東海大学では国際交流センターのChao-Min Pan博士、農学部食品科学科の王良原博士が出迎えてくれました。「東海大学はキリスト教精神に基いてできた学校です。学内を見ていただければ、そうれがどういうものか分かっていただけると思います」。そう話す王先生の案内で、キャンパスを案内していただきました。
というわけで、ミニ・キャンパスツアーに出発です。 王先生は東海大学の卒業生で、私の母港である広島大学へ留学し、博士号を修得されています。最初にご案内いただいたのが「緑のトンネル」です。
1955年の建学当時、敷地の中央になだらか坂の道を作り、その両側にガジュマルの木を植え、左右に各学部を配置しました。東海大学は中国大陸に あった13校のキリスト教の学校を合併して設置されました。日本のICU(国際基督教大学)と同時期にアメリカからの同じ支援で出来たことから、緑を豊かに、その中に建物を配置するという非常に似た設計になっています。学長室のある建物です。建学当時のままですが、日本家屋に似せたとも、唐時代の建物に似せたとも聞いています。
ユニークなのは、その中庭です。学生たち同士、あるいは教員と学生がコミュニケーションを取るには、お互いの顔が分かり、「おーい」と声をかけて届く範囲でなければなりません。その距離をいろいろ調べたところ、35メートルを超えると声が届かなくなり、コミュニケーションが取れなくなることが分かったそうで、それで、東海大学の中庭は35メートル四方が基本になりました。
緑のトンネルを挟んであるのが、建学当時の図書館です。
学長室の前に図書館があるということで、それだけ知識を大事に思っていたことがわかります。図書館は今、文理大道の一番上に移転しました。
東海大学の一番高いところにあること意味があります。知識を得るというのは大変なことで、毎日、この坂を上ることで学生たちに自実感してもらおうとしたんです。確かに歩いてきた皆さんにも思って欲しいです。建物は7階建てです。台湾で最初に開架書庫を導入した図書館です。学生を信頼しているからできることで、これもキリスト教の教えがあったからこそ。そう思います。
キャンパスの広さは東京ドーム28.5個分もあります。文理太道は左右に大きく育った木が枝を伸ばし、緑のトンネルになっていることから、その中にいると気温は3度前後低。市民に開かれた大学ですから地域住民がよく散策に訪れるそうです。親日家の中には台中の軽井沢という人もいます。
文学部です。近く、台北市の指定文化財になるそうです。建学当時の状況がよく残っています。
中庭のまわりに建物が配され、中庭では学生や教員が会話できるようになっています。
東海大学では1年生は全員、寮に入ることが決まりです。だから1年生はみんな顔見知り。東海大学は団結力が強いと言われるのもそのためでしょう。
また、寮では皿洗いや掃除もします。勤勉、忍耐、愛はキリスト教の最も尊ぶべきところなのです。だから、就職の面でも、東海大学生は非常に高い評価を受けています。箱入り娘で、家の手伝いもしなかった娘が、休みになって帰ってきたら見違えるように家事の手伝いをするようになったと喜ばれる親御さんも多いですね。
緑のトンネルを挟んで反対側にあるのが工学部です。
どうしても大学は実学中心になりがちで、文学や哲学はおろそかにされがちです。そして、その一番の実学が工学部です。だから、文学部と違い、緑のトンネルからちょっと下げて建物を配置しました。これも、キリスト教が尊ぶ謙譲の精神の現れと思って下さい。実学を軽んじているのではなく、大事だからこその謙譲の美徳なのです。
ここの空いたスペースは芝生ですから、文学部の学生と、工学部の学生が、ここで休憩時間などにコミュニケーションを取ります。ここの配置は、すばらしいアイデアです。
緑のトンネルの途中にあるのはタイムカプセルです。「建学の思いはパイオニア精神である」と刻まれています。2000年に設置され、2050年に開かれます。
これは鐘楼です。ここを使うのは年に一度ですが、それでも、そのために1年間メンテナンスを続けます。これもプロテスタントの精神です。
チャペルです。当初、緑のトンネルの正面に配置しようという意見もありましたが、「一番良い所は誰かの為に取っておきましょう」という意見が出たんですね。キリスト教では右は権威、左は謙遜を意味します。ですから、正面を譲ってチャペルは左に配置したんです。
図書館から出て、緑のトンネルを抜けると、そこから視界がひられている。これは、学生たちが知識を習得すれば、明るい将来が開けていますよと学生たちに身を以って体験してもらうことでもあるんですね。
