2019-07-18
ハラスメントを訴えた人に待っているのは
加害者の、言い逃れによる自己正当化です。この時に必ず、被害者への批判がセットで来ます。
吉田太一品質保証課長は、私を雇い止めする文書に、明白な虚偽を含む理由を書き連ねていました。
その中に、「コミュニケーション不全」とありました。
私の家族も、仲間も、弁護士も、医師も、労働局の職員も、一同呆れています。
コミュニケーションで困っていたのは私の方です。(参照:強烈なパワハラと同調圧力)
材料試験室でのハラスメントが前提のコミュニケーションに困っていました。
また、そういうのを相談しても、全く言葉が通じず、唖然とするような返しをしてこられる
吉田品質保証課長とのコミュニケーション不全に、私は本当に困っていた。著しい精神的苦痛で頭痛が毎回起こっていました。
そのことは、相談機関に相談していました。彼に対する信頼感がどうしてももてませんでした。
話が通じなくて、噛み合わなくて、常に自分の責任逃れというセルフィッシュな目的で動いているのだけわかったから。
もちろんエビデンスに残るメールでは、表面的には綺麗なこと、正義づらしたことを、言われていましたが
彼の日頃の行いと矛盾していました。口先で歯の浮くような弁を滑走させているだけでした。頭痛がしてました。
私の仲間で、リーダーの方がこう言いました。
「人に”コミュニケーション能力がない”という人は、コミュニケーション能力がない」って。
言い得てるから私たちはみんなで笑いました。
人にコミュ力がないと難癖をつけるあなたがコミュ力がない。
だって、コミュ力あるなら、「相手にコミュ力がない」と言ってコミュ困難をその人のせいにしたりしないもの。
コミュ能力がある人は、そんな情けない責任転嫁をしません。コミュ力がないと人に言う人は、自分の無能力を晒しています。
リーダーは「私たちは、ちゃんとコミュニケーションできてますよ」って言われました。私は
「はい、とても快適にコミュニケーションとれてます!」と言って、一同楽しく笑いました。
私は、自閉症スペクトラムだし、それはコミュニケーションの特性でもあります。
例えば、おかしいと思う空気に加担したり、忖度したりできません。私はそのことを誇りにさえ思っています。
KYとは違います。空気は見えているけど、それに乗るか乗らないかは各人の良識、思想、信条によるものです。
空気に加担しない選択権は個人にあります。
しかしブリヂストン甘木工場の品質保証課ではその選択権をもつことは、コミュニケーション不全 とされました。
誰かが自分のために作りだした一方的な流れに乗らないとコミュ不全とされました。どっちがコミュ不全なのか。
うちのリーダーも本の中で書いていました。「ディス・コミュニケーション」について。
その暴力構造を棚に上げて、それに乗らないで自分で思考する人をコミュ不全などと言って非難します。
責任者の「やってる」事実残しのために形だけとなっている記録簿に、本来の目的にのっとって記入して迷惑がられました。
真実などどうでもよくて、全部○と書いとかないといけないのに。
コミュ不全はあなた方の方です。
考え方が暴力に基づいている人とは、コミュニケーション不全に陥ります。そして、その暴力を行使する側の人が
「コミュ不全」と言ってその責を相手に咎めるのです。まことに倒錯した行為です。
私は、仲間の人達と、コミュニケーションを快適にとれています。
かれらは、もしストンとならないことが起きても、「お前にコミュ力がないからだ」「コミュ不全の原因はお前だ」などとは決して言いません。
話し合って進めます。「女のくせに」「障がい者のくせに」「最下層のくせに」「非正規のくせに」という差別意識はなく対等に話せます。
上の写真の人達とは、話が噛み合いませんでした。それは、最初から聞く耳がないからです。暴力の考えが前提にある人とは話が噛み合いません。
暴力の考えとは
立場が下の人は、黙って我慢して従うべきだ おかしいなどと言ってはならない 女は男に物申してはいけない
障がい者は雇ってもらっているという意識をもつべきだ 上司が違法な指示をしても指摘してはならない
といった、力関係で予め、なすべき行動を決める考えです。
内容ではなく、ものを言うこと自体が許されないというのですからただの暴力です。
どの辺が、ダイバーシティ、コンプライアンス、CSR推進企業なのでしょうか。実態は真逆です。
の自己宣伝: 多様性の尊重 | 人権・労働慣行 | CSR | 株式会社ブリヂストン [PDF] 人権・労働慣行 - ブリヂストン CSR・コンプライアンス | ブリヂストン行動規範
私は、ブリヂストンに1年いても決して覚えなかった信頼感を、その仲間たちに対して会ったその日にもてました。