若くてバカかったころには、「一見無駄」どころか、「体力の無駄」以外の何者でもないトレーニングをよくしていたものです。
今はもう、格闘技の「活字媒体」は、ほぼ死滅状態にありますが、私が若く、空手に狂っていた10数年前には、まだその活字媒体が生きていた最後の時代だったため、各種の格闘家の本や、雑誌でのインタビュー記事に書いてあるトレーニング方法を読み、自らの体力も、その目的をも全く無視し、ただ「同じことをしている」という満足感だけで成り立つ自主トレーニングが、まだできた時代でした。今から考えれば、まあ、しみじみとバカですね(笑)。
そんな中でも最も思い出に残るのは、このブログや旧ブログでも何度かお話した、砂袋蹴りです。
私は若い頃、現在では極真から又別れした、K館というフルコン流派を率いているR館長という方の本を読んでいました。
R館長はその著書で、「バキ」の愚地独歩のモデルになった中村日出夫先生のお弟子であった時代に、砂がパンパンに詰まった袋をバシバシ殴り、蹴りして鍛えた、という話を書いしていました。
若くてバカかった私は、たちまちその伝説に飛びつきました。
まず最初に、職場で不要廃棄されていた土嚢袋をもらい、家の敷地内から採取した砂をいれて蹴ると・・・死ぬほど痛い!しかも土のう袋ですから、蹴る度に砂がボロボロ落ちてきて、まあ、いろいろと悲惨な状態に(ノД`)。
そんなことがあったので、砂袋鍛錬はしばらく沙汰止みとしました。
それからしばらくして、某格闘技用品会社が「砂袋用の架台と袋」を発売しました。すぐさま飛びついた私は、砂袋に砂をパンパンにつめ、蹴り始めました。
そして・・・やっぱり、死ぬほど痛い!
通常市販されている「サンドバッグ」なるものは、直径10~15センチほどの太いウレタンの芯が入っていて、外皮と芯の間に、ウエスをパンパンに詰めて形成しています。
ではなぜ、未だに「サンドバッグ」と呼ばれているかというと、太古の昔にはほんとうに砂を詰めていたから、だそうです。しかしやはり、「痛い」「硬い」ということで、現在のような姿になったとのことです。
そんなことすら知らないバカな私は、パンパンに砂を詰めたものを、おもっくそ蹴りました。そして毎回、脳天が痺れる痛みを味わっていました。
R館長の本では「血尿が出て、皮膚が裂けて、それはそれは壮絶な修行だった」みたいなことが書いてありましたが、1000本蹴ると、それはウソじゃないんだということは分かりました。
砂袋1000本蹴り、私の場合は片足500本ずつでしたが、1000本蹴ると、都合2回血のションベンが出ます。1回目は真っ赤っか、2回目は普通のションベンと混じって黒い・・・
面白いことに、血のションベンを出すにはきっちり1000本蹴らないとダメでした。900本とか、800本では全然ダメでした。990本とかでもダメ。あれは面白い経験でしたね。
ちなみにこの「血のションベン」なるものは、運動や外部刺激によって細胞の中の組織が潰れまして、通常であればこうした不純物は腎臓で濾されるのですが、腎臓での処理が間に合わないことから、潰れた細胞がそのまんま小便に混じって出てくるという現象らしく、はっきり言って体に悪いですよ(^_^;)。
ただ、その蹴り込みのおかげで空手が強くなった、ということは全くなかったですし、スパー中にスネ同士がカチ当たれば、いくら鍛えていようが痛いものはイタイんですよ!
