12年経った今も、ニュースであのときの映像が流されるたびに、目頭が熱くなる。
息子は、今も臨時ニュースのお知らせ音に鳥肌が立つという。
大きな被害をこうむったわけではないのに、あの時、あの揺れを経験したことはやはりどこかで傷となって残っている気がする。
地震直後、寒空の下、知人のおかげでほとんどひもじい思いもせずに過ごせたことを、こうして生きて文字を連ね、ガスを使いケーキを焼いて過ごすことのできるありがたさを、いまあらためてかみしめる。
「あたりまえ」であることのありがたさ、忘れないようにしたいと思う震災の日。
息子は、今も臨時ニュースのお知らせ音に鳥肌が立つという。
大きな被害をこうむったわけではないのに、あの時、あの揺れを経験したことはやはりどこかで傷となって残っている気がする。
地震直後、寒空の下、知人のおかげでほとんどひもじい思いもせずに過ごせたことを、こうして生きて文字を連ね、ガスを使いケーキを焼いて過ごすことのできるありがたさを、いまあらためてかみしめる。
「あたりまえ」であることのありがたさ、忘れないようにしたいと思う震災の日。
「あたりまえ」であることへの感謝を忘れてしまいますね。背筋がシャンとなった気がします。ありがとうございました。
コメントありがとうございました。
私も、ついつい自分の置かれている状況に感謝することを忘れがちなのですが、こういう節日みたいな日くらいは、そのありがたさをかみしめて、生きて、こうして暮らせていることの幸せを感じたいな、と思うのでした。
ケーキが焼きあがる香りは、幸せの象徴のような気がします。