tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

脚本が「雑」なんだよな…フジテレビのドラマ『民衆の敵』

2017-11-17 15:29:45 | 物申す
妻が「録画して」というのでなんとなく見ていたフジテレビの月9ドラマ、『民衆の敵』。
第4話まで見たが…これ以上見る気はしなくなった。

第1話。
主人公が市議会議員に当選しないことには物語が前に進まないのは、視聴者は当然わかりきっているわけだが、
そこに至るまでは、「もっともらしい」過程をきちんと描いて、腑に落ちさせてもらわなきゃ困る。
「次点で落選と思いきや、対立候補が体調悪化で当選辞退、よって繰り上げ当選」
…って、俄か仕込みにもほどがある。なんと浅い展開だろうか。
だいたい、主人公は出馬の際に保育園のママたちに疎んじられていたはずなのに、
いつの間にか強固な「ママさん応援ネットワーク」が組まれるのにも説得力を感じないし、
他の候補者のマイクの街頭演説に割り込んで地声で喋りはじめたら
聴衆がみんなこっちに聞き入ってくれて拍手喝采になる、とか、夢物語もずいぶん安直なんだよね。
しかも、その演説内容に心を打つメッセージが込められているわけでもなく、
ただの「おかしくないですか?おかしくないですか?」の連呼。
また、時折挟み込まれる、小劇場とか自主制作映画を齧った人がいかにも好みそうな、
「突然カメラ目線に振り向いて独白する」演出も鼻についた。
(この演出によって、前田敦子はつくづく演技が下手なんだなあということが浮き彫りとなる)
本編と思って見ているといつの間にかCMに突入している、
CMの手法としては斬新なんだろうが、視聴者からすれば一杯食わされているとしか思えないCMも、
同様に鼻についた。
(お蔭でこの父子は、ドラマの大事な登場人物というより、「CM要員」としか思えなくなった)

第2話。
篠原涼子の舌足らずの早口が痛々しく感じられ、
高橋一生の「僕は君のことをなんでもわかっているんだよ…」とでも言いたげな、
頼んでもいないのに「包み込んで」来ようとする、これ見よがしの「優しさ」表現に虫唾が走る。

第3話。
高校中退でも、ゲーム好きのフリーターでも、肉食いたさの金目当てでも別にいい、
そういう人間でも、持ち合わせのバイタリティーと、ふつうの庶民の持つ当たり前の良識、
そして、学校でいい点数を取ることとは別種の「人間としての真の賢さ」で、
結果的に魅力あふれる政治家に育っていくことが、
このヒロインの見どころになるはずだと僕は思っていたのだが、
見続けているうちに、このヒロインは「本当に知恵が足りないんじゃないのか?」と思い始めてしまう。
幼女誘拐容疑で逮捕された男が口を噤んだままでいる理由に気づくのも、
篠原演じる主人公ではなく、高橋一生のほう。
しかも高橋も、デスクにいて何の脈略もなく「あ、そうか!」と気づき出す始末。
真実に迫るまでの道程が、まったく描かれていないのだ。
「伏線(とその回収)」も、「気づき」も「きっかけ」もあるわけでもなく、ただ、「あ、そうか!」。
実に乱暴極まりない。
終盤、篠原は釈放された男の元へ行き、「君を幸せにしたい!」とまくしたてるのだが、
なんとも軽いし、歯が浮くし、ただ上滑りするのみ。この「熱」にはとても乗れない。

