつ理解できない、という風の節子さんであった。
節子さんと私は、厳密に言えば6歳の年の差がある。
住んでいたエリアも違うので、かなりお互い衝撃の事実を知ることが多い。
一番顕著になるのは、テレビ番組。
今回の「巨人の星」も、私がリアルタイムでみていたのは小学校4年生ごろ。
6つ違いの節子さんは、高校1年生である。
見ていなくても当然、なのである。
第一、節子さんがテレビを初めて見たのは中学に入ってから、というから驚きである。
それまでは、どうしていたかといえば、タンスの上に置かれた木枠のどっしりしたラジオに、家族が耳を傾けていた、というのである。
私の目に浮かぶのは、太平洋戦争時に大本営発表に耳を傾ける国民の姿である。
それが戦後生まれの節子さんの口から聞こうとは思わなかった。
びっくりするのは他にもたくさん。
お風呂の水を、小川からひしゃくで汲んで運んでいた、とかガスが無いので薪を山で拾うのがこどもの役割だったとか、お腹がすいたときには「ほっぽれやき」とかいう小麦粉を水で溶いて焼いたものにお醤油をつけて食べていたとか、お嫁に来るまで電気釜を使ったことがなかった、とかetc,etc・・・
なかなか6年という年数は、大きな差を生むものである。
いま流行の芸人たちのギャグ、と呼ばれるものが何がそんなにおかしいのかわからない私。
ここでも今の若い人たちとのゼネレーションギャップがあるということなんだろう。
そういう「感覚」というのはなかなか埋められないものなのだと思う。
星飛雄馬とその仲間達の新バージョンである。
笑える!
と、私はそこでぷぷぷ、と笑ってしまったのだが、一緒に見ていた同僚節子さんは、なにがおかしいのかわからない、という。
え?!そぉですか??
私は、その笑いのツボを解説するが、「笑い」というのは解説を聞いて理解するモノではなく、自分のなかの「感覚」である。
当然のことながら、私の解説を聞いても、いまひとつ理解できない、という風の節子さんであった。
節子さんと私は、厳密に言えば6歳の年の差がある。
住んでいたエリアも違うので、かなりお互い衝撃の事実を知ることが多い。
一番顕著になるのは、テレビ番組。
今回の「巨人の星」も、私がリアルタイムでみていたのは小学校4年生ごろ。
6つ違いの節子さんは、高校1年生である。
見ていなくても当然、なのである。
第一、節子さんがテレビを初めて見たのは中学に入ってから、というから驚きである。
それまでは、どうしていたかといえば、タンスの上に置かれた木枠のどっしりしたラジオに、家族が耳を傾けていた、というのである。
私の目に浮かぶのは、太平洋戦争時に大本営発表に耳を傾ける国民の姿である。
それが戦後生まれの節子さんの口から聞こうとは思わなかった。
びっくりするのは他にもたくさん。
お風呂の水を、小川からひしゃくで汲んで運んでいた、とかガスが無いので薪を山で拾うのがこどもの役割だったとか、お腹がすいたときには「ほっぽれやき」とかいう小麦粉を水で溶いて焼いたものにお醤油をつけて食べていたとか、お嫁に来るまで電気釜を使ったことがなかった、とかetc,etc・・・
なかなか6年という年数は、大きな差を生むものである。
いま流行の芸人たちのギャグ、と呼ばれるものが何がそんなにおかしいのかわからない私。
ここでも今の若い人たちとのゼネレーションギャップがあるということなんだろう。
そういう「感覚」というのはなかなか埋められないものなのだと思う。
うちのオットは、たぶん巨人の星見てた世代だと思うんですけど、私の頃は大人になった頃の巨人の星Ⅱかな。
12歳違いますので、だいぶギャップもあるとは思いますが、おもしろいと思うかどうかっていうのは、センスの違いかも。
多分うちの親はキリンレモンのCMで笑うと思いますもん。
節子さんのいろいろな体験、うちの親から聞いたことと似ています。昔は身欠きにしんとか干し数の子がおやつがわりだったとか、サラダ油っていうのはなくて、鳥の皮を炒って油を採ったとか。
とりあえず、CITROENさんと私は、笑いのツボは似てるってことで
考えがしっかりしていて、落ち着いた感じがあるので
すっかり忘れていましたが、UTTAさんは節子さんの息子さんと変わらない年齢なんですよね!
