こころの旅。。。一休み。、 休んでばかり

見上げれば青空、、、ならいいけど


ニュース

2011年05月12日 08時07分07秒 | 
難病筋ジストロフィー 薬物治療に道
産経新聞 5月11日(水)15時50分配信

 筋肉が衰える遺伝性の難病、デュシェンヌ型筋ジストロフィーの原因となる遺伝子異常を読み飛ばし、筋肉の修復を促す分子化合物を、京都大大学院医学研究科の萩原正敏教授と神戸学院大総合リハビリテーション学部の松尾雅文教授が共同研究で発見し、日本時間11日付の英科学誌「ネイチャーコミュニケーションズ」(電子版)に発表した。
薬物治療につながる成果で、萩原教授は「数年以内に患者に投与できれば」と話している。

 同病の原因は、筋肉に必要なジストロフィン遺伝子の機能不全。
アミノ酸の配列を決める「エクソン」と呼ばれる部分の突然変異で遺伝子の読み取りがうまくできなくなり、筋肉が次第に失われるとされる。
萩原教授らは、神戸大病院で治療を受けている5歳の男児から細胞を採取。
低分子化合物のリン酸化酵素阻害剤を注入したところ、ジストロフィンを生成させることに成功したという。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運転免許

2011年04月21日 11時23分02秒 | 



てんかん と運転免許

 

 平成14年に法律が改正され、てんかん (癲癇)と診断のついた方でも、条件つきで運転免許が取得できるようになりました。その条件とは「発作が再発するおそれがないこと」というもので、茨城県警本部より、法律の運用基準が明らかにされています。
具体的には、下記の3項目に当てはまる方が、主治医の診断書を提出の上で、免許の取得が可能です。

1) 一般のてんかん (癲癇)患者さんの場合
・ 過去2年間にわたって、発作が起きていないこと。

2) 睡眠中にのみ発作がみられる患者さんの場合
・ 過去2年間にわたって、発作が睡眠中にしか見られないこと。

3)単純部分発作という、比較的少ない発作型の場合
過去1年間で、意識障害や運動障害をともなう発作を起こしていないこと。


(水戸クリニックでは、上記の条件を満たし、かつ、療養態度がまじめで、規則正しい生活・十分な睡眠・規則正しい服薬を厳守されている方にのみ診断書を発行しております。)

また、茨城県警本部の担当警部が、水戸クリニックに来訪され、「過去において、病名を申告せずに、免許を取得した人については、一切罪に問わない」とのコメントを頂きました。


*これらの判断は茨城県警本部によるものです。他県の患者さんは、警察署への問合わせが必要かと思います。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

持病

2011年04月21日 10時17分42秒 | 
クレーン車事故 柴田容疑者、持病隠し免許取得
毎日新聞 4月21日(木)2時32分配信


 栃木県鹿沼市で登校中の市立北押原(きたおしはら)小の児童6人がクレーン車にはねられ死亡した事故で、逮捕された運転手の柴田将人容疑者(26)=自動車運転過失致死容疑で19日送検=は、発作を伴う持病があることを隠して運転免許を取得していたことが、捜査関係者への取材でわかった。県警は事故と持病の因果関係について捜査を進めている。

【事故の第一報】登校児童にクレーン車 5人死亡1人重傷 栃木

 捜査関係者によると、柴田容疑者の持病は薬を適切に服用していないと運転に支障をきたすことがあり、免許取得には一定期間以上発作を起こしていないなどの条件が課されている。しかし、柴田容疑者は免許取得や更新の際に持病の申告をしていなかったという。
クレーン車事故 柴田容疑者、持病隠し免許取得
毎日新聞 4月21日(木)2時32分配信


 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カンニング

2011年03月03日 17時51分15秒 | 
入試問題投稿、19歳予備校生を逮捕
読売新聞 3月3日(木)16時3分配信

 京都大や早稲田大など4大学の入試問題が「YAHOO!JAPAN(ヤフージャパン)」が運営するインターネット掲示板「ヤフー知恵袋」に投稿された事件で、京都府警は3日午後、大手予備校「河合塾」仙台校に通う男子予備校生(19)(仙台市)を偽計業務妨害容疑で逮捕した。

