新型肺炎が、世界中で社会問題となり1年以上が過ぎました。
現在、日本では、第4波中で、3回目の緊急事態宣言が発出された自治体が出てきました。
アメリカでは亡くなられた方が、戦争による戦死者数を超えたとか、インドでは、一日に亡くなられる方が2800名余であるとか言われております。
日本国内に目を向ければ、それらの国々に比べれば遙かに少ないとはいえ、新型肺炎に関連して亡くなられた方の累計が、まもなく一万人に達しようとしています。
この、一万人という数字は、よく比較に出されるインフルエンザの数字に比べますと、インフルエンザは一シーズンあたり1300万人以上が発症して、関連で亡くなられる方が1万くらいと言われています。単純な比較はできませんが、新型コロナウイルスの56万人余のPCR検査陽性者(発症ではない)との関係を見ると、致死率は低くないと思うのですがどういうものでしょうか。
さて、おぢばでは、この一連のコロナ禍の収束を念じて毎月1日正午にお願いづとめをつとめることが発表され、教会、布教所、信者家庭におかれましてもおつとめくださいと連絡をいただきました。
私も、居合わせた処で、そのお願いづとめをつとめさせていただきます。
ところで、このコロナ禍の収束とは、どういうことなのでしょうか?
緊急事態宣言、ワクチン等、世界中の人々は、それぞれ持ち場立場で一生懸命に努力をされていますが、決め手に欠けているように思うのです。ワクチンが充分行き渡り、あるいは集団免疫を獲得したり、あるいは特効薬が開発された状態の事なのでしょうか?
先日、大教会の朝づとめ後に拝読する『おふでさき』に、ハっとする出会いがありましたので、紹介させていただきます。
このたすけどふゆう事にをもうかな
ほふそせんよのまむりこしらゑ (8-31)
またたすけをひやぢうよふいつなりと
のばしなりともはやめなりとも (8-32)
こらほとのぢうよじさいをゆうのもな
よいなる事とさらにをもうな (8-33)
甲府大教会では、朝づとめの後、神殿当番をつとめる者が、その日拝読した『おふでさき』を基に1分位のお話をすることになっています。その日、私は当番でしたので、事前に少々の予習をしていました。先に挙げたお歌はその日拝読する区切り(8号21から33)のおうたのうちの3首です。(残りについては、最後に載せますので是非ご参照ください)
取り上げました3首のお歌は、神様のいうところのたすけ(御守護やおはたらきという解釈でよいのではないでしょうか)とは、ほうそ(天然痘)にならないためのまもりであるということ、また、おびや(出産)についても自由自在であること、さらにその自由自在も簡単なことではないこと。が記されています。
今回は、おびや(出産)についての考察は先送りにして、「ほうそせんよのまもり」について感じたことを記します。
先ほども記しましたとおり、8-31のおうたは『神様の守護とは、ほうそをしないように守りを作る』と受け取ることができると思います。
『ほうそ』に罹患したものを治すわけではなく、あらかじめ感染や発症をしないように守ってくださっているという事のように受け取りました。
つまり、この度の世相になぞらえていれば、これからコロナ禍が治まっていくことも大切なのですが、コロナ禍が始まる前の状態こそ、神様におはたらきいただいていた状態だと言うことだと思います。
このことに思い至ったのは、いわゆる変異株についての報道の中に、「ウイルスは常に変異しているので、変異そのものは問題ではなく、変わり方が問題」というようなコメントを聞いたことがきっかけです。
そもそも新型コロナウイルスとは、従来からある風邪をおこす原因ウイルスの変異株です。また、風邪の原因ウイルスの変異はこれまでもあったでしょう。その変異がこれまで問題にならなかったのは、人間にとって都合の悪い方向への変異でなかったからだと思います。その点、この度の新型コロナウイルスは、人間にとって都合の悪い方向への変異したといえるのではないでしょうか。
ここからは、私個人の仮説ですが、まずはこれまでお守りいただいてきたことをきちんと感謝し、感謝の心をを表すひのきしんの態度の徹底と、周囲にいる人々のたすかりを願うおつとめ等、神様にお受け取りいただける心遣いをする人が多くなったあかつきには、私たちにとって都合の良い方向へウイルスが変異してくれるのではないかと思うのです。コロナ禍は、この解決の仕方が、副反応もなく、限られたモノの取り合いに端を発する争いや罪悪感のない、治まり方だと思うのですがいかがでしょうか?
