調査2日目は、まず気仙沼魚市場を訪れました。 気仙沼漁港も高度衛生管理の導入を計画されています。
宮本・気仙沼市魚市場整備係長からお話を伺いました。以下は説明の概要です。
ここの魚市場は平成77年に北施設ができ開場した。A棟は平成18年、B棟は平成20年に完成した。今後、C棟、D棟、E棟を新設して、高度衛生管理を導入する。C棟D棟は来年度着工して2年で完成させる。その後、浄化施設を移設にしてE棟を建設する。高度衛生管理は閉鎖式の荷さばき所と低温室による温度管理の徹底が柱。HACCP認証も取りたいと計画している。合計350メートル、1万5000平方メートルが対象だ。
以下は質疑応答の概要です。ここでは説明は短く、聞きたいことを聞いてくださいというスタイルでした。こちらの興味に合わせていただき、恐縮です。
Q 事業費は
A 道路、土地購入費を含め、50億円~100億円の間。水産庁の3分2の補助金、災害復興の交付金が3分の1あるので、手出しはない。平成27年度までの完成が条件となっている。
Q 計画策定についていろいろ学ばれたと思うが、高度衛生管理の先進地は
A 八戸、松浦が参考になるのではないか。ヨーロッパが進んでいるが、ここは工場直結。仲買が入り、魚種が多いので大変だ。
Q 計画策定は水産庁の委託を受けた業者がする。地元の関与は
A 様々なヒアリングがあり、協議会も立ち上げ、地元の意見にそって計画は策定された。全国から応援職員が来ていただいている。
Q ランニング費用の持ち出しは
A 施設のメンテナンスは市、荷さばき場のランニングコストは漁協が負担している。
特別会計の規模は5~6億円。水揚げの口銭料だけで賄えず、2~3億円の持ち出しになっている。水揚げの1000分の5が口銭料。水揚げは200億円なので、約1億円。太陽光発電を設置して売電も考えている。
Q HACCPの導入の課題は
A HACCPには使う人達の意識改革が必要。かなり大変だと思う。
Q 水産業の出口的な産業規模は
A 工場出荷額が1000億円。そのうち8割が水産関係。この800億円が付加価値で、市の中にお金が回っているので、市の産業振興になっていると考えていた。だが、この水産関連工場が津波で壊滅した。
Q 壊滅した水産加工業の復興策は
A 個人財産に国はお金を入れてくれない。そこで、漁港の周囲は建物が流されて平面なので、漁港の地域を拡大して、水産加工団地を計画している。
Q 排水処理は
A 工場で一次処理して、下水道に流す。匂いも問題。流域下水ではないので単市の予算ですることになる。
Q 漁民に対するソフト面の支援は
A 自己負担1割で復旧させた。個人財産には税金の投入できないので形式上は組合船、共同船といった形にしている。
Q 電子入札を導入されたと聞いたが。
A 震災前からまぐろ、サメ類に導入している。せりの担当者は10人だったのが、2~3人になった。
Q サメ類?
A ヒレや尾はフカヒレ。身はすり身でハンペン。骨は皮は薬品、名刺入れのような革製品もある。それに心臓を生で食べられるのは気仙沼だけだ。
Q 魚種の選択理由は
A 水産庁は漁法での指定だが、HACCPは魚種の指定が必要となる。新しい建物に入ったものは高度衛生管理した魚となるが、マグロ、サメ類となり、E棟ができるとサンマも受け入れる。選択理由は年間を通じて入荷されるもの。さんま、カツオは季節もの。しかも、漁獲高が多くて高度衛生管理は現段階では難しいと判断した。
Q 水産加工品の材料は気仙沼で上がったものか。
A サバ系、イカ類は海外から入ってきている。イカの塩辛にしている。
Q 常時安定した原材料の入手を工場は求められるのでは。
A そのとおりです。商社を通じて取引されている。
Q 市として水産加工品の振興策は
A 加工技術を高めると同時に、販路をどうするか。零細事業者が多いため、独自の商品をつくり、独自の販路をつくることが大切。震災前は全国からバイヤーを集めて商談会を開いていた。今は東京に出向いて
Q カツオを加工している?
A 秋のカツオはトロカツオと言われ、絶品。生で東京へ出荷している。鰹節は脂が乗り過ぎたらできない。鰹節業者はない。生カツオは震災を受けても日本一。気仙沼の仲買は強い。カツオは日産700トンある。製氷、冷凍、冷蔵など全体としての復興に努力した。
Q 食を使った観光開発は
A 体験学習。漁業、農業、林業などたくさんある。中学校の就学旅行先として売り込み、震災前は5000人誘致していた。
市場ではカツオの荷さばきが行われていました。
こちらはサメです。
訪れたのが午前10時過ぎだったので、岸壁に接岸しているのは1隻だけでした。
市場の周りには空き地が多いのですが、水産加工場や住宅の跡地だそうです。
こうした場所も、漁港の区域に組み込むことで、国の補助対象にしたい話されていました。
視察を終え、仙台に向かって街中を走っていると、巨大な船が見えて来ました。
解体撤去する予定だそうです。しかし、発災から2年以上経った今も、こうしてあることが震災の被害の大きさを改めて感じさせました。
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