とよきのかいちょうぶろぐ

てんりきょうとよきぶんきょうかい々ちょうの日々をのこしておこうかな・・・っと。

131008 大祭準備ひのきしん

2013-10-08 22:18:31 | 日記
平成25年10月8日
本日は、当教会の大祭準備ひのきしんです。
本当は、昨日もち米を研ぐひのきしんから始まっています。

朝は築地へ神饌物の買いだし。
帰って来ると、掃除が始まっていました。
昼食を挟んで、もちつき。


鏡もちは毎月ですが、大祭ですので紅白の小もちもつきます。

明日も引き続き、準備のひのきしんです。


『ひのきしん』とは、天理教用語で、「日々生かされている感謝を現す行動」です。
本日は、教会の祭典準備という行動ですが、本来はそれに限らず、生かされている感謝の心から行動は全部ひのきしんです。
そこに報酬が発生するとかしないとか、大きいとか小さいとか、そんなことは全く関係ありません。
ただ、感謝の心からの行動ですから、自分ためだけの行動というのは馴染まないような気がします。
人に喜んでもらえる行動を神様は喜んでくださいます。
神様の喜びは、いつかご守護となって我が身を守ってくださるもととなります。
しっかりと今日一日を喜び、その感謝の思いで明日を通りたいものです。

131006映画の上映会

2013-10-07 22:33:43 | 日記
平成25年10月6日

祈り~サムシンググレートとの対話~

という映画の上映会を致しました。
フューチャーされている村上和雄氏は筑波大学の名誉教授。

この日は、9:00、13:30、19:00の3回上映で沢山の方にご来場いただきました。
ありがとうございました。



『祈り』という行為は、これまで宗教的な行いという認識が多かったのですが、これに科学的な取り組みをしています。
特に、遠隔地の病人の平癒を願う実験は興味深いものです。

私の信仰する天理教には、
『おさづけ』
という身上平癒の祈りがあります。
これまで、私自身が取り次ぐ『おさづけ』においても、不思議なご守護をお見せいただいておりますが、それは一体どういうことなのかを知る一つのヒントなったような気がいたしましました。

我が身の幸せを追求することは人間の本質であると思いますが、そのことは自分以外の人の幸せを願うことと対極にあるわけではないようです。
むしろ、我が身の幸せは、自分以外の全ての人の幸せの中にあるのでしょう。

今日も、『あの人』の幸せを祈りたいものです。



131005 走りました。自動車ですけど。

2013-10-07 22:17:11 | 日記
平成25年10月5日
和戸のお宅でおつとめ。
変わらずに迎えて下さいます。

東京へ戻り光が丘の布教所で秋季大祭。
立教の元一日に思いを巡らし、新たな一歩の始まりです。

なんでもそうですが、最初というものはとても小さいですね。
だんだんと大きくなるものです。
しかし、最初から何か大きなことに出会うこともあります。よく考えてみると、最初だと思っていることが、実は何かの下地の上に成り立っているということはよくあることです。
けしておごらず、お蔭さまの心を大切にしたいものです。

131004 会議的な一日

2013-10-07 22:03:06 | 日記
平成25年10月4日
昼前から教区へ。
布教部例会。
130年祭ようぼくの集いについて、司会者の選出を。なんだか重要な役のようです。
なんと言いますか、以前は用を承ることが多かったのですが、たいていのことはそれ程苦にならない質のようで、なんとかかんとかこなしていましたが、伝える側になるとイロイロ大変なことが出てきます。なんか難しいです。

夕刻より支部幹事会。
同上な感じです。