風の音

友達や孫と一緒に旅した思い出を載せます
春の草花の美しい写真
(写真をクリックすると大きくなります)

ハンブルク

2018年02月22日 | 素晴らしい

ハンブルクに着きました。渋滞に巻き込まれ夕方になってしまた。

ここは近代的な大きなビルがいっぱいです

ベルリンに次ぐ第2の都市 ドイツ最大の港町

実はここのハンブルク大学に孫が1年留学をしていて娘は孫に合う目的で来たのです

夕食を食べる時間に合わせ孫が来ることになっていました。

孫は食堂の前で待ってました。日本から頼まれたものを渡し、帰り重たいから

タクシーで帰るように伝え 少しお金を渡そうとしたら 娘がややこしいから

渡さなくていいからと言って受け取りませんでした。

娘はしばらく孫と話していて食堂へ入ってきました

帰ったの? 何で ”電車で””なんでタクシーで帰らなかったの?

かえってタクシーのほうが危ないからと言って 

”ここは治安が良くないので気を付けるように言っていたよ””

分かった。

食事が終わりホテルへ

  

  

かさすがドイツでの港町だけあって倉庫街もとてつもなく広くて

大きい 橋のところから見ただけなのでどの位荷物が入っているか

分かりません

 

  

聖ミヒャエル教会        教会の塔の上から見たハンブルック

市庁舎の前の広場

市庁舎内部

  

   

翌朝 ハンブルクの観光をして市庁舎の中に

議場へはいって議員さんの説明を聞いていた時 フト 鞄を見たらチャックが開いていたので

アレ と思い中を見たら財布がない・・・・・

娘にそのことを伝え すぐ 添乗員さんに伝えたら

幸いこの日2人別の現地係員がいて バスの中に忘れてないか確かめてくれ

市庁舎の前で警察官を見つけ話してくれたら交番へ行くように言われた と

それで娘がすぐカード会社(日本の)に連絡を取ってくれて

カードをストップしてくれ助かりました

ツァーの人たちが中の案内を聞いていたのでみんなには迷惑をかけずに済んだのが

なによりでした

その日も孫と市庁舎で会う約束をしていたのですが

添乗員さんに交番へ連れていってもらい 10分ぐらいで行けると聞いてましたが

30分かかり 何もわからずドイツ語で問われ みんな添乗員さんが

通訳してくれて助かりました

娘たちは市庁舎の前で待っていてくれました。

反省の一言です

その後 食事をしましたが 孫がドイツ語で オーダーをしてくれ

タイの焼きそばを食べました

ハンブルックの写真

https://www.bing.com/images/search?q=%e3%83%8f%e3%83%b3%e3%83%96%e3%83%ab%e3%82%af&qpvt=%e3%83%8f%e3%83%b3%e3%83%96%e3%83%ab%e3%82%af&FORM=IG

今回日本と同じ敗戦国 ドイツを訪れ先進国日本の技術は最高だと聞いていました。やはりドイツの方が

進んでると思ったのはトイレです。トイレに入るには0.70ユーロいりますが要をたした後 後ろから

消毒液が噴射され 便座か自動でくるくる回るのですそれから便座の蓋がしまるのです。入ったみんなが

わ~と驚いていました 写真を撮ればよかったのですがその時カメラを持ってなかったので残念でした

 

 

 

 

 

 

 


リューベック

2018年02月21日 | 素晴らしい

 

ドイツ 中世後半 北海・バルト海沿岸 商人が同盟を結び

リューネブルクで採掘された塩がリューベックに集められここから

北海・北欧・ロシアへと取引された

ハンザ同盟都市として栄えたリューベックへやってきました

ホルステン門

リューベックのシンボルで重量感のある堂々とした市門

バスから見たときものすごく傾いているのでイタリヤの

ピザの斜塔を思い出しました

厚さ3.5mもある重い壁のため傾いているのだそうです

デンマークに対する軍事圧力として1478年に建設された

https://allabout.co.jp/gm/gc/445580/詳しくはここをクリック

戦時中は食料・小麦 穀物・貯蔵されそうです

ラテン語の金文字は町の中には「協調を」門の外では「平和を」

  

市庁舎屋根の下に紋章が埋められています 立派なものです

聖マリエン教会【ハンザ商人の教会】

                        小悪魔・どうしてここにいるか?https://rocketnews24.com/2012/08/22/241568ここをクリック

         

