最近テレビや新聞などで頻繁に取り上げられている様々な「危機」。
動植物を始め地球環境の危機
「自然破壊」・「環境破壊」
「国民性の喪失」
「本質の喪失」
「意識の喪失」
「歴史の喪失」
「日本の崩壊」
特に日本に帰ってきてから「危機感」が募る。
個々については、私なりに感じたことは後に時間のある時に書きたい。
今書くには長くなりそうだ。
世界、日本でも様々な思いと方法で「危機感」を感じている人が行動を始めている人も多々いるであろう。
環境破壊では、友人に「地球が危ない!」と色々な活動を始めている日がいる。
一見、その友人の方が「危ないのでは?」と思いがちである。
一歩間違えれば偏った新興宗教的になりそうだが、友人は一生懸命やっており、
宗教的には走っていないと言っている。たぶん本当だと思う。見ればだいたいわかる。
何かを徹底的に掘り下げてやるには集中して入りきらないとできないことだろう。
特に、環境破壊を食い止めるためにできることをすることは、「生活」のとらえ方を変えて実践しなければいけないだろう。並大抵のことではできないし、一人でもできないだろう。
動物保護をしている人。戦争をなくすために努力をしている人。戦争の怖さを体験から伝えている人。etc...
確かに感じる「危機感」
でも今私は何をしたらいいのであろうか。何ができるのであろうか。
漠然と感じていることは
すべての事象を「意識」することではないか?
先ずは身近なことから意識することは何よりも大切ではないか。
そして続けることなのであろう。
意識し続ける。これほど難しいものはない。
今日帰りの電車の中で、赤ちゃんを抱いた会社帰り?の女性と、小学生と寝ている赤ちゃんを抱いた人が立っていた。
色々な思いや考えがあるであろうが、誰も席を代わってくれる人はいなかった。
途中席が空いた時もあったが、若い女性が携帯持ちながらサッと座ってまた携帯を見入っている。
寝てない赤ちゃんの場合座ると泣いたりすることもあるけど、寝ている赤ちゃんは重たいと思う。
先日お会いした帰国したばかりの主婦の方も言っていた。
「日本は子連れに冷たい」と。
賛否両論、時と場合によるかもしれないが、今日の2人のお母さんを見て、私ももう少し周りを意識することも必要ではないかと思った。とかく日本に帰ってきてから毎回思うことは「弱いもの」に冷たい国だな。と思った。
これは人だけでなくて、すべてのものに対しての意。
一人ひとりが自分勝手に生きるのではなくて、相手を思いやる「意識」をもつことで色々なことが変わっていくのではないか?
世界遺産になっている場所、貴重な自然、動物はちょっとした意識で守られ、変わるのではないかと思う。
私も自然や動物が大好きで、実際にこの目で自然の中で見たい欲望がある。
人間が入ることで、自然破壊が進むことはわかっている。
でも行ってはいけない場所もあるし、やってはいけないこともある。
アメリカはすべてではないが、動植物保護や環境保護についてかなりきちんとした法律や考えを持っている人が多い。
アメリカも色々な考えの人が住んでいる国だが、だからこそ規律や規則が出来、厳しいのかもしれないが、人の意識レベルも違うと思う。
有識者は良識を持っている。
すなわち、きちんとしたモラルを持った人は生活レベルも高い。のである。
公共の場所や、自然保護地域ではその場所を守っていく意識があるから、
自然物は故意に持ち帰らないし、破壊しない。
歩行者の横を車が通る時、ゆっくり走る。(歩行者を気遣う)
だんだん深みにはまってきた~~~・・・・
言いたいことは、何度も書くが、、、、
今できることは「意識をすること」「気をつけること」「実践すること」なのではないか。
「無知の無」より「無知の知」の方がいいのである。
その次は上記の3つのこと。
できることからやっていこう!!
でも、「地球の危機」は相当進んでいること、
感じているけど、実感できていないから「意識」ができないのかも。
さあ、至急やらなければならないのは現在の“自分の管理”(いい加減痩せないと大変なことになるぞー!)