 府警によると、予備校生は先月25、26日に行われた京大の入試で、「aicezuki」のハンドルネームを使って携帯電話から試験時間中に同掲示板に投稿。発覚した26日以降、京大の教職員らを事実確認などにあたらせ、業務を妨害した疑い。

 予備校生は2日夜から所在不明になっていたが、3日正午前、JR仙台駅近くで1人でいるところを捜査員が発見し、確保した。



     ・・・・・・・・・・・・・・・



   カンニングもいろいろあるんだな~~


    携帯で上手に打てない  おばさん。。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

・・・

2011年01月25日 08時46分22秒 | 

ラサール石井(55)が離婚していたことが明らかになった。本誌の取材に対し、彼は「実は昨年12月に離婚協議がすみまして。1月早々に届けも出したんです」と事実を認めた。

ラサールは、早稲田大学在学中に入所した『テアトル・エコー』の劇団員女性にひと目惚れして、79年に結婚。コント赤信号としてブレイクするまで支え続けてくれた“糟糠の妻”だった。2人の間に生まれた娘は、現在26歳と25歳になっている。

だが、2月から始まる舞台『ペテン・ザ・ペテン』の稽古を終えると、彼はいつもなぜかひとり。理由を聞くべく本人を直撃したところ、“熟年離婚”について明かしたのだ。

実は、本誌は昨年のクリスマス・イブに20代美女とのディナーで指輪をプレゼントする彼の姿を目撃していた。それについて聞くと「協議も済んで、心機一転と思ったのですが」と彼女にフラれたことまで告白。「今は彼女募集中ですね(笑)」と笑う彼に春は来るのか。




   ・・・・・・・・・・


  ラサール石井と20代の美女の不倫は許せても山路と麻木の不倫は許せない奴が多いんだよね。倫理観がおかしくねぇ?

20代の美女とやらは、元ラサール石井の嫁に謝罪はしたのかな?
ねぇ、麻木さんに謝罪をしろと批判している人たち
貴方達の倫理観ではそうすべきなんだよね??


   ・・・・・・・・・


   フム ふむ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奇蹟の生還

2010年10月15日 03時28分27秒 | 
閉じ込められている間に愛人ばれる、妻の姿なし
読売新聞 10月14日(木)13時7分配信

 【コピアポ=佐々木良寿】チリの鉱山落盤事故で、やや複雑な思いを抱えて地上に上がってきたとみられるのが、21番目に救出されたジョニ・バリオスさん(50)。

 地上に引き上げられると、待っていたのは、愛人のスサナ・バレンスエラさん。
妻のマルタ・サリナスさんの姿はなかった。
妻は、夫が地下に埋まっている最中に愛人の存在を知った。地下にいるバリオスさんの「待っていてくれ」という頼みを拒み、地元紙に「夫が無事でうれしかったが、他の女にも声をかけていることがわかった。
私にも世間体があるわ」とやや憤然と語っていた。


   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


   

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事・・・

2010年10月14日 03時44分28秒 | 
宇宙ステーションに滞在する飛行士の支援を担当する専門家が第一に挙げるのは、仲間のために意義のある仕事をしているという充実感だ。

 宇宙航空研究開発機構の井上夏彦主任開発員は、作業員らが11人ずつ当直と睡眠、休養の3交代シフトを組んだことに注目する。これにより、閉じこめられた作業員全員が「仲間が生き残るために貢献している」と感じることができ、それが精神的な支えになったとみる。

 さらに井上さんは、「同じ釜の飯を食っている仲間で、気心が知れて一体感があった」と指摘する。定期的に家族と連絡を取り合えたことも、精神面で大きなプラスとなったはずだという。



    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


   地下のトンネル内に閉じ込められた人々・・


     33人  2ヶ月間


    今日無事?に救出作業が始まって  地上に何人か上ってきています。


     2日間掛かるといわれていたけど一日で終わるとか・・


     どうでしょう??