  

第2次世界大戦で破壊された鐘楼 

聖ペトリ教会【塩商人の教会】

  

  

聖ヤコブ教会【船乗りの教会】

   

 

 

 

 


おとぎの国 ブレーメン

2018年02月18日 | 素晴らしい

グリム童話『ブレーメンの音楽隊』で有名な街に来ました

ツェレから2時間/115km

マルクト広場には大きなローランド像が迎えてくれます

  

ローランド像 

市場や司法の権利を象徴するもので教会に支配されない町である

ことを示すものです

ヒヒ~ン・ワン・ニャン・コケコッコ~

で有名な銅像ですがこの像の足にお願いすると

願いが叶うといわれています

娘が”お願いした?”と言ったので ”うん 楽に死ねますように”と

いうと嫌な顔をしてました

町は 

市庁舎を中心に立派な歴史を感じさせる建物が

立ち並んでいます

   

大天使ミカエルが龍を退治している黄金のリレーフ

リレーフを抜けるとベンチャー通り 戦後市民の寄付で

修復させた路地

豚通り

 ここは昔豚が通って居たというのでなずけられた

町は近代的なお店がいっぱい

  

一挙に大きなレンガつくりの建物を見てどれがどの建物だったかわからなくなりました

聖ペトリ大聖堂

ブレーメンは教会に支配されない自由都市だったので教会自身の力を示すため

市庁舎に負けないような立派な大聖堂を建てた

写真では見えにくいですが2つの塔を持つとても大きな教会です

  

周りにも大きな建物がいっぱい

 

 

   

   

    

   

  

   

 

 

 

 

 

                        

 

   

  

 

 


ツェレ 

2018年02月15日 | 素晴らしい

ポツダムから約4時間250kmツェレへやってきました

ドイツの広さがわかります

この町はとても古い建物や教会 市役所などが残っていておしゃれな街です

旧市内は道幅も狭く大きな教会の塔が幾つもたっていて レンガつくりの緑の屋根

がどっしり圧倒されました

旧市内は小さなお店が並んでいて 木でできた

いろいろの動物やメルヘンチックなお人形 船 などを売るお店が並んでいました

ツァー参加者の1人が私にもっと買い物がしたいのに時間がないわね~と不満を述べていました。

私もつい1つだけお買い物

  木のお香をたく人形です 口から煙が出ます

町の様子

食事場所       間口は狭いけど大きなうちです

古いおうちにはドァの上に1621年とプレートが書いてあります 緑の家も古いのです

 

聖ペトリ大聖堂

   

 

 木の天井      巨大なパイプオルガン

  

                   ルターが馬に乗っている銅像

町の様子

   

足の長い颯爽と歩くドイツの人を見て みんなかっこいいと言ってました

向こうの人は余り話しかけてはきませんがベルリンでバスに乗った時

話しかけてきた人がいて言葉がわからなく 娘が応答してました

きれいな木組の家はfacebookに載せました

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 


ポツダム サンスーシー宮殿

2018年02月14日 | 名所

ツェツィーリエンホーフ宮殿を後にしてバスの中から見える景色は

林に囲まれた大きな家 庶民の家?と聞きたくなるほど広い土地に家が建っています

夏場の別荘として使われているところもあるそうです

ここは旧東ドイツにあたりドイツが受け入れている難民の家もあります

サンスーシ宮殿の入り口に大きなオランダ風の風車ある家があります

フリードリヒ大王は邪魔で仕方がなかったという因縁の

ノイエ・カンマーンです

この宮殿はベルサイユ宮殿ににさせてつっくたと言われています

スマホで撮った写真がたくさんあるのですがスマホからパソコンに

取り入れようとするとフォーマットーする出てくるので

データーが消えてしっまたら怖いのでまたあとからUPします

 

 


お城の中へ

2018年02月10日 | つらい

ツェツィリエンホーフ宮殿は今ホテルとして使われているそうです

ハイリゲン湖に面したレンガつくりではなく木造のドイツを象徴するような

とても素敵な宮殿です

中はお金を払えば撮影が許されます

ポツダム宣言が行われた当時の様子はパネルとして展示されています

私たちはスターリン、チャーチルの顔はハッキリ覚えていますがトルーマンの顔はピーンときません。

この宣言には旧ソ連は日本と中立条約を結び対日戦に参戦しなかったので

共同声明から外されていたそうです

当時のおしろの家具や調度品 トルーマン、スターリンの使用した机などが残されている 

  