このチャペルは東海大学のシンボルであり、台中市のシンボルです。かつて、密入国者が多かったころ、警察官は不審者を見ると「東海大学のシンボルは何ですか?」と聞いたんだそうです。それほど有名であり、市民に親しまれています。築50年になるのにタイルも綺麗でしょう。9月21日の台湾中部地震は大きな被害をもたらしましたがビクともしなかった。東海大学では被災者を受け入れ、構内の芝生などにテントを建てて支援しました。設計者はイオ・ミン・ベイ(貝聿銘)です。広州出身で香港を経由して渡米し、成功した設計家で、代表作はパリのルーブル美術館前のガラスのピラミッドです。滋賀県にあるMIHO美術館も彼の作品です。 この建物は壁も、柱も、屋根もない、全く新しい発想です。そこには神の働きは人間を超えているという教えが入っています。新入生を集めて、この大きな壁面をスクリーンにしてパワーポイントで映像を壁面に写すオリエンテーションも開かれています。夜間はライトアップされますが、そのライトを使った影絵のコンテストを学生たちは開いたりして楽しんでいるようです。
入り口が東、祭壇が西にあり、このラインに沿ってガラスの窓と天井が一例に並んでいます。これは聖書の創世記第1章の「はじめに光あり」という言葉をイメージした表現でもあります。
壁のひし形は人間をイメージします。下はしっかりと太く、上は細い。人間は力強い人たちは下部にいて、社会をしっかりと支えなければならない。これが謙遜のあるべき姿。強いからこそ、下にいるべきだという思いが大切なのです。そして、上にあがって行き、最後は天国に帰っていくのですよ。
大学の卒業生は、このチャペルで結婚式を挙げることを希望する人が多いのですが、結婚するいずれかがプロテストの信者でなければ許されません。ここは市民と大学のシンボルではありますが、宗教施設なのです。日曜にはもちろん礼拝が開かれますが、参列者が多いので3回に分けて開いているほどです。外形ですが、前方は手を合わせた様子のイメージで、後ろは聖書を両手で持ったイメージです。
周辺の木はフェニックスです。卒業式を迎える6月ごろ、美しい花を咲かせます。日本の桜と同じです。それなのに入り口の1本が枯れかけました。今、樹木医が懸命に治療していて、とずいぶん緑が元気になってきました。
右が建築学科、左が工業デザイン学科です、いずれも、東海大学の看板学科です。
学内の緑を守るため、学生のバイクの乗り入れは禁止です。ただし、大学院生は遅くまで研究するのでバイクが許されています。
近くに住んでいる方が、よく大学を散策されていたそうです。その方が大学の事務局に自らの意思で連絡してこられ、お世話になったので、大学に寄付をしたいと言われたそうです。実はその額が巨額でみんな驚いたそうですが、その寄付で建ったのが、この情報センターです。IT関係の学科などが入っています。
付属小学校です。この裏に付属幼稚園があり、付属中学校と付属高級中学(高校)もあります。だから、東海大学のことを「K to D」と言います。キッズ(幼子)からドクター(博士)までという意味です。大学の卒業式では、付属幼稚園からずっと東海大学で学んだ学生を表彰しています。ですが、博士課程まで東海大学という人はいません。やはり、大学院くらい外で学ばいないといけないと学生が考えるからでしょう。
農学部畜産学科があり、乳牛200頭を学内で買っています。学内には乳製品加工場があり、営業許可を取っています。実験施設や実習施設を持った大学はありますが、営業許可まで取った大学は他にありません。東海大学はアメリカから資金援助を受けて設立された大学で、国から支援を受けている大学ではありません。ですから、自ら資金を得る努力をしなければなりませんし、キリスト教の教えを実践すると、大学での研究を地域に還元することが大事になるわけです。ここの乳製品は大人気で、生乳が足りず、周辺の農家を指導して買い入れるほどです。大山の牛乳に私は似ていて、とても美味しいと私は思います。まさにブランド品です。
大学の周辺には高級マンションが林立しています。
ビルの窓は東海大学のキャンパスに向いています。「東海大学の緑の全貌が見えますよ」「東海大学があなたのお庭です」というような広告が打たれ、高い階ほど高い値段が付いています。しかし、とても高いので私たち教職員にはとても買えません。「まけて下さい」と頼みにったけどダメでした。
新築された学生寮です。
キャンパスには何箇所も学生寮があり、計5000人が暮らしています。うち、3300人は1年生。新入生は寮でクラスのが東海大学のルールだそうでうす。
学生寮にはテニスコートもありました。恵まれた学生たちですね。
学内では鹿も飼育されていました。角は効果な漢方薬。それで飼育方法が研究されているようです。
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