第4話。
このドラマでは、「市長派」と「市議のドン派」で対立構造が設定されているわけだが、
この対立があくまで「人物相関図上の便宜的な設定」でしかなく、
それに応じたキャラクターの描き込みがちゃんとできていないから、
見ている方は、対立派閥のどちらにも肩入れできず、また逆に、反感も持てない。
せいぜい、ちょっと前の都議会の構図を上辺だけデフォルメしてるのかな?と思うだけだ。
(しかも、当のその都議会の話題も、もはや旬を過ぎて「流行遅れ」と化している)。
市議のドン役の古田新太が、例の「カメラ目線の独白」で自分の思いを吐露する。
(第1話では頻出したこの演出も、視聴者に嫌われたのか、だんだん減ってきている)
僕はこの「カメラ目線の独白」演出は、
小劇場や自主制作映画を齧った人間が愛好しがちな「けれん」かと思っていたが、
実は、症状はもっと重いようだ。
自然なストーリー展開や台詞でキャラクターをきちんと描ききれないから、
仕方なく登場人物それぞれに、自らの立場や思いを「説明」させているのである。
なんと野暮で稚拙な演出だろうか。
この回では、「現代の地域行政が抱えるトピック」をドラマに盛り込むにあたり、
それをきちんと深掘り・咀嚼できていないのだろうな、とも感じた。
「衰退する商店街」「子どもの貧困化」「行き場のない子供たち」
…確かに、最近どこかで耳にしたことのあるようなテーマだ。
それを、制作会議のブレストで思いつくままに挙げてみて、
トレンドだからなんとなく話の中に取り込んでみました、というのが今回。
客の来ない寂れた商店街で、ボランティアによる無料の子ども食堂を開いてみました。
そうしたら人が来すぎて、ボランティアではとても回らなくなりました…という展開。
まあ、この時点で、先行きが見通せていないのは市議にしてはあまりに頭が悪いよね、と思うわけだが、
それをどう切り抜けるかと言えば、「市議会で決議すること」、なんですと。
何をどう市議会で決議すると、健全な経済活動でもない「無料食堂」が具体的に上手く走り出すのか、
その細部のリアリティーは描かれない。ただ、「決議」すれば万事解決、らしい。
高橋は篠原に言う。「あなたには必殺技があるじゃないですか」と。
この「必殺技」というのが果たして何なのか、すでにシリーズ中盤の第4話にもなるここに来ても、
制作陣と視聴者との間で「ああ、あの技ね!」と共有されていないのが、
このドラマの不幸を象徴しているのかも知れない。
少なくとも僕は何が篠原の「必殺技」なのかは全くわからなかった。
結局その「必殺技」が何なのかと言えば、
「市議のドンに頭を下げてお願いすること」でしかないのだが…薄っぺらいよなあ。
ともあれ、無事に市議会で決議され、エンディングは、
「無料食堂=貧困家庭のためのものであって、誰もがさもしくタカるものじゃない」
という大方の常識からすらはずれ、市議たちもが一緒になってそこで飯をかきこみ、
ハッピーエンド風の絵が描かれるのであった。
この能天気な「無料食堂」って、いったい何なのさ?
世間の実在の「無料食堂」を苦労して運営している人に対しても失礼だろうよ。

…このドラマ、脚本が上手くないことは間違いないのだが、どう上手くないのかと言えば、
「痒いところに手が届かない」ことに尽きると思う。

この種のドラマでカタルシスを生むためには、気持良く視聴者を乗せるための周到なプロットと、
そのプロットに説得力を持たせるための入念な[伏線-回収]の折り込み、
そして、ひとりひとりのキャラクターを引き立たせる丁寧な描写が大切だろう。
そうした構成と描写が緻密で、パズルがパシッ、パシッとはまっていくような気持の良い整合性があるほど、
「痒いところに手が届く」脚本と言える。
ところが、このドラマではそれが雑で、伏線もなければ回収もなく、
キャラクター造形も、ちょっと前の都議会の安上がりで表層的なパロディーを超えるものでなく、
まったく練り込まれていない。
その結果、「痒いところに手が届かない」、消化不良の後味しか持てなくなるのだ。

思えば、「民衆の味方」が主人公のはずのドラマのタイトルが、「民衆の敵」なのも意味不明だし。
(例のトヨタの劇中ゲリラCMの方では、「民衆の味方」というフレーズを使わせているけどね)

僕はドラマを見る時は、それなりに敬意を払って、
バラエティーや情報番組を見る時とは異なり、「倍速」で飛ばして見たりはしないんだけどな…。
貴重なこれまでの「4時間」、いったいどうしてくれるのだ?

<追記>
ところで本ドラマでは、最近のドラマでは減ってきていた「喫煙シーン」が頻出する。
市議会のドンも吸うし、石田ゆり子の同僚新聞記者も吸うし、
高橋一生も「久しぶりに吸いたくなりました」とわざわざ断ってまで吸う。
電子タバコは通常のタバコとは異なり、煙で周囲に迷惑をかけていないはず、
だから露出させても問題ない、という意識があるのか。
いわゆる「プロダクトプレイスメント」として、広告規制の厳しくなったタバコを
なんとかして電波に乗せようとしているのか。
(本編に溶かし込むように車のCMを流す番組なら、それくらいのことは充分するのだろう)。
いや、それともあるいは、ここでも演出の貧困さが現われて、
「威厳や尊大さ、“悪の親玉”の表現」「休憩の手持ち無沙汰の表現」「ストレス鬱積や苦悩の表現」を、
タバコというグッズに安直に頼っているだけかも知れない。