 

円卓会議上ここへ入場するのにトルーマン・ブレジネフは別々のドアーから入ったそうです

階段も手彫りで素敵でした 

写真が多すぎてUPがむつかしい 

余談ですが人手が足りないのか経費節約なのかわかりませんが

現地ガイドさんが各部屋の鍵を借りて開けたり閉めたりしています

 

 


ポツダム会談のお城

2018年02月08日 | 政治

ポツダム

私たちは戦争の恐ろしさはあまり知りません。終戦の時まだ4歳でした

孫におばあちゃん戦争の話教えてと夏休みになるといわれます

今回ドイツを訪れ同じ敗戦国 どんな復興をしているのか 興味がありました

でもそんな悲惨だった様子は記念碑やオブジェとして残っているだけで

三角屋根の高い塔の建物やアーチ型の建物おとぎの国へ来たような感じでした

  

  

  

        これはソ連兵が刻んだものです

ツェツィリエンホーフ宮殿

ベルリンから40kmポツダムへ来ました

ここは日本に戦争を終わらせるためにs20(1945・7・17)

アメリカ(トルーマン)イギリス(チャーチル)旧ソ連(スターリン)が集まり

ポツダム宣言をした場所です

ポツダム宣言とはよく耳にしますがどんな事が書かれているか知りませんでした

インターネットで調べてコピーしたものを載せました

第1条 アメリカ、イギリス、支那は協議して戦争を終える機会を日本に与えることで合意した。
第2条 アメリカ、イギリス、支那の3国は日本に最後的打撃を加える態勢を整えた。
第3条 我々の軍事力は日本の本土を壊滅することができるレベルになっている。
第4条 日本は決定すべき時期が来た。
第5条 我々の条件は以下の通りで、それ以外の条件はない。遅延は認めない。
第6条 軍国主義、世界征服をしようとした者は永久に除去する。
第7条 日本の戦争遂行能力がなくなるまで日本の諸地点を占領する。
第8条 カイロ宣言」は履行され、日本国の主権は本州、北海道、九州、四国、そして我々が決定する島に限定される。
第9条 日本軍は武装を解除された後、各自の家庭に復帰し、平和的な生活を営む機会を与えられる。
第10条 我々は日本人を奴隷にしたり滅亡させようとする意図はないが、我々の国の捕虜を虐待した者を含む戦争犯罪人に対しては厳重に処罰する。日本国政府は民主主義を推進しなければならない。言論、宗教及び思想の自由、基本的人権の尊重を確立しなければならない。
第11条 日本は、経済、産業を維持することを許されるが、再軍備の産業は除く。原料の入手は許可され、将来、世界貿易への参加も許される。
第12条 前記の目的が達成され、日本国民が平和的傾向を有し、責任ある政府が樹立されたときには、連合国の占領軍は直ちに日本より撤収する。
第13条 我々は日本政府が直ちに日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、日本政府がそれを保障することを要求する。そうでなければ日本はすぐに壊滅されるだけである。

ベルリン散策

2018年02月05日 | 手ずくり

北ドイツ周遊に行ってきました。ベルリンについて半日市内観光 食事を済ませるとここからは自由行動にします・・・西も東もホテルの場所さえわからないのにどうするの?幸い添乗員さんがホテルへ帰るというので就いていくことにしました。そうしたら現地ガイドさんも同じほうへ帰るというのでベルリン駅まで歩いて切符の買い方を教えてもらいました。自動販売機で行き先を決め切符を買い 隣の機械で日時を印刷すると2時間バスでも電車でも地下鉄でも1枚の切符で乗れるそうです
ホテルで写真機のバッテリーがなくなったので取りに行きまだ時間があるのでバスでシャルロッテンブルク宮殿の見学に行きました。凄い建物窓はいくつあるの?部屋はいく部屋?正面玄関を入ると場所ごとに料金が違いお庭が見たいのだけどと指をさすとお城の図面を見て正面から庭のほうへ指を回して教えてくれました。うぁ~広い 凄い きれい お城のバルコニーから見たいと思いました。この宮殿はフリードリヒ1世がシャルロッテ王妃のために建て18世紀にフリードリヒ大王が増築して今の姿になったそうです 

ベルリン散策