表題に掲げた言葉は、何かの本で読んだものだったのか、はたまた職場で言われたことかは定かではないのですが…職場の上司・先輩に恵まれない人生を若いころから絶賛継続中(職歴25年で、真に尊敬できる上司・先輩は5人以下)のワタクシのこととて、おそらく前者だったんじゃないかと思うのですが、ワタクシが現場監督の場合は手下に対し、いつも表題のようなことを言ってやたらと休憩させ、職場の老害連中の冷たい視線(=ワタクシにとってはとても気分のいい視線)を浴びていますが、それはさておき。
わが国には「働いている時間が単純に長ければ、それだけ生産性が上がっている証拠」と思い込んでいる馬鹿なヤツがたくさんいます。
先ほどお話しした「わが社の老害」はまさにその呪縛にとらわれている、どうしようもない連中です。
その連中は知らないことですが、実はどんな人間でも、作業量が多くなるにつれ、それに反比例して生産性やクオリティがダダ下がりしていきます。
これは単なる経験則に非ずして、様々な学術論文が科学の目から証明しており、わが国に多い「長時間労働思考バカ」の戯言を一蹴するに足る証左となっております。
たとえば、科学者を対象として「労働量」と「生産性」を秤にかけた調査研究をしたところ、
・週25時間分の作業をこなす人の生産性は、週5時間分の作業をこなす人のそれとほぼ変わらない。
・週35時間分の作業をこなす人は、週20時間分の作業をこなす人の半分しか、労働制がない
という結果だったそうです。
この研究が意味するところは「ある一定時間を超えて作業しても生産性は上がらず、逆にダダ下がりするだけだ」ってことですね。
このほか、我が国におけるいわゆる「働き方改革」を補強する資料として内閣府が示しているところによりますと、労働時間が10%減るごとに、1時間あたりの生産性は25%増加するとされていたりします。
むろん世の中には、長時間継続して働かないと商売にならない業種、長時間やり続けなければどうしようもないミッションが多数ありますので、ステレオタイプに「すべての仕事において短い労働時間=善」などとは口が裂けても言えませんし、ワタクシもそういうことは絶対に言いません。
しかし、「長時間やらなきゃいけない仕事」と「やらなくてもいいようなことを、ダラダラやらせる」ということは明確に差別化しなければいけませんし、ワタクシも少数ながら手下を持つ仕事師のはしくれとして「やらなくていい、やっても意味のない作業をカットし、休んでいいときには休むための努力」は、「仕事を完遂する努力」と=で結ぶべきもの、決してあだやおろそかにしてはいけないもの、と常に思っています。
やらなくていいときに働いているふりをし、あるいは生産性のないことをダラダラ続けているのは「怠け者の節句働き」以外の何物でもなく、大いに批判されるべき。それに加え、手下を「節句働き」の犠牲とする輩に至っては、手下を持つ資格のないゴミ野郎としか言いようがありません。
ただ、日本のありとあらゆる組織には「長時間ダラダラ働くことがそっくりそのまま『よく働いている』ことに繋がる」という「空気」がまだまだ健在です。
ここでいう「空気」とは、日本人が組織を作った場合に発生するドグマ(宗教における教義)のようなものであり、その「空気」の前にはあらゆるロジカル(論理的)な思考は消し飛んでしまい、「空気」だけがその場を支配する…というもので、昭和の大哲・山本七平(1921~1991)が提唱したもの。
悲しいことではありますが、日本人が日本人である以上、「長時間ダラダラ働く?こと=よく働いていること」という、科学的に見れば大きく間違っていることを是とする「空気」がなくなることは…おそらくどんなロジック(論理)を積み重ねても、そう簡単には来ないでしょう。
でもワタクシはせめて、ワタクシの近くにいる若い人だけには「そういった考え方は完全に間違っている」ということを訴え続けていきたいですし、そのことを的確に示す言葉として「休めと言われて休めないヤツは、仕事をしろと言うときに出来ないヤツ」ということを啓発し続けていきたいと思っています。
