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今日の筆洗

2020年06月03日 | Weblog
 作家の島田雅彦さんがある漫画家について書いている。「危険視する一部の風潮に逆らってひそかに彼の作品を読むことが当時小学生だったぼくのスリリングな楽しみだった」。「危険」と呼ばれた漫画家が亡くなった。ジョージ秋山さん。七十七歳▼子ども向けギャグ漫画家から出発した秋山さんは、一九七〇年の『アシュラ』(少年マガジン連載)で作風を一変させる。飢饉(ききん)の平安末期、生きるため人を殺(あや)め、その肉まで食う子どもアシュラ。テーマは人間性や罪悪への赦(ゆる)しだが、おびただしい血と死体の山に大人たちは目をむいた▼島田さんは「スリリングな楽しみ」と書いたが、その下の小欄世代は読むのがただ恐ろしくて『アシュラ』のページはあわてて飛ばした記憶もある。それでも、やっぱりと後でこわごわ読んだ。目が離せなかった▼アシュラも『銭ゲバ』も登場人物の目に特徴がある。目の中の上の方にポツンと点のような瞳。その目は恨みがましく冷酷で非情、時に悲しく寂しく見えた。複雑な感情のこもったあの目が人間を生々しく描いた秋山作品の秘密なのかもしれない▼多作にして幅広いジャンル。漫画を極めようとした人だろう。代表作の『浮浪雲』のせりふを思い出す▼「富士山に登ろうと心に決めた人だけが富士山に登ったんです。散歩のついでに登った人はひとりもいませんよ」。高い山に登った。

 

昨日の筆洗
 
作家の太宰治がある場所について書いている。「何をしても不安でならぬ時」や「心の弱っている時」にそこに飛び込みたくなるという。その場所にいれば、少しホッとし助けられる。「あんな、いいところは無い」−。どこだかお分かりか▼映画館である。世間から切り離された真っ暗な空間。そこに映しだされる物語に「観衆と共に、げらげら笑い、観衆と共に泣く」。それが救いとなる。映画は「優しい慰め」。よく分かるという人もいるだろう。終戦直後のカネのない時代にも映画館に大勢の人が詰め掛けたと聞くが、これも「心の弱っている時」と関係があろう▼「あんな、いいところは無い」場所が帰ってきた。東京都は一日、新型コロナウイルス対策の休業要請をやや緩め、これによって映画館が営業を再開した。また一歩「普通の日」に近づいた。再開に長蛇の列ができたところもあったそうだ▼不要不急の外出。映画館へ行くのもそれに該当するのだろう。けれども不要不急なものが生きていく上でどれだけ大切で欠かせぬ存在だったか。そう気付かされた自粛期間中の日々だった▼朗報の一方、コロナの影響で映画館や劇場、ライブハウスなどの娯楽施設の中には経営が厳しいところもあると聞く。存続の危ぶまれるミニシアターもある▼人を慰め、夢見る場所を守りたい。その場所は無論、「不要」ではない。

 


今日の筆洗

2020年06月01日 | Weblog

 江戸時代の大横綱、谷風が初ガツオを買う話だから、いま時分の季節だろう▼値の高さに谷風が「ちと負けてくれぬか」と頼むと魚屋さん、「関取が負けろとは忌み言葉。この値段でお買いください」。谷風はカツオをその値で買って帰った▼四十六歳まで現役だった谷風の年齢をしのぐ、その力士なら、足のはやいカツオは験が悪いと逃げ出すだろうかと空想してみる。大相撲の現役最年長力士で、序二段の華吹(はなかぜ)(立浪部屋)が五十歳になったそうだ。歴史的にも珍しい五十代力士の誕生である▼初土俵は一九八六(昭和六十一)年三月場所。その翌年に入社した身としては五十路(いそじ)力士への思い入れも強くなる。バブル期の昭和、天災の相次いだ平成、そして令和。この人はひたすらに相撲をとる▼相撲ファンの漱石が「吾輩は猫である」に四つに組んで動かぬ相撲について書いている。「はたから見ると平穏至極だが当人の腹は波を打っているじゃないか」。平穏至極に見えても、その年となれば大きな身体と体力を維持するだけでも大変なことだろう。同じ世代はやめていく。下の世代からは突き上げられもする。身体ばかりでなく、気持ちの方にも波の打つ日もあったはずだ▼「五十にして天命を知る」。天命と精進を願う。谷風は流感にたおれ、結果、現役に終止符を打ったが、この力士は流行の病にも強かろうと信じる。