    やるべき事があると・・精神的にも強いのでしょうね~~

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

励まし

2010年05月18日 09時03分53秒 | 

拡大写真
「徹子の部屋」で復活した安岡力也(写真:夕刊フジ)
 身長187センチ、体重100キロを超す強靭な肉体を誇り、過去にはキックボクサーとしてもデビュー。数々の武勇伝を持つ芸能界の暴れん坊、安岡力也(63)が、年間発症率10万人に1人という難病「ギランバレー症候群」と闘っていた。きょう17日放送の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)で復活。夕刊フジは4年にわたる壮絶な闘病生活を直撃インタビューした。

  [フォト]6年前、発症する前の安岡力也

 安岡がギランバレー症候群と宣告されたのは2006年。突然寝たきりになり、壮絶な闘病生活が続いていた。

 病院の談話室に現れた安岡は想像していたよりも血色が良く、体格も以前と変わらぬように見えたが、両手や下肢にはまだ麻痺が残り、足首に装具を付け、杖を突いての歩行が病気の凄まじさを物語っていた。

 「最初は腰や背中、あちこちの関節が痛くなり、熱もあったのでカゼだと思っていたんだよ。それで近場の病院で点滴をしてカゼ薬をもらったんだが、全然良くならない。で、東京の大きな病院で検査をしても原因が分からず、その3日後に突然、全身の力が抜けてガクンと床に崩れ落ち、立ち上がることができなくなった。再検査をしたら、ギランバレーの疑いがあるって…。それから俺の長い地獄が始まった。何で俺が10万人の1人? 何で俺を選んだ?それはねぇだろ!って」

 手首はダラリと垂れ、物を掴むこともできなくなり、膝から下は鉛をつけたように重く、常に痺れた状態になった。しかも安岡の場合は、呼吸筋にも嚥下筋にも障害が出て呼吸困難を起こし、しゃべることも、食べ物を飲み込むこともできなくなり、気管を切開して人工呼吸をし、右わき腹に管を通して栄養補給をしたという。

 痛み止めのモルヒネ投与で意識が混濁し、連日連夜悪夢にうなされ続けた。「医者の『もう長くは…』という声が耳鳴りのようにこだまし、見る夢は鋭利な刃物で体をまぐろのように掘削される夢。白い世界に入り、お迎えの夢ばかりみた」

 そして、ますます神を恨んだ。「俺は確かに散々ケンカして勝ちまくり、悪いこともやってきた。でも、この仕返しはねぇだろう。自慢じゃないが、俺は一匹の蜘蛛も踏まなかった。『蜘蛛の糸』じゃないけど、下から昇ってくる人間は一緒に引き上げた。それが、なぜ?」

 2年間の寝たきり生活が続き、気が付くと体重は70キロに激減していた。「友達にも、だれにも一切会わねぇ!」そう決めた。「だって俺は力也だぜ!百獣の王のライオンが、弱った姿は見せられねぇ」

 唯一の癒しは、息子の力斗君(24)の励ましだった。「親父、なにやってんだよ!早く起きろよ。キャバクラ行くんだろう、って。生意気に…。でもその声を聞くと、ああ、俺はまだ生きてるんだ」って思うことができた。

 闘病3年目にはどうにか歩けるようになり、体重も元に戻った。そして現在はリハビリに励み、食事もきちんと3食食べられるようになった。 「カロリーは1日2100~2500。それに禁酒、禁煙。いくら不良少年でも、それぐらいは守らねぇとな」

 地獄の壁を死にもの狂いで這い上がり、復活を果たしたライオンはいま、どのような活動を夢見ているのか。

 「俺はアーティストであり、アクターであり、芸能界でやりたいことはまだまだある。だから絶対に生き抜いて、もう一度芸能界で暴れまくってやる。だって俺はバッドボーイでありながら、常に闘うファイターだから!」

 取材が終わり、握手を求めてきた大きな手には、復活に賭ける強い意志がこもっていた。(山岸信美)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュース

2010年03月12日 08時26分06秒 | 
<患者6人骨折>看護師を傷害容疑で逮捕 兵庫の病院で
3月12日0時28分配信 毎日新聞

 兵庫県佐用町の佐用共立病院(穀内隆院長)で08年末から09年初めにかけ入院患者6人が相次いで肋骨(ろっこつ)を骨折した問題で、県警佐用署は11日、看護師の羽室沙百理(さおり)容疑者(26)=佐用町山脇=を傷害容疑で逮捕した。「職場の人間関係にイライラしてやった」と供述し6件とも自分がやったと認め、夜勤や巡回中に患者を暴行したことをほのめかしているという。