わが国には「働いている時間が単純に長ければ、それだけ生産性が上がっている証拠」と思い込んでいる馬鹿なヤツがたくさんいます。
先ほどお話しした「わが社の老害」はまさにその呪縛にとらわれている、どうしようもない連中です。
その連中は知らないことですが、実はどんな人間でも、作業量が多くなるにつれ、それに反比例して生産性やクオリティがダダ下がりしていきます。
これは単なる経験則に非ずして、様々な学術論文が科学の目から証明しており、わが国に多い「長時間労働思考バカ」の戯言を一蹴するに足る証左となっております。
たとえば、科学者を対象として「労働量」と「生産性」を秤にかけた調査研究をしたところ、
・週25時間分の作業をこなす人の生産性は、週5時間分の作業をこなす人のそれとほぼ変わらない。
・週35時間分の作業をこなす人は、週20時間分の作業をこなす人の半分しか、労働制がない
という結果だったそうです。
この研究が意味するところは「ある一定時間を超えて作業しても生産性は上がらず、逆にダダ下がりするだけだ」ってことですね。
このほか、我が国におけるいわゆる「働き方改革」を補強する資料として内閣府が示しているところによりますと、労働時間が10%減るごとに、1時間あたりの生産性は25%増加するとされていたりします。
むろん世の中には、長時間継続して働かないと商売にならない業種、長時間やり続けなければどうしようもないミッションが多数ありますので、ステレオタイプに「すべての仕事において短い労働時間=善」などとは口が裂けても言えませんし、ワタクシもそういうことは絶対に言いません。
しかし、「長時間やらなきゃいけない仕事」と「やらなくてもいいようなことを、ダラダラやらせる」ということは明確に差別化しなければいけませんし、ワタクシも少数ながら手下を持つ仕事師のはしくれとして「やらなくていい、やっても意味のない作業をカットし、休んでいいときには休むための努力」は、「仕事を完遂する努力」と=で結ぶべきもの、決してあだやおろそかにしてはいけないもの、と常に思っています。
やらなくていいときに働いているふりをし、あるいは生産性のないことをダラダラ続けているのは「怠け者の節句働き」以外の何物でもなく、大いに批判されるべき。それに加え、手下を「節句働き」の犠牲とする輩に至っては、手下を持つ資格のないゴミ野郎としか言いようがありません。
ただ、日本のありとあらゆる組織には「長時間ダラダラ働くことがそっくりそのまま『よく働いている』ことに繋がる」という「空気」がまだまだ健在です。
ここでいう「空気」とは、日本人が組織を作った場合に発生するドグマ(宗教における教義)のようなものであり、その「空気」の前にはあらゆるロジカル(論理的)な思考は消し飛んでしまい、「空気」だけがその場を支配する…というもので、昭和の大哲・山本七平(1921~1991)が提唱したもの。
悲しいことではありますが、日本人が日本人である以上、「長時間ダラダラ働く?こと=よく働いていること」という、科学的に見れば大きく間違っていることを是とする「空気」がなくなることは…おそらくどんなロジック(論理)を積み重ねても、そう簡単には来ないでしょう。
でもワタクシはせめて、ワタクシの近くにいる若い人だけには「そういった考え方は完全に間違っている」ということを訴え続けていきたいですし、そのことを的確に示す言葉として「休めと言われて休めないヤツは、仕事をしろと言うときに出来ないヤツ」ということを啓発し続けていきたいと思っています。
銃剣道の話とほぼ連発で投稿し、閲覧者数はバっ!と増えていたのですが、マニアック過ぎる話題のせいかコメントがまったくなく、不安に思っていましたところ、コメいただき、ありがとうございました。とくに今回は現職時代の貴重なお話、瞠目する思いでした。
なるほど、高い要求を満たすには、考えて準備する時間が全体の三分の二…非常にためになるお話でございます。
またよろしくお願いいたします!