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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

これもまた、御柱

2016-01-15 23:11:26 | 民俗学

道祖神祭り社殿

 

初灯篭(さかや)

 

初灯篭(笹久)

 

初灯篭(富半)

 

 「これも御柱」で今までと異なった御柱について触れたが、やはり、これも御柱の一種だと以前から思っていた例を見学する機会が得られた。長野県民俗の会第198回例会は、今日15日、下高井郡野沢温泉村で行われた。国の重要無形民俗文化財に指定されている野沢温泉の道祖神祭りの見学会だったわけであるが、実はこれが初めての訪問だった。かつて飯山に暮らしていた時代があったのに、ついの一度も訪れたことがなかったし、その後も訪問する機会がなかった。

 さて、社殿と言われる櫓は、層塔を造るようなもの。その社殿には御神木と言われる木が5本建つ。この柱は上の平で伐採され、里曳きもされるというからまさに御柱にあたる。四隅と真ん中に柱は建てられ、真ん中の柱には社が高く掲げられるように結わえ付けられる。この社を見て思ったのは「これも御柱」で触れた神林の御柱の上に載せられる社のことだ。考えてみれば社を高く掲げるという方式は同じだ。いほゆる中信地方に分布する道祖神の御柱にはこのような社をほかに見ることはなく、山梨県のオヤマや川上村のオンベにもそういったものは見られない。たまたまここ野沢温泉のものと神林のものに若干の類似性を感じたわけである。この社殿が御柱であるとはあまり考えていなかったのたが、これも御柱の一種といえばそうとも捉えられる。

 むしろわたしが中信でいう御柱の類と思っていたのは灯篭のことだ。初灯篭と呼ばれる灯篭は、前年に子ども(かつては長男だったと言うが、今は長男に限らず子どもが生まれるとその対象になり、さらに女の子でも良いというように変化してきているという。いわゆる少子化によるもの。)が生まれた家で出すものと言われており、今年は3本灯篭が奉納された。いずも宿泊施設を営んでいる家で、富半、笹久、さかやの3軒だった。灯篭と呼んでいるが、いわゆる傘鉾である。頂きにオンベが付けられ、その下に傘鉾がつく。3軒とも形式はほとんど同じ。大きさもほぼ同じでその高さは9メートル余という。上半分をオンベ竿といい、杉の木を使う。下半分はミズナラの木を使い、つなぎ合わせるという。傘鉾の下に風鈴をつけた提灯が三つ吊り下げられているが、今は電球のようだ。傘の垂れ幕は赤色で家紋が染められている。傘下には白扇と瓔珞が吊るされるという。まさに志摩半島の盆に登場するカサブクだ。さらに巾着がいくつも吊り下げられている。傘の次は菱形の灯篭で、その次は花である。柳風に垂れ下がる様はいわゆる花灯篭の趣である。約2.5メートルの長さに割いた竹に紅白の桜の花が付けられる。これは36本だという。その柳花の中に金色の紙細工で飾った万灯篭が付けられる。そして最下段には二重の竹の輪が付けられ、そこに近所の子どもたちや親戚の子どもたちによる書き初めがたくさん下げられる。正月11日にこの灯篭は作られ、「灯篭まるめ」といって、手伝ってくれた人や、親戚や近所の人を呼んで祝宴をするのだという。1本出すのに百万円かかるとも。したがって最近は容易には出せず、祭りを取り仕切る野沢組が支援するということだった。15日までに家の前に建てて置き、道祖神祭りの直前にこれを分解し、道祖神のうたを歌いながら道祖神場まで運ばれる。いよいよ道祖神祭りとなり、社殿に火が入れられ、そこそこ燃え上がると、この灯篭も火の中に入れられ焼かれるのである。さすがにいわゆる道祖神の御柱で焼かれるケースはない。今年は3本出されたが、かつては13本も初灯篭が奉納されたこともあったという。

 何より傘鉾であるということ、そして柳のような花が付けられるとともに灯篭も付く。山梨から辰野町あたりまでに分布する柳形の柱と類似している。


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