そりゃ、ご両親の思い出話と節子さんの思い出話がかぶるのは当然っちゃ当然ですね。
息子の幼なじみが言うには、
「笑いのツボが違うヤツとは仲良くなれん。」
らしいのですが、私もその見方、近いかも~・・
UTTAさんと似ていてヨカッタ
なんでも、レジで500円札を出した客がいたらしく。
レジの点検に回った今年の新人薬剤師@25歳が、「500円札なんて初めて見た」そうで…。
はぁ~っ。
500円札がなくなったのは、多分私が社会人になってからだわ。
やだねぇ…。
っていうか、すでに平成生まれが社会人になって2年目。トホホ。
ちなみに幼少の頃、ガスはありましたが、風呂は薪をくべて炊いてました。(浴槽は木)
薪とオガライト(知ってる?)を割るのが私の仕事でした。
一番古い記憶では冷蔵庫はありませんでした。
洗濯機はローラー脱水でした。
テレビは脚が付いていて、コンバータが乗っかっていました。
…何時代のヒトだよ、自分
私が小1の頃住んでいた官舎は、「五右衛門風呂」でしたよ。
オガライトをくべていたのは、そのころだったかな・・
テレビも、足つきで布をブラウン管にかぶせていたよね。。
「3丁目の夕日」ワールドですね、まさに。。
そういえば、去年、姑がスーパーでどこから出してきたのか知らないけれど、ふるーい大きな1万円札をレジで出したら、バイトの子がとまどって、となりのおばさんにお伺いたてたなぁ。
お札の変遷を知っているのも、年齢がわかるよね。
ウチは私が翔5(←おいおい)小5まで住んでいた家の風呂が薪でした。
テレビの布!
なんか、端に房が付いてませんでした?重々しい感じの。
札ね!
たまにあるよ。困るの。
自動収受レジだから、大きい札は入んないの。
あと、困るのが記念硬貨。
いつだったか10万円金貨かなんか持ってきた客がいて、銀行に問い合わせたりして大騒ぎだったよ。
そういえば、昔の50円玉ってちょっと大きかったよね?(笑)
#こういうネタ大好き( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ
テレビの布、そうそう、学校の講堂にかかっていた緞帳のようなふさ付き・・
いつなくなったのかなぁ・・
ところで、今のレジって確かに、自動収受だね。
10万円硬貨って、そんなものどっから、どんなひとが持ってきたの?
そっちのほうに興味がわくなぁ。。
その持ち込んだ人の背景を探りたくなってしまう
お金の感覚のギャップなんじゃない?
色々お話聞けば聞くほど節子さん
すごい人生だな~~。
しかもそういう苦労の人生だった割には
わりと人柄がいいよね?
もう色々楽しんでよさそうだけど、できないんだろうな~。
節子さんの人生、本当に波瀾万丈なんだよ。
本に書けるほどの紆余曲折の日々。
「万事 苦節子」と名前を変えたいほど。
ちょっとお金のことではイラっとすることもあるけど、根本的に人柄がいいので憎めません。
ご主人が亡くなってからは、ちょっとは自分のためにお金を使うことも増えてきたせいかな。
なんか若返って来たんだよ。
ご主人がせっちーを締め付けていたわけではないんだけど、自分で枠を決めてたところがあるし。
そういう意味では、今の方が「自分」の人生を楽しんでいるように見えるよ。
わたしの小さい頃…
かまどがあったよ。
んで、飲み水もおっきな瓶みたいのに
庭の井戸から汲んできて、ひしゃくを使ってた。
お風呂も当然(?)薪だったよ。
それで五右衛門風呂でもあった…(笑)
もちろんそんな時代に生まれたからなんだけど
田舎ってのも手伝って、余計に古さを知ってたり。
自分のためにお金を使えない…って
わたしの母もそういう面、あったよ。
Rocoさんちではお世話になりました
昭和3,40年代の田舎の生活は、どこもだいたい同じだったのかな。
私の祖父の家は、田舎だったけど商売をしていたので
節子さんの家とはまんま同じっていうわけでもなかったのね。
かまども五右衛門風呂もあったけど、水道が来てたし。
せっちーは私の母や、姑なんかより、もっと古風な女性です。
母や姑は、大阪のど真ん中で育ったひとたちだからかな。自分のためにお金を使うのを惜しんだりしないの。
私の方が、まだ、夫に対して申し訳ないって思ったりすることあったりするよ・・
こういうの県民性も関係してたりするのかな?