同時に大切に意識しなければならないのは未来のためにも“地球の管理”
動植物を始め地球環境の危機
「自然破壊」・「環境破壊」
「国民性の喪失」
「本質の喪失」
「意識の喪失」
「歴史の喪失」
「日本の崩壊」
特に日本に帰ってきてから「危機感」が募る。
個々については、私なりに感じたことは後に時間のある時に書きたい。
今書くには長くなりそうだ。
世界、日本でも様々な思いと方法で「危機感」を感じている人が行動を始めている人も多々いるであろう。
環境破壊では、友人に「地球が危ない!」と色々な活動を始めている日がいる。
一見、その友人の方が「危ないのでは?」と思いがちである。
一歩間違えれば偏った新興宗教的になりそうだが、友人は一生懸命やっており、
宗教的には走っていないと言っている。たぶん本当だと思う。見ればだいたいわかる。
何かを徹底的に掘り下げてやるには集中して入りきらないとできないことだろう。
特に、環境破壊を食い止めるためにできることをすることは、「生活」のとらえ方を変えて実践しなければいけないだろう。並大抵のことではできないし、一人でもできないだろう。
動物保護をしている人。戦争をなくすために努力をしている人。戦争の怖さを体験から伝えている人。etc...
確かに感じる「危機感」
でも今私は何をしたらいいのであろうか。何ができるのであろうか。
漠然と感じていることは
すべての事象を「意識」することではないか?
先ずは身近なことから意識することは何よりも大切ではないか。
そして続けることなのであろう。
意識し続ける。これほど難しいものはない。
今日帰りの電車の中で、赤ちゃんを抱いた会社帰り?の女性と、小学生と寝ている赤ちゃんを抱いた人が立っていた。
色々な思いや考えがあるであろうが、誰も席を代わってくれる人はいなかった。
途中席が空いた時もあったが、若い女性が携帯持ちながらサッと座ってまた携帯を見入っている。
寝てない赤ちゃんの場合座ると泣いたりすることもあるけど、寝ている赤ちゃんは重たいと思う。
先日お会いした帰国したばかりの主婦の方も言っていた。
「日本は子連れに冷たい」と。
賛否両論、時と場合によるかもしれないが、今日の2人のお母さんを見て、私ももう少し周りを意識することも必要ではないかと思った。とかく日本に帰ってきてから毎回思うことは「弱いもの」に冷たい国だな。と思った。
これは人だけでなくて、すべてのものに対しての意。
一人ひとりが自分勝手に生きるのではなくて、相手を思いやる「意識」をもつことで色々なことが変わっていくのではないか?
世界遺産になっている場所、貴重な自然、動物はちょっとした意識で守られ、変わるのではないかと思う。
私も自然や動物が大好きで、実際にこの目で自然の中で見たい欲望がある。
人間が入ることで、自然破壊が進むことはわかっている。
でも行ってはいけない場所もあるし、やってはいけないこともある。
アメリカはすべてではないが、動植物保護や環境保護についてかなりきちんとした法律や考えを持っている人が多い。
アメリカも色々な考えの人が住んでいる国だが、だからこそ規律や規則が出来、厳しいのかもしれないが、人の意識レベルも違うと思う。
有識者は良識を持っている。
すなわち、きちんとしたモラルを持った人は生活レベルも高い。のである。
公共の場所や、自然保護地域ではその場所を守っていく意識があるから、
自然物は故意に持ち帰らないし、破壊しない。
歩行者の横を車が通る時、ゆっくり走る。(歩行者を気遣う)
だんだん深みにはまってきた~~~・・・・
言いたいことは、何度も書くが、、、、
今できることは「意識をすること」「気をつけること」「実践すること」なのではないか。
「無知の無」より「無知の知」の方がいいのである。
その次は上記の3つのこと。
できることからやっていこう!!
でも、「地球の危機」は相当進んでいること、
感じているけど、実感できていないから「意識」ができないのかも。
さあ、至急やらなければならないのは現在の“自分の管理”(いい加減痩せないと大変なことになるぞー!)
同時に大切に意識しなければならないのは未来のためにも“地球の管理”