しかも、その後おっさんになって解剖学を勉強する過程で、「部位鍛錬」というのは、効果ゼロとは言いませんが、突きというものの威力を上げる上では、はっきり言って非常に費用対効果の低いものであるとの結論を得ております。
この砂袋蹴り、空手という競技能力を強くする、という意味では、その労力に全く見合わない、愚かなトレーニングであったと思いますが、弱い自分を無理やり動かすということや、きついことを望んでやるという根性については、一皮むけたような気がします。
労力に全く見合わない、理不尽でムダなトレーニング。今はネットに代表される情報化社会ですので、若い人は無駄なことをせず、スマートで必要最小限の限度で結果を得ようとします。それはそれでいいことだとは思いますが、世の中は結局、理不尽なのです。
今はものを知ったげな悪い大人が、「若い人に阿諛追従すること=若い人を理解していること」と主張し、「愛なき優しさ」を大安売りしていますが、理不尽に耐えるには理不尽な思いをするしかないですし、自分の限界を知るには、限界に近い負荷をかけるしかないのです。
そういう意味では、私は最後の「古き悪しき?時代」を過ごすことができたのかなと思いますし、合理的な練習や勉強だけではなかなか「突き抜けられない」若い人は、ぜひそういったムチャクチャなことを、一度我が身に課してみてはどうかと思います。オススメはしませんけどね・・・。
ちなみにこうしたムダ、無益なトレーニングに関してググると、最近私のブログが比較的すぐに出てくることが多いのですが・・・とてつもなく広く、合理的なネット社会にあっても、私のような古くてイタい事柄を語る人(しかも人体実験の結果付き)っつうのは少ないんですかね???
今はもう、格闘技の「活字媒体」は、ほぼ死滅状態にありますが、私が若く、空手に狂っていた10数年前には、まだその活字媒体が生きていた最後の時代だったため、各種の格闘家の本や、雑誌でのインタビュー記事に書いてあるトレーニング方法を読み、自らの体力も、その目的をも全く無視し、ただ「同じことをしている」という満足感だけで成り立つ自主トレーニングが、まだできた時代でした。今から考えれば、まあ、しみじみとバカですね(笑)。
そんな中でも最も思い出に残るのは、このブログや旧ブログでも何度かお話した、砂袋蹴りです。
私は若い頃、現在では極真から又別れした、K館というフルコン流派を率いているR館長という方の本を読んでいました。
R館長はその著書で、「バキ」の愚地独歩のモデルになった中村日出夫先生のお弟子であった時代に、砂がパンパンに詰まった袋をバシバシ殴り、蹴りして鍛えた、という話を書いしていました。
若くてバカかった私は、たちまちその伝説に飛びつきました。
まず最初に、職場で不要廃棄されていた土嚢袋をもらい、家の敷地内から採取した砂をいれて蹴ると・・・死ぬほど痛い!しかも土のう袋ですから、蹴る度に砂がボロボロ落ちてきて、まあ、いろいろと悲惨な状態に(ノД`)。
そんなことがあったので、砂袋鍛錬はしばらく沙汰止みとしました。
それからしばらくして、某格闘技用品会社が「砂袋用の架台と袋」を発売しました。すぐさま飛びついた私は、砂袋に砂をパンパンにつめ、蹴り始めました。
そして・・・やっぱり、死ぬほど痛い!
通常市販されている「サンドバッグ」なるものは、直径10~15センチほどの太いウレタンの芯が入っていて、外皮と芯の間に、ウエスをパンパンに詰めて形成しています。
ではなぜ、未だに「サンドバッグ」と呼ばれているかというと、太古の昔にはほんとうに砂を詰めていたから、だそうです。しかしやはり、「痛い」「硬い」ということで、現在のような姿になったとのことです。
そんなことすら知らないバカな私は、パンパンに砂を詰めたものを、おもっくそ蹴りました。そして毎回、脳天が痺れる痛みを味わっていました。
R館長の本では「血尿が出て、皮膚が裂けて、それはそれは壮絶な修行だった」みたいなことが書いてありましたが、1000本蹴ると、それはウソじゃないんだということは分かりました。
砂袋1000本蹴り、私の場合は片足500本ずつでしたが、1000本蹴ると、都合2回血のションベンが出ます。1回目は真っ赤っか、2回目は普通のションベンと混じって黒い・・・
面白いことに、血のションベンを出すにはきっちり1000本蹴らないとダメでした。900本とか、800本では全然ダメでした。990本とかでもダメ。あれは面白い経験でしたね。
ちなみにこの「血のションベン」なるものは、運動や外部刺激によって細胞の中の組織が潰れまして、通常であればこうした不純物は腎臓で濾されるのですが、腎臓での処理が間に合わないことから、潰れた細胞がそのまんま小便に混じって出てくるという現象らしく、はっきり言って体に悪いですよ(^_^;)。
ただ、その蹴り込みのおかげで空手が強くなった、ということは全くなかったですし、スパー中にスネ同士がカチ当たれば、いくら鍛えていようが痛いものはイタイんですよ!
