集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

ふたりの「嘉納」が別々に目指した、柔道の「武術化」(のようなもの(;^ω^)) その6

2023-11-04 19:28:31 | 雑な歴史シリーズ
 今回は治五郎先生側の「武術化」の動きを見ていきたいと思いますが、その前にまずは講道館柔道が生まれてから、大正時代に至るまでの講道館の略歴を、駆け足でおさらいしましょう。
 ちなみにこの「略歴」は、ワタクシがこれまで各種の文献を当たり、講道館とその周囲における動きをトレースしてみたものです。
 なお「講道館が広めた講道館の歴史」だけが正義だと確信している方はブラウザバックしたほうがいいですよ!きっと、血管がブチ切れますから(;^ω^)。
 ブラウザバックしましたか?よし、では始めましょう。

①柔道の起源は明治15年ころ。
 治五郎先生の修めた柔術と、当時の日本人には伺い知れない複数のイギリス式レスリング(たぶんランカシャースタイルをベースに、「投げてイッポン!」の「フライング・フォール」というルールを加えたもの)をマジェマジェし、投技と足技に重きを置いた「試合に勝つ!ための柔術」として誕生。
②流派の名前を挙げるため、当時わが国で唯一、武道を推進していた官庁・警視庁の演武会などに、治五郎先生の政治パワーで参加。
 道衣やルールに「試合に勝つ!」ためだけの工夫??をこらした講道館柔道は一定の成績を収めるも、寝技の効く柔術家には徹頭徹尾苦戦する。
 実力勝負における講道館勢力拡大の不確実性を覚った治五郎先生は以後、政治力による確実な勢力拡大を推進する。
③日清戦争後の第一次武道ブームにより、柔道は1回目のビッグウェーブに乗る。
 できたばかりの武徳会柔道部門に早速頻繁に容喙する(試合における禁じ手をジャンジャカ増やす、武徳会の講師に講道館勢力をジャンジャン送り込むなど)とともに、政治力による「柔術家潰し」を盛んに行うようになる。
④日露戦争後の第二次武道ブームによって学校教育に採用され、更に勢力拡大。このころ、「禁じ手をジャンジャカ増やす」ことや政治力により、実力派柔術家の駆逐がだいたい完了する。
⑤大正以後に一大ビックウェーブとなった「高専柔道」が、講道館の言うことを全く聞かないため、治五郎先生はそのカウンター活動として「勝負法を知らねば柔道ではない」と言い始める。
⑥大正の最末期、その研究成果として、「講道館極の形」の亜流である「警視庁柔道基本捕手ノ形」を作ってはみたが、あまりの出来の悪さに警察官が全然稽古しなくなる。
 そのことを知ってか知らずか、治五郎先生の「勝負法」研究はさらなる熱を帯びはじめる(←本連載における現在地点はココ)

 今回、健治親分の「柔道の武術化」を追っかけるにあたり、治五郎先生側の「柔道の武術化」ムーブメントも追っかけてみたのですが、健治親分による、触れれば斬れるような熱い思いを持った「柔道の武術化」と違い、治五郎先生の「武術化」のムーブメントは、語弊を恐れず言いますれば「片手間・無計画・行き当たりばったり」であり、健治親分のソレとは雲泥の差があります。

 現存する文献で確認できる、治五郎先生の具体的な「勝負法」への取り組みは、
・空手に感化されたことから、当時の「空手レジェンド」(剛柔流流祖・宮城長順師、糸東流流祖・摩文仁賢和師等)たちを上京させる筋道を作り、空手を武徳会柔道部門に加入(昭和8年)させ、ついでに「精力善用国民体操」という形を作った(昭和2年)。
・合気道に感化され、武田二郎・望月稔(養正館武道の開祖)らの門下生を派遣して研究させた。
・治五郎先生とツーカーの仲だった剣術家・高野佐三郎のヒキで、棒術を習わせる(これは昭和3年で中断)
だけで、これらをいったい、どう繋いでどういう体系にしたかったということは、どの文献を当たっても全く分かりませんでした。
 また、これはあまり知る人がいませんが、講道館は、レスリングが五輪競技として有望と知るや、その道のパイオニアである内藤克俊選手(1895~1967。大正15〔1924〕年のパリ五輪銅メダリスト。メダル獲得時柔道二段)や、のちの「日本レスリングの父」八田一朗(1906~1983。早大柔道部出身、レスリング部創設時柔道五段)を差し置いて、レスリング講道館派(この集団は巡り巡って、現在の専修大レスリング部の遠いご先祖になる)を作ってイニシアチブを取ろうともしています(この目論見は昭和7(1932)年のロス五輪での大失敗を受け頓挫)。