 直接の逮捕容疑は、09年1月13~19日の間、うち1人の女性患者(当時85歳)の胸を両手で圧迫するなどして肋骨を骨折させたとしている。

 同署によると、6人は当時75~99歳。いずれも寝たきりで意思表示ができない状態だった。既に全員死亡しているが、骨折との因果関係は不明。病院は08年12月、1人の女性患者の異変に気付き、肋骨の骨折を確認。その後、他の5人の骨折も判明した。羽室容疑者は6件中3件の第一発見者だった。勤務日誌などから羽室容疑者が浮上した。

 病院によると、羽室容疑者は06年9月採用。いったん退職後、08年4月に再び採用され、09年9月から妊娠のため休職していた。西浦敏夫事務長は「まじめで穏やかな性格で、患者からのクレームもなかった。関係者に迷惑をかけ、おわびしたい」としている。

 医療関係者が病院内で患者に暴行し、逮捕された事件としては、和歌山市の病院で02年、統合失調症の入院患者が看護助手の男に殴られて転倒し、死亡した傷害致死事件や、千葉県八千代市の病院で08年、看護師の男が精神科の男性入院患者の右腕を骨折させた傷害事件などがある。



      ・・・・・・・・・・・・・・・・・

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銅メダル

2010年02月27日 22時26分42秒 | 

 【フィギュア女子フリー】「サムソンとデリラ」のリズムに溶け込んだ4分間。ジョアニー・ロシェット(24=カナダ)は演技を終えた瞬間に母テレーゼさんの声を聞いたと言う。

 「トリプルフリップのどこが悪かったの?ダブルアクセルなんて眠っててもできていたでしょ」。今、このような状況で失敗を指摘してくれるのは、幼い頃からずっとそばにいた母しかいなかったのかもしれない。「信じてもらえないかもしれないけど、ママが私の足を動かしてくれた感じだった」。女子フィギュアのフリーで彼女が示した強い意志。その言葉を疑うより、その言葉で救われたファンがどれだけいたかを、いつの日か知ってほしい。

 モントリオールから娘の晴れ舞台を見るためにテレーゼさんがバンクーバー入りしたのは20日。しかしその夜、心臓発作に襲われ55歳の生涯を閉じた。交際中のカナダのアイスダンス選手、ギョーム・グフェラー(26)と病院に駆けつけたロシェットは、愛妻を亡くした父ノーマンドさんの落ち込みぶりに言葉を失った。「欠場を本気で考えた」。とても演技どころではなかったが、そこでも母の声を聞いた。「私はあなたに“強くなりなさい”って言ってきたでしょう」。肉体はなくとも魂が支え続けた5日間。「マオ(浅田)にも感謝したい。果敢にトリプルアクセルに挑んだ姿を見て、私は悲しいことなんか忘れて正直、燃えたわ。ありがとう」。SPでは泣いてしまったロシェットはフリーで笑顔を取り戻し、自身初の200点台となる202・64点で銅メダルを獲得した。

 カナダ選手が五輪の女子フィギュアで表彰台に立ったのは88年カルガリー大会銀メダルのマンリー以来6大会ぶり。“カナダの勇気”と称賛された迫真の演技には、母の愛が満ちあふれていた

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

・・ももえちゃ~~ん

2009年12月13日 09時36分59秒 | 

 引退した歌手、山口百恵さん(50)の多くの歌を手掛けた作曲家で歌手、宇崎竜童(63)が12日、都内で開かれたDVD-BOX「ザ・ベストテン 山口百恵 完全保存版」(16日発売、5枚組)の発売記念イベントで、1カ月半ほど前に百恵さんと約29年ぶりに再会したことを明かした。1980年に結婚して表舞台から完全に退いた伝説的歌手の近況が、公の場で明かされたのは極めて異例だ。



 「29年ぶりに会ったんですよ!」

 TBS系「ザ・ベストテン」の司会だった黒柳徹子(76)とイベントに登場した宇崎は、1カ月半ほど前、妻で作詞家の阿木燿子(64)とともに、百恵さんらと会食したことを興奮気味に告白した。

 百恵さんが80年11月に俳優の三浦友和(57)と結婚した直後に自宅に招待されて以来、久々の再会。「最初は恥ずかしくて直視できなかった。妻(阿木)は泣いて抱き合っていた」と感激ぶりを明かした。

