Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

彩色青面金剛

2012-10-16 23:50:43 | 民俗学

 「彩色される石仏・後編」で飯田市下久堅の青面金剛の彩色されたものを紹介した。飯田市周辺にこうした彩色された青面金剛がある、と述べたが、意外にこのことは知られていない。長野県内の石神・石仏を扱ったものとして『石仏と道祖神』(信濃毎日新聞社 S56)という本がある。この本は写真で県内各地の石仏を紹介しているもので、初心者向きの県内の石仏を扱った本としてはあとにも先にもこれ1冊ではないだろうか。この本に掲載されている写真を見ても、彩色がされている、あるいはその痕跡が見られる、というものは数少ない。以前にも触れたように安曇野の道祖神を紹介した写真に数例見られ、あとは木曽谷などに幾例かである。また伊那谷の石仏を扱った本として竹入弘元氏の『伊那谷の石仏』(伊那毎日新聞社 S51)があるが、ここでも彩色される石仏についての記事はない。ましてやどらの本にも青面金剛に彩色する習俗があるということはまったく振れられていない。いかに飯田市周辺の彩色青面金剛の認知度が低いかを示すものである。

 『長野県史民俗編』の信仰を扱った項目にも彩色青面金剛のことは一字も登場しない。像容といった個別の特異性はともかくとして、民俗の視点から捉えれば「彩色を施す」という行為はとても興味深いものである。そもそも調査シートに彩色に関する項目がなければ、データとして浮かび上がってこないことは十分予想される。こうした事例は庚申信仰における彩色に関する習俗意外にもあるのだろう。

 さて、下久堅の青面金剛を訪れた際のネガをあさっていたら、ほかにも彩色された青面金剛の写真があった。それらはすべて天竜川支流の小川川に沿った地域にあったもの。下伊那郡喬木村に流れる支流で、小川の湯から岩場が迫った細い県道をしばらく遡ると谷あいに集落が登場する。氏乗と言われる集落で、その入り口の左手の藪の中にどぎつく塗られた青面金剛がある。数年に一度“化粧”されるようだ。氏乗は小川川沿いに点在した集落があり、ここから奥に入った集落でも二つほど彩色されたものを撮影した。近年の様子は未確認であるが、ここまでしっかりと彩色習俗が分布しているとかなり特徴的なものといえる。

 

 


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