これは、1年前に書いた 李白 「夏日山中」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/32/3dea625fd7d19f7d2e31032a264a13eb.jpg)
今日のような暑い時節を、唐の時代の李白先生は、
「白羽の扇を煽いでもけだるい、林の中で肌蹴て、脱いだ帽子を石壁に掛け、汗ばんだ頭頂を松風に晒そう」
と歌った。
「白羽」と「青林」が対比され、「石壁と松風」と共に、写実的な詩だと感じます。
そう、「青林」が正解で、「森林」は間違い。
この、私が書いた作品は、失敗作である。
それでも、「己への戒め」として、書院の小床の間に飾っている。
1年前まで、ある書道の先生に、2年間、師事していました。
最初は、「年賀はがきを毛筆で書きたい」という目標から、
都道府県名、県庁所在地名を小筆で練習していました。
段々、慣れるとともに飽きてきて、かな文字を百人一首、それと中国の漢詩五言絶句を、
交互に、3か月交代で学びたい、と提案しました。
「お題」は私が決めて、先生がお手本を清書されて、約三か月間で、作品として仕上げる、
そのような学習スタイルでした。
私の学生時代は、古典の授業には日本の万葉と共に、中国の唐時代の漢詩や故事も学び、
大学受験の国語の中には、漢詩も必須で含まれ、面白いと感じていました。
後年、中国で1年ほど暮らす中で、家庭教師を付けて中国語を学ぶ機会を得ました。
「レ点の返り読み」ではなく、冒頭から四声で「ラン ヨウ バイ ユー シャン」と音読しますと、
韻律を踏んで、詩の世界が深まります。
私は、作品の解釈と共に、韻律を味わい、かつ、書の美を追求したい。 それが私の書道。
しかし、当時の書道の先生は、私が「青林」を誤って「森林」と表記しても、気が付かない所を見ると、
表面的な字の美しさしか、眼中に無い、そのように見受けました。
つまり、もはや私の師ではない、と思ったからには、速やかに退会して、
しばらく、今後の行く末について、思案しました。
そこへ、近所のD協大学市民講座「かな書道」のご案内が参りました。
今、かな古典を得意とする先生についていますが、
講座修了後、1年後は、神田・栄豊斎の講師陣から探そう、と考えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/32/3dea625fd7d19f7d2e31032a264a13eb.jpg)
今日のような暑い時節を、唐の時代の李白先生は、
「白羽の扇を煽いでもけだるい、林の中で肌蹴て、脱いだ帽子を石壁に掛け、汗ばんだ頭頂を松風に晒そう」
と歌った。
「白羽」と「青林」が対比され、「石壁と松風」と共に、写実的な詩だと感じます。
そう、「青林」が正解で、「森林」は間違い。
この、私が書いた作品は、失敗作である。
それでも、「己への戒め」として、書院の小床の間に飾っている。
1年前まで、ある書道の先生に、2年間、師事していました。
最初は、「年賀はがきを毛筆で書きたい」という目標から、
都道府県名、県庁所在地名を小筆で練習していました。
段々、慣れるとともに飽きてきて、かな文字を百人一首、それと中国の漢詩五言絶句を、
交互に、3か月交代で学びたい、と提案しました。
「お題」は私が決めて、先生がお手本を清書されて、約三か月間で、作品として仕上げる、
そのような学習スタイルでした。
私の学生時代は、古典の授業には日本の万葉と共に、中国の唐時代の漢詩や故事も学び、
大学受験の国語の中には、漢詩も必須で含まれ、面白いと感じていました。
後年、中国で1年ほど暮らす中で、家庭教師を付けて中国語を学ぶ機会を得ました。
「レ点の返り読み」ではなく、冒頭から四声で「ラン ヨウ バイ ユー シャン」と音読しますと、
韻律を踏んで、詩の世界が深まります。
私は、作品の解釈と共に、韻律を味わい、かつ、書の美を追求したい。 それが私の書道。
しかし、当時の書道の先生は、私が「青林」を誤って「森林」と表記しても、気が付かない所を見ると、
表面的な字の美しさしか、眼中に無い、そのように見受けました。
つまり、もはや私の師ではない、と思ったからには、速やかに退会して、
しばらく、今後の行く末について、思案しました。
そこへ、近所のD協大学市民講座「かな書道」のご案内が参りました。
今、かな古典を得意とする先生についていますが、
講座修了後、1年後は、神田・栄豊斎の講師陣から探そう、と考えています。