しかも、その後おっさんになって解剖学を勉強する過程で、「部位鍛錬」というのは、効果ゼロとは言いませんが、突きというものの威力を上げる上では、はっきり言って非常に費用対効果の低いものであるとの結論を得ております。
この砂袋蹴り、空手という競技能力を強くする、という意味では、その労力に全く見合わない、愚かなトレーニングであったと思いますが、弱い自分を無理やり動かすということや、きついことを望んでやるという根性については、一皮むけたような気がします。
労力に全く見合わない、理不尽でムダなトレーニング。今はネットに代表される情報化社会ですので、若い人は無駄なことをせず、スマートで必要最小限の限度で結果を得ようとします。それはそれでいいことだとは思いますが、世の中は結局、理不尽なのです。
今はものを知ったげな悪い大人が、「若い人に阿諛追従すること=若い人を理解していること」と主張し、「愛なき優しさ」を大安売りしていますが、理不尽に耐えるには理不尽な思いをするしかないですし、自分の限界を知るには、限界に近い負荷をかけるしかないのです。
そういう意味では、私は最後の「古き悪しき?時代」を過ごすことができたのかなと思いますし、合理的な練習や勉強だけではなかなか「突き抜けられない」若い人は、ぜひそういったムチャクチャなことを、一度我が身に課してみてはどうかと思います。オススメはしませんけどね・・・。
ちなみにこうしたムダ、無益なトレーニングに関してググると、最近私のブログが比較的すぐに出てくることが多いのですが・・・とてつもなく広く、合理的なネット社会にあっても、私のような古くてイタい事柄を語る人(しかも人体実験の結果付き)っつうのは少ないんですかね???
旧ブログ時代からかなり使い古したネタで大変恐縮でしたが、コメ頂き大変ありがとうございます。
後から振り返って、無駄だったと分析できる自己満足のトレーニングは無駄ではない。
そういって頂けましたら、「若い頃の私」がかなり報われると思います(^_^;)。
毎朝、仕事の 出掛けに左右 100発、脛蹴りしてます48歳です。
自分が14〜5歳の頃は某 B メーカーさんも無く、豆袋を二重にして吊るしてました。
下に詰まって 詰まって
最後はブロックみたいに…
物理的、科学的、医学的は解らないんですが
痛みに対する慣れ〜って言うか
「こんだけ、頑張った」って気持ちで、恐怖心は薄らぎますよね 笑
おかげで骨には可哀想ですが、相手の脛に膝や脛を当てるのが慣れてしまいます。
合理的じゃない非合理を通貨した バカバカしい積み重ねが
空手バカの所謂オタク価値ですかねえ
(^O^)
今もたゆまぬご鍛錬をされているとのことで、大変敬服致します!
よく、筋トレマニアが「ノーペイン、ノーゲイン」みたいなことを言いますが、これは運動による辛さだけではなく、実際に殴る蹴る、殴られる蹴られるによって得られるものにも共通すると思います(;^ω^)。
やはり、殴る痛みと殴られる痛み、双方が分かる方こそが、「格闘家」を名乗っていいはずです。
むろん、てつ様は非常に高度な格闘家であるとお察しします。