たぶん、このblogを見た方のほとんどが???な感じだと思いますが、どうか一つ世の治まりを願っておつとめをつとめましょう。
※5月のお願いづとめは12日に変更となりました。
このよふのはじまりだしのしんぢつを
しらしてをかん事にをいてわ (8-21)
いまゝてもたすけ一ぢよとまゝとけど
ほんしんぢつをしらぬ事から (8-22)
どのよふな事でも月日ゆう事や
これしんぢつとをもてきくなら (8-23)
どのよふな事もたん/\ゆてきかす
これをまことゝをもてきゝハけ (8-24)
このよふのほん元なるとゆうのハな
このところよりほかにあるまい (8-25)
このはなしどふゆう事にをもうかな
どふゆはなしもみなしたいから (8-26)
このよふをはじめだしたるしんぢつを
みな一れつハしよちせゑねば (8-27)
どのよふなたすけするにも人なみの
よふなる事ハゆうでないから (8-28)
いまゝてにみへたる事やある事わ
そんな事をハゆうでないそや (8-29)
これまてにない事ばかりゆてきかし
しんぢつよりのたすけするそや (8-30)
このたすけどふゆう事にをもうかな
ほふそせんよのまむりこしらゑ (8-31)
またたすけをひやぢうよふいつなりと
のばしなりともはやめなりとも (8-32)
こらほとのぢうよじさいをゆうのもな
よいなる事とさらにをもうな (8-33)
現在、日本では、第4波中で、3回目の緊急事態宣言が発出された自治体が出てきました。
アメリカでは亡くなられた方が、戦争による戦死者数を超えたとか、インドでは、一日に亡くなられる方が2800名余であるとか言われております。
日本国内に目を向ければ、それらの国々に比べれば遙かに少ないとはいえ、新型肺炎に関連して亡くなられた方の累計が、まもなく一万人に達しようとしています。
この、一万人という数字は、よく比較に出されるインフルエンザの数字に比べますと、インフルエンザは一シーズンあたり1300万人以上が発症して、関連で亡くなられる方が1万くらいと言われています。単純な比較はできませんが、新型コロナウイルスの56万人余のPCR検査陽性者(発症ではない)との関係を見ると、致死率は低くないと思うのですがどういうものでしょうか。
さて、おぢばでは、この一連のコロナ禍の収束を念じて毎月1日正午にお願いづとめをつとめることが発表され、教会、布教所、信者家庭におかれましてもおつとめくださいと連絡をいただきました。
私も、居合わせた処で、そのお願いづとめをつとめさせていただきます。
ところで、このコロナ禍の収束とは、どういうことなのでしょうか?
緊急事態宣言、ワクチン等、世界中の人々は、それぞれ持ち場立場で一生懸命に努力をされていますが、決め手に欠けているように思うのです。ワクチンが充分行き渡り、あるいは集団免疫を獲得したり、あるいは特効薬が開発された状態の事なのでしょうか?