 このように、大正最末期~昭和初期にかけての治五郎先生の「勝負法」研究は、治五郎先生の思いつきを、治五郎先生の持つ権力や勢力で暴走させるに任せた、乱脈極まるものでしかありませんでした。
 ではなぜ治五郎先生は、デタラメでも勢い任せでもいいから、「勝負法」を顕現させなければならなかったのか?
 それは治五郎先生が冒頭に掲げた①~⑥年表の⑤でお話ししたとおり、「高専柔道との差別化」を顕在させる必要があったからです。
 この関連性を記した書物はありませんが、治五郎先生の「勝負法」への動きと、高専柔道の隆盛の過程をトレースするとはっきり見て取れます。

 このころの高専柔道は、東海地方から西で驚くべきブームを誇っており、「学生柔道のルール≒高専ルール」といっても過言ではありませんでした。
 そして大正14(1925)年には、これまで講道館の勢力が強すぎて開催できなかった東部戦(東京近辺の旧制高校・専門学校による、全国高専大会予選)を開くに至ります(ただ東京は、講道館の子飼いである学連の勢力が強かったため、この1回こっきりで終了)。
 講道館の牙城であった東京に高専大会の勢力が浸透してきたことは、寝技を否定することで勢力を伸ばしてきた講道館にとって大変由々しき危機であり、治五郎先生はどうしても「講道館と高専柔道は別物だ!」と訴える必要があったわけです。

 そうした経緯で治五郎先生は「勝負法」を研究する必要に迫られたわけですが、最終的には何一つ実を結ぶことなく、失敗に終わりました。
 ではなぜ、この取り組みが失敗したのか?
 理由は簡単、治五郎先生とその取り巻きに共は、レスリング・空手・合気道に関する基礎知識が、何一つなかったからです。

 ビジネス学の基礎教養の中に「基礎知識のない問題意識は空回りする」というのがあります。
 治五郎先生とその取り巻き共は、空手やレスリングに対する興味こそ示したものの、それらの武道・格闘技に対する基礎研究を全くしようとしませんでした。だからすべてが、「研究してるぞ!」というポーズだけで終わってしまったのです。
 この「ポーズだけで終わった」という結果について、講道館側の刊行物には「治五郎先生の死去に伴ってすべての研究が凍結してしまった。残念無念」みたいなことばかりが書かれていますが、ワタクシの見解を申し述べますれば、高専柔道の予想外の台頭に焦った治五郎先生&取り巻きが「どうしよう、どうしよう」と焦った挙句、知りもしない武道や格闘技を取り上げることで差別化を図ろうとするも、けっきょくそれらの武道・格闘技に対する基礎知識がない&知りもしようとしなかったため、結実しなかったというのがホントウのところでしょう。

 健治親分は、鼻がひん曲がるほどボクシングの練習に打ち込んだという実績あっての「武術化(=神戸柔拳)」だったわけですが、治五郎先生の「武術化」は、かくもいい加減で、しょうもないものだったのです。

(話はちょっと脱線しますが、比較的最近、ワタクシのFacebook友達の更に友達が、こんなことを書いていました。
「昔の〝柔道物〟のストーリーは、過去の栄光を引き摺る頑迷な旧態依然たる古流柔術家と新生講道館柔道の争い…って感じだった。然し、史実は『明治維新以降、日陰者扱いされて来た我々武術家が再び陽の当たる道を歩める様に成れたのも講道館の嘉納治五郎君のお蔭だ』と云う古流の大家達の感謝の物語。精力善用 自他共栄!」

 …このヒト、柔道七段だそうですが、こういうことを不特定多数の目に触れるFBに堂々と描いているということは、治五郎先生があっちこっちで発言した「講道館至上主義」発言や、そのケツウマに乗って講道館が発行した「トンデモ本」の内容をガチで真に受けているようで…これは怖い!「月刊ムー」の「宇宙人が侵略してくる!」という記事よりコワい!
 そのうち、こうしたアホな見解を打ち砕く話もしていこうと思います。)

