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今日の筆洗

2020年06月16日 | Weblog

 弘法大師が「笑」という字を忘れてしまい、籠をかぶった犬を見て思い出したという言い伝えがある。それまで犬には三本しか脚がなかったが、大師がその礼にと鍋、釜をかける「五徳」の脚から一本外し、犬に与えた。だから犬は用を足すとき、もらった脚を汚さぬよう今も脚を上げる。よくできた話である▼言い伝えと関係があるのか。犬にかまれぬおまじないにこんなのがある。「弘法がかけた情を忘れたか、ここ立ち退けよ、ナムアビラウンケンソワカ」(『日本俗信辞典』)▼お気の毒に昨年九月、フィリピンで、犬に足首をかまれてしまったと聞く。愛知県豊橋市で三十代の外国籍男性が狂犬病に感染して亡くなった。国内では十四年ぶりの狂犬病による死亡ケースという▼犬を見て「笑」の字を思い浮かべる日本の愛犬家も気をつけたい。例えば海外の旅先や赴任先。異国で犬を見かければ、日本にいる自分の犬を思い出し、無性に近づきたくもなる。お待ちを。その犬はどんな病にかかっているか分からない▼日本は狂犬病を撲滅した数少ない国だが、世界ではアジアを中心に今も年間五万人規模の人が犠牲になっている。日本と縁遠くなった分、その恐ろしさも薄れやすいが、発症すれば、致死率の極めて高い病である▼残念ながら、あのおまじないは日本語の分かる犬にしか効かないと心得た方が良さそうである。


今日の筆洗

2020年06月13日 | Weblog

 まだ知られていない子どもの病気がある−と、肩に力を入れて臨んだ発表だったが、学会に集まった人々の反応はなにもなかったという。後に「川崎病」と呼ばれることになる病気を発見した医師、川崎富作さんは五十年以上前の発表の場を振り返っている▼渾身(こんしん)の論文を、その後書きあげている。注目はされたものの、学会の権威とされていた人物に、そでにされた。苦境に<真理は必ず生き残る>とむしろ研究への意欲を高めたという(海堂尊著『日本の医療 この人が動かす』)▼高熱など、原因不明の症状の子どもたちを数多くみていた。正しさへの確信と持ち前の気骨で研究を進める。海外でも評価されると、世界の小児科医の「教科書」にも書き込まれるまでになった。川崎病の名も定着した。治療法の研究も前進している▼真理に支えられて、長い道のりを歩んできた人だろう。川崎さんが九十五歳で亡くなった。アルツハイマー病、メニエール病など、発見した研究者らの名前を冠した病名がある。日本人では、数少ない名誉であるという▼新型コロナウイルス感染症をめぐり、欧米から川崎病に似た症状があるという報告が相次いでいる。世界保健機関(WHO)も新型コロナとの関連について、研究を強化すると表明した。感染症の解明に、役立つかもしれない▼その功績に光がまた当たっているようでもある。


今日の筆洗

2020年06月12日 | Weblog
 夏目漱石に、処世訓を若者に説いた『愚見数則』がある。若者に限らず、時に応じ、心に響く一喝のような言葉が多い▼たとえば、<小智を用(もちい)る勿(なか)れ、権謀を逞(たくまし)うする勿(なか)れ、二点の間の最捷径(さいしょうけい)は直線と知れ>。目的に向かっては、小ざかしいたくらみなどを捨てて、まっすぐに最も近い道を進めという▼世の中がコロナ禍で傷ついたこの時、近い道をまっすぐに通り、できるかぎり早く、必要とする人に資金が届いてほしい事業であろう。打撃を受けている中小企業や個人事業主への持続化給付金だ。近道どころか、あやしげな道を通っていないか。そんな疑念が膨らんでいる▼経済産業省が、まず電通と関係がある一般社団法人に七百六十九億円の事業を委託すると、この一般社団法人は、二十億円少ない額で電通に再委託し、電通はさらに子会社に外注し…▼道に乗ったのはいいけれど、どうしてかすぐに乗り換えを強いられ、トンネルも経由させられ−そんな絵を想像する。切実に待つ人がいるのに、なぜこの道か、乗り換えのたびに費用がかかっていないか、「中抜き」されていないか。疑念への政府側の言葉は説得力があるとはいい難い。別の近道があったはずであるという声も上がっている▼困っている人の将来を左右する税金の重要な使い道である。「小智」や「権謀」に影響されていないか。納得できる説明がほしい。

