本日は、部内教会の月次祭を参拝いたしました。
参拝させていただきますと、お話を取り次ぐ機会(これを巡教と言います)をいただきます。
このお話の内容を考えるときに、教理の勉強や日々のことを思い返します。
多くは、つとめさせていただく おたすけ について思い返します。
最近は、私自身のこともさることながら、おたすけをしている人からの相談も増えて来ました。
そんな中で思うことは、「みんな幸せになりたいんだ」ということを改めて感じます。
先日の相談では、幸せに向かってすごく頑張っているにもかかわらず、上手くいかないとのことでした。
そんな時に、私のするアドバイスは
天理教には《陽気ぐらし》という言葉かあります。
《陽気ぐらし》とは、「人間が互いに助け合って暮らす世の有り様」と聞かせていただきます。また、自分だけが良ければ良いとする心使いを《ほこり》に例えて。日々、はらうよう戒められています。
自分の目指す幸せが、自分の希望を満たせばよいのか、あるいは、目指す幸せを通じて周囲の人々をも喜ばすことができるのかを考えると、している努力や頑張りの方向が判断できると思います。
今、上手くいってないと思う事柄も、目的地直前の難所なのか、見当違いの方向へ向けて進んでいる故の、途方にくれた状態なのかを判断する基準になると思います。
と始まり、各々のアナライズに進みます。
見当違いの方向へ歩いていることはよくありますが、もっと深刻なのは、それを気づきつつ、認めたり受け入れられない事です。
つまり幸せになりたくて、一生懸命頑張ってるにもかかわらず、その方向が違っている。
しかも、違っていることに気づきつつも方向を変える事ができない。
...そんな人が、多いように思います。
誰にでもある経験になぞらええるなら、
親に叱られた子供が、それに反発して家を飛び出した状態に似ていると思います。
小さい頃は、謝って家に帰ることも簡単なのですが、だんだん年がいってくると、家に帰る以外の選択肢が出てくることもあって、変に意地をはってしまうこともあります。場合によっては、そのままどこかに行ってしまうこともあります。
もしも現状に、うっすらと違和感を感じているのでしたら、一度そんなふうに考えてみるのもアリなんじゃないかと思います。
天理教って、陽気ぐらしを目指しています。
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