 

6 コメント

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コメ返し遅れてほんとうにすみませんでしたm(__)m (周防平民珍山)
2023-11-18 06:48:59
 老骨武道オヤジさま、タモンさま、(゜ー゜)さま、安納雲さま、コメントを早くに頂きましたのに、コメ返しが滞っており、本当に申し訳ございませんでしたm(__)m。「その7」を書くのにけっこう手こずりまして…すみませんでした。

 皆様のご意見は非常に頷首するところ大であり、今回も勉強させていただきました。

 最終第7回もお目汚しにお読みいただければと存じますので、よろしくお願いいたします。
 
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Unknown (老骨武道オヤジ)
2023-11-10 22:21:58
しつこくて申し訳ございません。柔道から空手に転向し、空手界の偉大な先輩方から「空手はアホ柔道のお陰で悪役にされた!」と聞かされた積年の愚痴から、私は治五郎先生を称して「ジゴロと呼ぶのかなあ?」と思っていましたが、どうやら「ジゴロ」の意味は違っていたようです・・失礼いたしました。陳謝致します(-_-;)。異種格闘技をする気は毛頭ありません、言わぬが花としておきましょうね・・
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Unknown (安納 雲)
2023-11-09 22:56:22
中学生の時に、街中で背負い投げに
やられてから柔道はこわいと思った
ままの身の上からすると、とても
思いもつかない視点と解析
いつもありがとうございます。

判定の付けやすい武道は、本人や
その集団の努力がわかりやすい
ところが広く世の中に受け入れられ
るようになったと思うようになりました。

いわゆる物騒な手段については
職場では別口で扱われ、やる人
やらない人とはっきり分かれて
おり、自身の練度はどのくらいか
ということも分かりにくかったですね。

こちらの連載は長く読み返して
楽しませて頂いております(^^)
季節の変わり目ご自愛くださいませ。
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Unknown ((゜ー゜))
2023-11-09 13:07:07
いつも楽しく読まさせて頂いております。
m(_ _)m柔道、剣道の所謂『日本伝武道』が如何に競技化、スポーツ化していったかが丹念に克明に調査されており、読んでいて楽しいです。m(_ _)m
本ブログを、読んで最近は、官公庁に採用されている所謂『日本伝武道』(剣道、柔道、一部、合気道)もLEが採用している事に関してはそれなりに合理的なのではないか?🤔と思うようになりました。
適度にゲーム性があるから、一般ピーポーに毛が生えた程度の一般LEにも馴染み易く、素人受け(宣伝)し易い。練習は『運動』にもなる。酔っ払った一般ピーポー程度なら『技』を応用した対処も可能…。
『柔道剣道さえしていれば大丈夫』等と言う『柔剣道原理主義者(困った事に偉いヒトに多い😭)』発現の抑止と
『あくまで教養程度』であって『万能ではないよ』と教えてくれる『教授』がいればそれなりに使える『技術』だとも思うようになりました。
本当の『コロシ』の技術が必要な方には又、それを別系統で……という配慮は必要ですが・・・・😭。
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Unknown (タモン)
2023-11-07 01:34:15
鳴り物入りで総合格闘技に参加した柔道メダリスト達がなかなか大成出来ないのは実戦から最初から逸脱した成り立ちが関係してるかもしれませんね。
年寄ると残念な本性が剥き出しになりがちなので、晩節を汚さないよう心がけないとと思います
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Unknown (老骨武道オヤジ)
2023-11-06 22:02:44
うーん、治五郎翁は「文武両道エリート?」の頂点に立ち、天下の帝大の看板を利用するだけ利用し、脈々と偉大なる先人たちが継承してきた武術をとんでもない方向に捻じ曲げてしまったのか?・・。武道、武術を志す原点は「理不尽は暴力に対抗する術を身に着けたい!」だと、中学生時代しょうもない不良に殴られ、「今に見ておれ!」で高校にて柔道部に入部した私は確信いたします。治五郎翁は恐らく私のような苦い経験はないのでしょう。よってすでに偉大な存在となった講道館を守るために“迷走”しちゃったのかな・・そんな感想にてスミマセン・・異種格闘技の試合化は不可能なのです。以上、チャンチャン!!
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