 


今日の筆洗

2020年06月09日 | Weblog
 映画撮影中の米歌手、俳優のフランク・シナトラが出番までの待ち時間にしびれをきらし、家に帰ろうとしたそうだ▼スタッフが追い掛け「撮影はどうすればいいんですか」と言うと、シナトラは「わけないことだろう」。シナリオを取り上げると撮影予定だった部分をビリッと破り捨て帰っていった▼破り捨て「なかったことに」。全盛期のシナトラを思い出すブラジルのボルソナロ大統領の「マイウェイ」ぶりである。新型コロナウイルスの感染者数が米国に次いで、二番目に多いブラジルだが、累計の感染者数や死者数の公表を取りやめたそうだ▼コロナの恐ろしさを甘く見た大統領への風当たりは厳しく、三万五千人を超える死者数と連日、報道されることがお気に召さなかったらしい。公表を取りやめても死者数は消えないし、こうしたやり方がさらに信用を失わせるのだろうが、「なかったことに」の魔力に勝てなかったか▼なにもブラジルに限らぬ。わが国もである。政府はコロナ対策の専門家会議の議事録を結局、作成しないという。事後検証にはやりとりをきちんと残した議事録が欠かせぬが、作成を見送り、論点を整理した議事概要のみを公表するそうだ▼こっちの方が賢い。最初から議事録がなければ、後で何か問題が起きたとしてもビリッと破り捨て「なかったことに」の手間も省けるとは、皮肉がすぎるか。

 


今日の筆洗

2020年06月08日 | Weblog

 「私はうそつきだ」。こう言った人はうそつきか、そうでないか。なぞなぞではなく、いにしえからある論理上の問題である▼自分で言うのだから、うそつきなのだろう。でも、うそつきだとすれば「私はうそつきだ」という言葉自体もやっぱりうそではないか。分からなくなる。「うそつきのパラドックス(矛盾)」と呼ばれる▼読者を悩ませるつもりはないが、これもその手のパラドックスかもしれぬ。麻生太郎財務相の発言である。日本人の新型コロナウイルスの死亡者数が欧米に比べて少ない理由について「おたく(の国)とは国民の民度のレベルが違う」とおっしゃったそうだ▼「日本人の民度は高い」。他国からそう言われる分には構わない。が、日本人自身がそれを言い出せば、その言葉は思い上がり、高慢で慎みの欠ける言葉に聞こえはしないか▼民度とは国民の生活程度のことであり、そこには礼儀やマナー、心根のようなものも含まれるのだろう。とすれば、うそつきのパラドックスと同じ。自分で民度が高いと胸を張ることはおよそ民度が高いふるまいとは思えぬのである。大勢の死亡者が出た国を見下しているようにも聞こえる▼麻生さんによればコロナ死亡者の少ない理由を日本の民度の高さと説明すると他国の人は黙るそうだ。おそらく、感心の沈黙ではない。開いた口がふさがらなかったのである。


今日の筆洗

2020年06月06日 | Weblog

 スペインのある有名な闘牛士は最後の剣を繰り出す段になると、まず一歩後退した。いにしえのギリシャ、ローマの人々に似ていると、スペインの思想家オルテガが、指摘している。なにかに臨む時に、一歩下がって過去を見るところだという。<過去に根を下ろして生きる>人々であるとも(『大衆の反逆』)▼<何事も、古き世のみぞ慕(した)はしき>。徒然草にも、見習うべきは過去にあるという見方がいく度か登場する。時とともに人は進歩し、昔よりも今のほうが優れている−という現在支配的なものの見方と、くみするべきはどちらだろうか。考古学の大発見の報にそんなことを考えさせられた▼茨城大などの調査団が、メキシコでマヤ文明最古にして最大の建造物を発見したという。紀元前一〇〇〇年ごろに造られ、長さは約一・四キロ、幅約四百メートルと巨大だ▼延べ一千万人以上の労働力がいる規模であるらしい。なのに高位の支配者など社会の身分差を示すものがない。強権のない社会で、人々は力を合わせて造ったということだろうか。研究成果の続きが知りたくなる▼三千年後の文明社会はどうだろう。米国には、人種格差に根差した危機があり、人々を分断するような指導者の言動がある。香港の自由は強権の脅威を受けている▼科学や技術は進んだが、社会はどうだろう。一歩下がって考えたくなる発見の報である。


今日の筆洗

2020年06月05日 | Weblog
 結核を患い、長い闘病生活を詠んでいる俳人の石田波郷に、よく知られた晩年の句がある。<今生(こんじょう)は病む生なりき烏頭(とりかぶと)>。痛切な嘆きがあると感じられる半面、毒を蓄えながら、秋に鮮やかな紫色の花を咲かす「烏頭」の効果であろうか、その生を受け入れているように思えなくもない▼少なくとも特効薬やワクチンが効力を発揮するまで、われわれの世の中にも「病む生」の側面があるようにみえる。受け入れなければならない新型ウイルスとの共生という側面である。開幕が近づくプロ野球で先日、選手が感染していたと明らかになり、それを思わされた▼開幕日程に影響はないようであるが、開幕後ならどうであったか。選手の感染に限らず、思わぬ事態は今後もありえよう。再開を目指すJリーグでも先日、選手の感染が確認されている▼思い通りに何事も進まない世の中だと、当事者のみならず広く心構えを持ったほうがよさそうだ。東京五輪をめぐり、政府は大会の簡素化について検討を始めたという▼開催時期までにコロナ禍が終息している保証はどこにもない。ウイルスと共生しながら迎えるなら、簡素化は避けられないようにみえる▼一病息災という。一つくらい病気があるほうが体に気を配り、無病よりむしろ長生きする。一病と呼ぶにはやっかいな相手であるが、今生が無病でない時には頼りたくもなる言葉だ。

 


今日の筆洗

2020年06月04日 | Weblog
 <不思議な橋がこの町にある 渡った人は帰らない>。浅川マキさんの「赤い橋」(一九七〇年)。その赤い橋を渡ると、みんなどこかへと消えていく。そして、いつかは自分も…。そんな不思議な歌だった▼赤く点灯する東京・お台場のレインボーブリッジを見て、浅川さんの沈鬱(ちんうつ)な歌声を聴いた気分である。東京都は二日、新型コロナウイルスの感染が再び拡大傾向にあると判断し、都民に警戒を呼びかける「東京アラート」を初めて発令した。レインボーブリッジが悲しい「赤い橋」になったのもアラート発令に伴うものだそうだ▼緊急事態宣言が東京で解除されたのが五月二十五日。少しずつ「普通の日」に戻りつつあったのに、わずか約一週間でアラート発令とは悔しくなる▼今のところ、休業の再要請などにはいたっていないが、安心はできないだろう。今、増えている感染者は緊急事態宣言が解除される前に感染した人と考えられる。解除後、町にどっと戻った人波を思い浮かべれば、来週あたり、感染者がさらに増えても、不思議ではないかもしれない▼夜の繁華街での感染が目立つという。一度、緩んでしまった心のたがを再び引き締めるのは苦労だが、気をつけるしかない▼腹黒いウイルスは歌とは違う。橋を渡って、消えていったように見せかけて、こちらがつい油断すると、平気な顔をしてまた帰ってくる。