今回の旅行日程は次のようでした。
初日、10月31日は新幹線で京都入り。
銀閣寺(写真)、「哲学の小道」の周辺の住宅街散策、南禅寺の庭鑑賞
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二日目、11月1日は、朝8時から光悦寺(写真)、大徳寺大仙院等の4つの塔頭。
午後は雨で宿へ戻り小休止後、御所の特別参観。
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三日目、11月2日は、朝8時から竜安寺、等持院、金閣寺、
午後は雨で宿へ戻る。写真は宿から見た御所にかかる二重の虹。
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最終日、11月3日は、もう一度御所へ。そして東本願寺にお参り。
新幹線で帰路につく。
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今回の旅で、今まで見えなかったことが、いくつか見えるようになった。
数年前、鎌倉時代の禅宗僧雪舟が作庭した山口・島根県にある庭を訪れた。
印象は、禅宗発祥の地、中国の石林を彷彿させた。
その流れを汲む室町時代初期、禅宗僧夢想国師が作庭した等持院の庭
日本の山より、中国の山に似ている。雪舟の庭に近い。
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室町末期の銀閣寺の、抽象的な構図。(写真一番上)
月見台と寄せるさざなみは、駿河湾から見える富士山を連想させる。
竜安寺の石庭のシンプルさ。
もう、日本の美意識に洗練されている。
安土桃山時代に入り、千利休から茶庭の文化が始まり、光悦寺に至って、
日本の自然の風景を、切り取り、凝縮し、庭に持ち込む。
江戸時代には、「庭師」小堀遠州が活躍する。
御所には、誰々作、と銘打った庭はない。
襖絵には、誰作と紹介してある。
おそらく、時代の一級の庭師が呼ばれては、
その時代の最高の美を要求されて、代々手を加えていった最高傑作なのであろう。
御所の屋根にしても、祭りごとを行う重要な建造物は、桧皮葺である。
桧皮葺は、瓦葺と異なり風雨に晒され、朽ちて痛むので20年毎に葺き替えなければならない。
中国や韓国の宮殿は瓦葺である。瓦葺は火矢に強い。
御所の桧皮葺は、火矢に掛かれば、すぐに燃えてしまう。
神様に火を放つ不貞な輩は、日本国にはいない、
という前提に立っているのであろう。
また、半永久的な瓦、でなく、朽ちてしまう桧の皮の屋根に、美を感じたのか。
そんなこんなを感じた旅でした。
初日、10月31日は新幹線で京都入り。
銀閣寺(写真)、「哲学の小道」の周辺の住宅街散策、南禅寺の庭鑑賞
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二日目、11月1日は、朝8時から光悦寺(写真)、大徳寺大仙院等の4つの塔頭。
午後は雨で宿へ戻り小休止後、御所の特別参観。
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三日目、11月2日は、朝8時から竜安寺、等持院、金閣寺、
午後は雨で宿へ戻る。写真は宿から見た御所にかかる二重の虹。
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最終日、11月3日は、もう一度御所へ。そして東本願寺にお参り。
新幹線で帰路につく。
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今回の旅で、今まで見えなかったことが、いくつか見えるようになった。
数年前、鎌倉時代の禅宗僧雪舟が作庭した山口・島根県にある庭を訪れた。
印象は、禅宗発祥の地、中国の石林を彷彿させた。
その流れを汲む室町時代初期、禅宗僧夢想国師が作庭した等持院の庭
日本の山より、中国の山に似ている。雪舟の庭に近い。
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室町末期の銀閣寺の、抽象的な構図。(写真一番上)
月見台と寄せるさざなみは、駿河湾から見える富士山を連想させる。
竜安寺の石庭のシンプルさ。
もう、日本の美意識に洗練されている。
安土桃山時代に入り、千利休から茶庭の文化が始まり、光悦寺に至って、
日本の自然の風景を、切り取り、凝縮し、庭に持ち込む。
江戸時代には、「庭師」小堀遠州が活躍する。
御所には、誰々作、と銘打った庭はない。
襖絵には、誰作と紹介してある。
おそらく、時代の一級の庭師が呼ばれては、
その時代の最高の美を要求されて、代々手を加えていった最高傑作なのであろう。
御所の屋根にしても、祭りごとを行う重要な建造物は、桧皮葺である。
桧皮葺は、瓦葺と異なり風雨に晒され、朽ちて痛むので20年毎に葺き替えなければならない。
中国や韓国の宮殿は瓦葺である。瓦葺は火矢に強い。
御所の桧皮葺は、火矢に掛かれば、すぐに燃えてしまう。
神様に火を放つ不貞な輩は、日本国にはいない、
という前提に立っているのであろう。
また、半永久的な瓦、でなく、朽ちてしまう桧の皮の屋根に、美を感じたのか。
そんなこんなを感じた旅でした。