 宇崎夫妻は76年6月の「横須賀ストーリー」以降、「プレイバックPart2」「美・サイレント」や引退直前の「さよならの向う側」など数々の百恵さんの大ヒット曲を世に送り出した。「当時は1年中、山口百恵で頭がイッパイだった」という宇崎だけに、時代を駆け抜けた元祖歌姫との再会は、ことさらうれしかったようだ。

 現役当時の思い出話にも花を咲かせた。百恵さんが宇崎の楽曲を聴いて作曲を依頼したと言われているが、「『本当はどうなの?』と聞いたら『そうです』と。当時のいろんな謎が解けました」と懐かしそうに笑った。

 母親としての素顔も垣間見た。百恵さんは「親バカで申し訳ないですが…」と言いながら宇崎にCDを手渡した。「息子がバンドを作っておりまして…」。長男の三浦祐太朗(25)が所属するロックバンド、Peaky SALTのものだった。

 さらに次男の俳優、三浦貴大(たかひろ、24)についても、「ライフセーバーをしていたのですが、このたび俳優になりました」と報告されたという。それでも「『息子2人には芸能界の誰かを紹介するようなことはしていない』と言ってました」と宇崎。引退後は芸能界とキッパリ縁を切った潔さに感心しきり。

 「完全に『三浦百恵さん』でした。友和さんの奥さんで、息子2人の母親だな、と。ここ(家庭)を目指して引退して、幸せを獲得したんだなと思いました」。“さよならの向う側”にある幸せに触れた宇崎は感慨深げだった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三浦家の次男

2009年09月29日 16時06分58秒 | 
 偉大な両親、一足早くデビューした兄を追い掛け、三浦家の次男もまた芸能界に飛び込んだ。

 父親譲りの精かんな顔立ちに、母親をほうふつとさせる切れ長の目は、まさしくスターの遺伝子。順天堂大では4年間ライフセービングに打ち込み、ガッチリとした肉体を作り上げた。柔和な印象の兄とは違い、硬派な輝きを放つ23歳だ。

 この春、大学を卒業する直前に父と同じ道に進むことを決めた。「体育会だったので大学1年の時に寮生活をしていたんですが、十五、六人で一つのテレビを見るのが楽しかった。練習終わった後、疲れてるはずなのにみんな必ず集まってきて。その時、テレビって、みんなを引きつけるパワーのあるものだなと思った。すごくすてきな仕事だなと感じたんです」

 将来への思いを打ち明けると、両親は自然に受け入れてくれたという。「昔から『やりたいことは、やれば』という感じだったんで。父は必要以上のことは言わないけどしっかり応援してくれている。母は元気にやっているかの心配の方が強い感じですね」。高校では同じ水泳部に所属するなど、小さいころから競い合ってきた兄からは「へえ、そうなんだ」という反応が返ってきた。

 映画は出雲のローカル鉄道を舞台に、様々な理由で運転士になった男たちの物語。与えられた役柄は、肩の故障でプロ野球選手への道を断念し、夢をあきらめた青年だ。「それまで全く演技をしたことがなかったので撮影前は台本を読むしかなかった」。主演の中井貴一(48)、錦織良成監督(47)らにアドバイスをもらいながら、7月末から今月上旬まで同地でのロケに参加した。「最初は失敗してるのかどうかも分からないくらい戸惑ったけど、現場で気さくに話していただいて助けられた」

 両親の存在が大きいことは重圧にはならないという。「両親のことは尊敬してます。僕には何もないので、逆に注目してもらえるきっかけになれば」。目指すのは「変に目立つのでなく、作品の一部としてしっかり溶け込める俳優」。若さだけではない。役者としての哲学もしっかりと備えている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麗子さん・・

2009年08月09日 13時34分28秒 | 
 6日に自宅寝室で亡くなっていたのを警察官とともに発見した弟の政光さん(60)=会社員=によると、7日の行政解剖では頭部血管が破れており、不整脈による内出血と診断された。晩年はそううつ病やギラン・バレー症候群との闘病生活だったが、復帰を目指し、月1回の通院や、筋トレなどリハビリも行っていたという。

 政光さんが大原さんと最後に会ったのは赤羽の実家で7月5日。体調は良好そうだったが「演技で泣くことはあっても、人前で泣くことはなかったですから…」と声を振り絞った。「姉は(昔から)成績優秀だった。台本を3日で覚えた時はビックリした。自分の姉ですが、僕が思っていた以上に偉大です」と誇らしげに語った。