先日、大教会の朝づとめ後に拝読する『おふでさき』に、ハっとする出会いがありましたので、紹介させていただきます。
このたすけどふゆう事にをもうかな
ほふそせんよのまむりこしらゑ (8-31)
またたすけをひやぢうよふいつなりと
のばしなりともはやめなりとも (8-32)
こらほとのぢうよじさいをゆうのもな
よいなる事とさらにをもうな (8-33)
甲府大教会では、朝づとめの後、神殿当番をつとめる者が、その日拝読した『おふでさき』を基に1分位のお話をすることになっています。その日、私は当番でしたので、事前に少々の予習をしていました。先に挙げたお歌はその日拝読する区切り(8号21から33)のおうたのうちの3首です。(残りについては、最後に載せますので是非ご参照ください)
取り上げました3首のお歌は、神様のいうところのたすけ(御守護やおはたらきという解釈でよいのではないでしょうか)とは、ほうそ(天然痘)にならないためのまもりであるということ、また、おびや(出産)についても自由自在であること、さらにその自由自在も簡単なことではないこと。が記されています。
今回は、おびや(出産)についての考察は先送りにして、「ほうそせんよのまもり」について感じたことを記します。
先ほども記しましたとおり、8-31のおうたは『神様の守護とは、ほうそをしないように守りを作る』と受け取ることができると思います。
『ほうそ』に罹患したものを治すわけではなく、あらかじめ感染や発症をしないように守ってくださっているという事のように受け取りました。
つまり、この度の世相になぞらえていれば、これからコロナ禍が治まっていくことも大切なのですが、コロナ禍が始まる前の状態こそ、神様におはたらきいただいていた状態だと言うことだと思います。
このことに思い至ったのは、いわゆる変異株についての報道の中に、「ウイルスは常に変異しているので、変異そのものは問題ではなく、変わり方が問題」というようなコメントを聞いたことがきっかけです。
そもそも新型コロナウイルスとは、従来からある風邪をおこす原因ウイルスの変異株です。また、風邪の原因ウイルスの変異はこれまでもあったでしょう。その変異がこれまで問題にならなかったのは、人間にとって都合の悪い方向への変異でなかったからだと思います。その点、この度の新型コロナウイルスは、人間にとって都合の悪い方向への変異したといえるのではないでしょうか。
ここからは、私個人の仮説ですが、まずはこれまでお守りいただいてきたことをきちんと感謝し、感謝の心をを表すひのきしんの態度の徹底と、周囲にいる人々のたすかりを願うおつとめ等、神様にお受け取りいただける心遣いをする人が多くなったあかつきには、私たちにとって都合の良い方向へウイルスが変異してくれるのではないかと思うのです。コロナ禍は、この解決の仕方が、副反応もなく、限られたモノの取り合いに端を発する争いや罪悪感のない、治まり方だと思うのですがいかがでしょうか?
たぶん、このblogを見た方のほとんどが???な感じだと思いますが、どうか一つ世の治まりを願っておつとめをつとめましょう。
※5月のお願いづとめは12日に変更となりました。
このよふのはじまりだしのしんぢつを
しらしてをかん事にをいてわ (8-21)
いまゝてもたすけ一ぢよとまゝとけど
ほんしんぢつをしらぬ事から (8-22)
どのよふな事でも月日ゆう事や
これしんぢつとをもてきくなら (8-23)
どのよふな事もたん/\ゆてきかす
これをまことゝをもてきゝハけ (8-24)
このよふのほん元なるとゆうのハな
このところよりほかにあるまい (8-25)
このはなしどふゆう事にをもうかな
どふゆはなしもみなしたいから (8-26)
このよふをはじめだしたるしんぢつを
みな一れつハしよちせゑねば (8-27)
どのよふなたすけするにも人なみの
よふなる事ハゆうでないから (8-28)
いまゝてにみへたる事やある事わ
そんな事をハゆうでないそや (8-29)
これまてにない事ばかりゆてきかし
しんぢつよりのたすけするそや (8-30)
このたすけどふゆう事にをもうかな
ほふそせんよのまむりこしらゑ (8-31)
またたすけをひやぢうよふいつなりと
のばしなりともはやめなりとも (8-32)
こらほとのぢうよじさいをゆうのもな
よいなる事とさらにをもうな (8-33)