弘法大師が「笑」という字を忘れてしまい、籠をかぶった犬を見て思い出したという言い伝えがある。それまで犬には三本しか脚がなかったが、大師がその礼にと鍋、釜をかける「五徳」の脚から一本外し、犬に与えた。だから犬は用を足すとき、もらった脚を汚さぬよう今も脚を上げる。よくできた話である▼言い伝えと関係があるのか。犬にかまれぬおまじないにこんなのがある。「弘法がかけた情を忘れたか、ここ立ち退けよ、ナムアビラウンケンソワカ」(『日本俗信辞典』)▼お気の毒に昨年九月、フィリピンで、犬に足首をかまれてしまったと聞く。愛知県豊橋市で三十代の外国籍男性が狂犬病に感染して亡くなった。国内では十四年ぶりの狂犬病による死亡ケースという▼犬を見て「笑」の字を思い浮かべる日本の愛犬家も気をつけたい。例えば海外の旅先や赴任先。異国で犬を見かければ、日本にいる自分の犬を思い出し、無性に近づきたくもなる。お待ちを。その犬はどんな病にかかっているか分からない▼日本は狂犬病を撲滅した数少ない国だが、世界ではアジアを中心に今も年間五万人規模の人が犠牲になっている。日本と縁遠くなった分、その恐ろしさも薄れやすいが、発症すれば、致死率の極めて高い病である▼残念ながら、あのおまじないは日本語の分かる犬にしか効かないと心得た方が良さそうである。
まだ知られていない子どもの病気がある−と、肩に力を入れて臨んだ発表だったが、学会に集まった人々の反応はなにもなかったという。後に「川崎病」と呼ばれることになる病気を発見した医師、川崎富作さんは五十年以上前の発表の場を振り返っている▼渾身(こんしん)の論文を、その後書きあげている。注目はされたものの、学会の権威とされていた人物に、そでにされた。苦境に<真理は必ず生き残る>とむしろ研究への意欲を高めたという(海堂尊著『日本の医療 この人が動かす』)▼高熱など、原因不明の症状の子どもたちを数多くみていた。正しさへの確信と持ち前の気骨で研究を進める。海外でも評価されると、世界の小児科医の「教科書」にも書き込まれるまでになった。川崎病の名も定着した。治療法の研究も前進している▼真理に支えられて、長い道のりを歩んできた人だろう。川崎さんが九十五歳で亡くなった。アルツハイマー病、メニエール病など、発見した研究者らの名前を冠した病名がある。日本人では、数少ない名誉であるという▼新型コロナウイルス感染症をめぐり、欧米から川崎病に似た症状があるという報告が相次いでいる。世界保健機関(WHO)も新型コロナとの関連について、研究を強化すると表明した。感染症の解明に、役立つかもしれない▼その功績に光がまた当たっているようでもある。
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「私はうそつきだ」。こう言った人はうそつきか、そうでないか。なぞなぞではなく、いにしえからある論理上の問題である▼自分で言うのだから、うそつきなのだろう。でも、うそつきだとすれば「私はうそつきだ」という言葉自体もやっぱりうそではないか。分からなくなる。「うそつきのパラドックス(矛盾)」と呼ばれる▼読者を悩ませるつもりはないが、これもその手のパラドックスかもしれぬ。麻生太郎財務相の発言である。日本人の新型コロナウイルスの死亡者数が欧米に比べて少ない理由について「おたく(の国)とは国民の民度のレベルが違う」とおっしゃったそうだ▼「日本人の民度は高い」。他国からそう言われる分には構わない。が、日本人自身がそれを言い出せば、その言葉は思い上がり、高慢で慎みの欠ける言葉に聞こえはしないか▼民度とは国民の生活程度のことであり、そこには礼儀やマナー、心根のようなものも含まれるのだろう。とすれば、うそつきのパラドックスと同じ。自分で民度が高いと胸を張ることはおよそ民度が高いふるまいとは思えぬのである。大勢の死亡者が出た国を見下しているようにも聞こえる▼麻生さんによればコロナ死亡者の少ない理由を日本の民度の高さと説明すると他国の人は黙るそうだ。おそらく、感心の沈黙ではない。開いた口がふさがらなかったのである。
スペインのある有名な闘牛士は最後の剣を繰り出す段になると、まず一歩後退した。いにしえのギリシャ、ローマの人々に似ていると、スペインの思想家オルテガが、指摘している。なにかに臨む時に、一歩下がって過去を見るところだという。<過去に根を下ろして生きる>人々であるとも(『大衆の反逆』)▼<何事も、古き世のみぞ慕(した)はしき>。徒然草にも、見習うべきは過去にあるという見方がいく度か登場する。時とともに人は進歩し、昔よりも今のほうが優れている−という現在支配的なものの見方と、くみするべきはどちらだろうか。考古学の大発見の報にそんなことを考えさせられた▼茨城大などの調査団が、メキシコでマヤ文明最古にして最大の建造物を発見したという。紀元前一〇〇〇年ごろに造られ、長さは約一・四キロ、幅約四百メートルと巨大だ▼延べ一千万人以上の労働力がいる規模であるらしい。なのに高位の支配者など社会の身分差を示すものがない。強権のない社会で、人々は力を合わせて造ったということだろうか。研究成果の続きが知りたくなる▼三千年後の文明社会はどうだろう。米国には、人種格差に根差した危機があり、人々を分断するような指導者の言動がある。香港の自由は強権の脅威を受けている▼科学や技術は進んだが、社会はどうだろう。一歩下がって考えたくなる発見の報である。