 ファンからの問い合わせが多く「(大原さんは)僕の姉だけじゃなく、みなさんファンのもの」と政光さん。後日、「お別れの会」の開催や追悼企画を計画しているという。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女優 大原麗子さん

2009年08月08日 10時51分44秒 | 
「すこし愛して、なが~く愛して」のCMで一世を風靡した女優、大原麗子さん(62)が東京・世田谷区の自宅で亡くなっているのを6日午後7時ごろ、警視庁成城署員が発見した。大原さんと連絡が取れず、心配した弟が警視庁に連絡し、成城署員が寝室で遺体を見つけた。病死とみられる。大原さんは、10年前から手足に力が入らなくなるギラン・バレー症候群を患い、表舞台から遠ざかっていた。昨年11月、サンケイスポーツの取材に「乳がんの手術を受けたし、うつ病にもなった」と涙声で明かしていた。

 大原麗子さんは、最後まで女優魂を忘れない人だった。

 昨年11月、彼女が東京・世田谷区の自宅ガレージで転倒し、右手首骨折などの重傷を負ったときのことだ。自宅のインターホン越しに直撃した記者の外見を、大原さんはズバリ言い当てた。

 「20代後半ぐらいでしょ? 背はそんなに高くないわね。平均か、それより低いぐらい。体も細そうね」。驚く記者に、「ふふふ、防犯カメラは使ってないわよ。長年女優の仕事をしていると、声を聞いただけで、その人の“なり”が分かるの」と語った。

 1999年に、急速に腕や脚の筋力が低下し、歩行障害などを引き起こす難病、ギラン・バレー症候群を発症。以来、仕事をセーブし、芸能界から遠ざかっていたはずの彼女の、衰えない女優魂に衝撃を受けた。

 取材中、「どんな症状が出るんですか?」「どんな感じで辛いんですか?」と質問した際、「なんでそんなこと聞くの。おもしろ、おかしく書かれたくないの。同じ病気で苦しんでいる人がいるんだから」と声を荒らげたことがあった。

 ただ、すぐに落ち着きを取り戻し、「本当は歩くのもやっとなの。でもね、それを公にすると、同じく闘病生活を送る人が不安になるでしょ。ペンの力って、すごく大きいものなのよ。お願いだから、いい記事を書いてね」と、言ったことが忘れられない。自身も辛いはずなのに、周りを気遣う姿勢に彼女の優しさを感じた。

 闘病の話になると、乳がんやうつ病を患ったことも明かし、インターホン越しに何度も泣いていた大原さん。テレビで見ていたときのような、張りのある声は影を潜めていたが、きっと自身も早く芸能界に復帰できる日を願っていたに違いない。
   


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・


   3日に無くなったという事でしたね。


     ご冥福をお祈りします。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きがい

2009年05月26日 23時48分07秒 | 
今回は、闘病中の人にとっての生きがいがテーマです。

ボランティアで病院を回り、患者さんのためのショーを行なっているピエロのトッキーこと、徳永ゆり江さん。

19年前に乳がんを患い、肺や肝臓などほぼ全身に再発・転移しているがん患者です。
抗がん剤治療を受け、副作用と闘う毎日ですが、ピエロとして患者さんとふれあい、パントマイムや手品を通して笑顔になってもらうことを生きがいにしています。
同じ患者だからわかる闘病の苦しみ。
落ち込む気持ちを癒やしたいという気持ちのこもったショーを見て、生きる勇気をもらったという声があとを絶ちません。
また、彼女の生きざまに影響を受け、自分なりの方法で、人の役に立とうとする仲間たちも続々現われています。

「人を笑顔にすることで、人生の使命をまっとうしたい」再発がんと向き合う、ピエロのトッキーこと、徳永ゆり江さんの日々を追いながら、「自分らしく充実した人生を生きること」の意味を考えました。


   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  薬の選択でも悩んでいたような・・・

   今は元気だけど病状が抑えられないと・・・

    強い薬を使うと今のようには動けないかも知れないと・・



    今日は子が 余命一ヶ月の花嫁?


     と言う  漫画本を買ってきた。


     親孝行しなくちゃなとか・・・

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする